1068年7月17日付
【政治】超越主義の成果物 「連邦」憲法が発議
<イグナイト・タイムズ>
超越同盟が結党以来掲げてきた「超越主義」は、ついにセニオリスの地で実を結んだようだ。
悪夢の「救国評議会」政権の崩壊とともに976年3月に誕生した超越同盟は、「社会主義と資本主義に代表される二項対立の克服」を党是として誕生した。そのすべての価値観を包容しようとする姿勢は、政界における価値観対立に辟易とした市民らの支持を集め、度々大統領選当選者を輩出するなど独自の存在感を保ってきた。しかしその理念は、社会主義を掲げた社会党の資本主義勢力に対する明確なる優越という政情を前に存在意義を見失い、さらに超越の純粋性を保つための「超越至上主義」が他政党との協力の可能性を潰すという悪影響が重なり、長きにわたり実現性を伴うものとはなってこなかった。
転機となったのは、超越同盟の大統領候補が敗れ去った1051年の第12回選挙であった。この選挙により超越同盟が掲げた超越至上主義は破壊され、同党は社会民主党の導きにより中道勢力の一角に収まることとなった。連立を組んだ二党はセニオリスにおける超越のあるべき姿について模索し、その再定義を行うこととなる。1062年1月、社会民主党と超越同盟の連立政権であった第一次プレンコビッチ政権は「セニオリス連邦」構想を取りまとめ、次期の選挙公約に位置づけた。大統領権限の縮小、地方分権、社会主義的条項の改定を軸とするこの構想は左右両派の反対派からの攻撃を受けたが、与党は大統領選・議会選双方を守りきり万全の体制で改憲論議に進んだ。
発議された憲法草案は、第13回選挙で選挙公約とされたものと内容としてほぼ変わりないものに決着した。改憲内容の概略を以下に示す。
- 前文における国家の価値観の変更
- 「民主的かつ社会的な、全ての価値観および自由を尊重するコモンウェルス(Komonvelt / Commonwealth)」
- 大統領権限の縮小
- 大統領の拒否権を受けた法案の再可決→議会の5分の3以上の多数に(従来:3分の2以上の多数)
- 議会の解散権→首相の不在時または首相の助言を基に大統領が行使できる儀礼的な権限に
- 地方分権
- 「県」から「州」への再編
- 地方権限の拡大
- 住民投票制度の明記
- 財産権に対する社会主義的成約の緩和
- 財産権「公衆の健康と国家の安全を妨げない限りにおいて保証される」
- 企業の国有化「コモンウェルスにおける資産・財産の公共化は、公衆の健康および公共の利益に資することが明白である場合においてのみ行われる」
- 土地所有権「コモンウェルスにおける土地は、公衆の健康と公共の利益における必要性のため監督される」
憲法草案は1068年7月、賛成121反対79棄権0によって議会を通過した。マリン・フリードリーン大統領は速やかに草案に署名し、新憲法は国民投票に委ねられることとなった。また併せて新憲法が発効次第国号を「セニオリス連邦」、国旗を”価値観の共存”を示すとされる円と三角形のシンボルが記されたものに変更する「1068年国旗国号変更法」案も投票され、こちらは賛成121反対44棄権35によって成立した。
セナ・プレンコビッチ首相は憲法草案および法案の議会通過を受けて「市民の要請であった体制変革をようやく実行に移すことが出来た」と声明した。国民投票に向けて首相は「草案への理解を更に浸透させ、着実な成立を目指す」として抱負を語り、草案で反対に回った左右両派を指示する市民に対しても「全ての市民にとって有益な変革であることは理解いただけるものと思う」として対話の姿勢を続けていく構えだ。
【政治】セニオリス連邦成立 66年4ヶ月の社会共和国の歴史に幕
<新セニオリス通信>
1068年7月、国家の価値観変更・大統領権限縮小などが盛り込まれた「セニオリス連邦」憲法が国民投票に掛けられ、賛成65.6%を受けて成立した。投票率は70.4%だった。
新憲法の発効により「1068年国旗国号変更法」も発効し、今後共和国は「セニオリス連邦(Komonvelt Šenioridska / Commonwealth of Seniorious)」となる。
新国旗にあしらわれる円と三角形を組み合わせたシンボルは「異なる価値観の共存」を表すものとして考案されたものだという。第二共和国の標語として915年7月以来長らく掲げられている「セニオリスのために、時代と共に(Za Šenioridsku, za sva vremena)」は、コモンウェルスの価値観を表すものとして維持された。
マリン・フリードリーン大統領は連邦憲法の成立を受けて「我々はようやく、特定の何かのためではない、すべての人々のための公正なる国家像を見定めた」と述べた。社会共和国憲法時のアンドレイ・ヴィドヴィチ第7代大統領の述べた「労働者の利益を追求する」との言葉を意識したものと思われ、フリードリーン大統領は「価値観の違いを超越し手を取り合う、真の協調の時代がここから始まる」と新憲法の意義を語った。
セナ・プレンコビッチ首相は、所属する社会民主党が過去社会共和国憲法に賛成していた事実について問われると「私は当時の党に所属していないため詳らかな回答を提供できない」と断りながらも、「当時考えられていた協調の姿と、社会共和国を経て見えた協調のあるべき姿が違ったということだ」と述べた。この発言は社会共和国を強く支持していた社会党並びに共産党の反発を生むと予想されるが、記者の指摘に対し首相は「『社会共和国』であって『社会主義共和国』ではなかったのは、当時の社会民主党があったからだ」とし、さらに続けた。
「歴史的に見ればその後にも『社会主義共和国』となる機会はいくらでもあったにも関わらず、それは遂に実行されないままだった。それは、彼ら自身もまた”協調”のあるべき姿に気づいていたからに他ならないのだろう。私はいずれ、彼らとも再び手を取り合える日が来ることを信じている。」
その他
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