概要
本記事では、セニオリス共和国憲法において915年憲法、963年憲法における政体について、その時点でのwiki記述を転載することにする。
915年憲法概要
915年憲法は、現セニオリス共和国(セニオリス第2共和国)の915年7月の建国時に制定された憲法である。その起草にあたっては地域住民の諸権利の保護のための諸法典が原型となり、この憲法により大統領制、三権分立、自由権、軍備制限などが定められた。
建国時点における国内の混乱を乗り切るため、実際の第1回大統領・議会選挙は4年遅れの919年5月まで持ち越されることとなった。当該期間での体制はヤコヴ・ファーランを「政府代表」に据えた臨時政府体制であり、同氏は国内の安定化に成功した実績を持って第1回選挙に圧勝。初代大統領となった。
963年憲法概要
963年憲法は、915年憲法の改正憲法である。915年憲法からは体制の変化は小さいが、前文に「自由社会に根ざした民主的かつ社会的な共和国」と共和国の価値観が初めて明記され、また915年憲法において希薄だった社会権の明記などが行われている。
改正の成立背景には、社会主義憲法制定に向け圧力を強めていた当時の社会民主党左派・セニオリス共産党の「人民戦線」と無所属であったバーバラ・オリーン大統領との対立がある。第4回選挙において社会主義勢力は議会での勢力拡大に成功したが、大統領選はカリスマ的人気を誇ったオリーン候補に敗れた。しかし大統領は安定的な政権運営のために社会主義との協力が不可避の情勢であり、不和を抱えたまま表面上は左派が優勢の社会民主党との協力関係を持つこととなった。大統領は主導権奪還を狙い第4回議会中間選挙に打って出るが、ここでも「人民戦線」の勢力拡大を許すこととなり事実上敗北する。ここで人民戦線は単独で議会の過半を確保してはいたが、人民戦線にとっての悲願である社会主義体制導入は大統領が社会主義者ではないことと、事前の憲法裁判所判決により通常の手続きにおいては不可能な情勢であった。一方で大統領にとってもまた政権運営の安定には社会主義との協力が欠かせない情勢であることには変わりなく、社会民主党との交渉が持たれ、社会民主主義的理念の憲法への導入を交換条件に協力を得ることに成功した。しかしこの改正によってもなお社会主義の勢力拡大を阻むことは出来ず、第5回選挙における社会主義大統領の誕生へと至ったのだった。
915年憲法・963年憲法下
両憲法下における体制の変化は小さいため、ここでは一括して紹介する。
行政府
共和国政府の全ての行政権は大統領に付与されており、行政府は大統領とその代理人によって構成されている。
大統領の諮問機関として各省の長官などにより構成される大統領顧問団(内閣)、また大統領の指揮のもと設置された各省の総称として行政各部が存在する。
大統領
大統領の任期は12年であり、同じ人物が2度を超えて選出されていることは認められていない。(3選禁止)
議会選挙と並行して行われる直接選挙により任命される。
権限としては立法に対する拒否権の行使及び行政命令や行政委任立法としての大統領令の発動、また最高裁判所の裁判官の任命、そしてセニオリス共和国軍の最高司令官としての指揮権を有している。
議会の任期が4年目から5年目の期間において大統領令により中間選挙の実施(任期6年目末での議会の解散)を決定することができる。
中間選挙の実施は任期後半における政権運営を安定化する可能性を有するが、一方で選挙後大統領に対する不信任決議が発動され失職するリスクも伴う。
副大統領は大統領により指名される。副大統領の職務に関する規定は無く、副大統領職の扱われ方が”大統領の補佐”か”敵対派閥を宥めるためのポスト”かによりその在り様が大きく変化する。
大統領席が欠けたとき、議会による不信任決議による場合を除いて副大統領が大統領に昇格する。不信任決議による場合は昇格せず、大統領代理が議会が任命されると失職する。
また双方共に執務不能となった場合における対応を法律により定める権限が議会に与えられており、現行では”大統領継承法”により定める大統領の継承順位に従って大統領職が継承されることとなる。
議会により任命される大統領代理については正式な大統領ではないが、この期間の大統領・副大統領職は失職により空席の状態となる。
この間は”大統領継承法”は停止状態となり、大統領代理の執務不能の場合は議会により新たな大統領代理が任命される事実上の議院内閣制の状態となる。
大統領顧問団、行政部に対しては正式な大統領と同様に振る舞う。
代 | 名前 | 所属政党 | 在任 | |
---|---|---|---|---|
– | ヤコヴ・ファーラン | セニオリス自由党(自由派) | 915年7月~919年5月 | 政府代表 |
1 | ヤコヴ・ファーラン | セニオリス自由党(自由派) | 919年5月~931年5月 | |
2 | サマンタ・プロシネチキ | 社会民主党(右派) | 931年5月~937年5月 | |
– | ダリオ・ヴィドヴィチ | セニオリス自由党(進歩派) →セニオリス自由党 | 937年5月~943年5月 | 大統領代行 |
3 | マリオ・バルバリッチ | 社会民主党(左派) | 943年5月~955年5月 | |
4 | バーバラ・オリーン | 無所属 | 955年5月~967年5月 | |
5 | ミラ・イェリッチ | 社会民主党(左派) | 967年5月~971年4月 | |
– | アンドリア・コソル | 軍人 | 971年4月~972年8月 | 救国評議会議長 |
(セニオリス・スラヴ国) | 972年8月~976年3月 | |||
5 | ミラ・イェリッチ | セニオリス社会党(社民派) | 976年3月~979年5月 | |
6 | オリーヴィア・ヴラトコヴィチ | 自由民主党(共和派) | 979年5月~981年11月 |
大統領補佐団・行政各部
大統領補佐団は各省の長官によって構成される諮問機関であり、副大統領もここで職務を担う場合がある。議院内閣制の国家の内閣に当たるが、大統領はこれに含まれない。
長官の任命は大統領が指名し議会が承認することで行われる。議会の承認が得られない場合は長官席は空席となり、承認の必要ない長官代理か公選の副大統領が職務を代行することとなる。必要に応じ、3名まで省庁に属さない長官を任命することが認められている。
長官職は共和国議会議員や県知事との兼務が禁止されているため、任命時には職を辞す必要がある。
各長官には”大統領継承法”によって、上位者の執務不能時にその職務を代行する大統領の継承順位が割り振られている。なお、第1位は副大統領、第2位は議長である。
行政各部は大統領の指揮下の元設置される各行政機関の総称であり、各省が含まれる。
現在は以下の省庁・長官が設置されている。
継承順位 | 省庁 | 担当長官 |
---|---|---|
3 | 外務省 | 外務長官 |
4 | 防衛省 | 防衛長官 |
5 | 法務省 | 法務長官 |
6 | 財務省 | 財務長官 |
7 | 内務省 | 内務長官 |
8 | 国土開発省 | 国土開発長官 |
9 | 教育科学省 | 教育科学長官 |
10 | 経済産業省 | 経済産業長官 |
11 | 資源・エネルギー省 | 資源・エネルギー長官 |
12 | 運輸衛生省 | 運輸衛生長官 |
13 | 農務環境省 | 農務環境長官 |
14 | 労働省 | 労働長官 |
15 | 厚生省 | 厚生長官 |
16 | – | 行政改革長官 |
17 | – | – |
18 | – | – |
- 沿革
- 915年7月
- 継承順位第14位として労働長官(無任所)
- 継承順位第15位として国土荒廃対応長官(無任所)
- 931年5月
- 国土荒廃対応長官が廃止
- 937年5月
- 継承順位第15位として行政改革長官(無任所)
- 948年10月
- 労働長官管轄下に労働省を設置
- 継承順位の最大は第17位に拡大
- 労働長官管轄下に労働省を設置
- 953年5月
- 継承順位第15位として厚生長官(厚生省)
- 継承順位の最大は第18位に拡大
- 行政改革長官が継承順位第16位に繰り下げ
- 継承順位第15位として厚生長官(厚生省)
- 915年7月