970年12月26日付〈中央通信〉
25日に投開票が行われた970年次共和国議会選挙(下院総選挙)は、連合党が議席数をわずかに減らしたものの単独過半数を維持した。比例代表制の導入によって第一党の単独過半数確保が以前より難しくなった中でのこの結果は事実上の完勝といってよく、党本部も結果が明らかになると直ちに勝利宣言を発表している。
新たな選挙制度の下での議会選挙は各党とも選挙戦略を手探りすることとなったが、結果的には近年の自由志向的な経済改革が評価される形で連合党や南の風に票が集まる形となった。10年間の連合党政権に対する批判票はおもに人民党に集まり、同党は前回の大敗で失った議席の一部を取り戻したが、一方で前回選挙の際には連合党に協力したがその後外交政策面での対立で離反していた革新党は「どっちつかず」との評価を受けるに至って議席数を半減させ、躍進した南の風すら下回る第4党に転落した。先の選挙で躍進し、今回も台風の目となると予想されていた民主前進党はわずかに議席を減らし、「共和国の政治体制が非民主主義である」といった同党の主張は世論に広く受け入れられるには至らなかった。
2年後にはトーネ・ユーファストーン大統領の任期満了を受けた大統領選挙も行われることになるが、トーネ大統領の支持率はこの時期の大統領としては規格外に高く、続投・禅譲を問わず連合党が973年以降も大統領の席を占めることは間違いないとみられる。トーネ大統領自身は再選を目指すか否かについて明言を避けているが、テレト・ブラッドストーン外交委員長が外交委員会出身者として初めての大統領に意欲を示しており、この両者のいずれが党内候補に内定するかで次期大統領が事実上決定づけられる見通しだ。
【社説】労働党系の敗北、委員会社会主義に陰り
共和国議会選挙の結果、人民党・革新党は両党とも2桁の議席数にとどまり、合わせても改憲発議を阻止できる議会の3分の1に届かなかった。委員会社会主義に懐疑的な連合党・南の風の両党で議会の3分の2を超えることから、877年改憲以降100年近くにわたって共和国の基礎を成してきた委員会社会主義は大きく揺らいでいる。サンディカリストから自由主義者まで多様な政治勢力を抱える連合党が改憲に必要な党内意見の集約に成功する可能性は低いことから直ちに現状の社会主義体制が崩壊するとは言えないが、「人民の支持を失えば早晩現体制は維持できなくなる」(人民党幹部)と人革両党の間では危機感が広がっている。
8世紀初頭の革命以来、共和国の掲げる「社会主義」の定義は党派間の対立と妥協によって変化してきた。社会主義革命自体には労働組合の力が不可欠であったことから、革命直後の鎖国体制下では「カルセドニー諸島サンディカリスム連合」という国家の正式名称が示す通りサンディカリスムを明確に国是として位置付けていた。しかし、鎖国体制の下でも労働組合派と旧共産党の流れをくむ共産主義派の対立が続き、760年代の開国期に旧労働党が(新)労働党と連合党に分裂したことで共和国の社会主義は一時的に「未定義」の状態となった。当時の共和国に「社会主義」を明示的に掲げる勢力が存在しなかったにもかかわらず、労連両党の採択した新憲法下における国名にこの語が採用されたことは「共産主義」と「サンディカリスム」の間の妥協の産物であったと言われている。旧労働党共産派の流れをくむ労働党は自党のイデオロギーに「委員会社会主義」という看板を手にして勢力を拡大した。803年改憲において資本主義系の勢力は議会から排除され、877年改憲において委員会社会主義が憲法に直接組み入れられたことによって「共和国において、社会主義とは委員会社会主義のことである」との形で定義が完全に定まったかに思われた。
その後も1世紀近くにわたって労働党系政党ー外交政策での相違こそあれ、閉鎖社会・計画経済を基軸とした委員会社会主義を支持する人民党・革新党ーは議会において一貫して3分の2以上を占め続けてきた。委員会社会主義は世論に強く支持され続けてきたかのように思われた。この傾向が絶頂に達したのは930年選挙の際で、人民党と革新党は合わせて共和国議会の94%にのぼる565議席を支配した。かつての二大政党の一翼を担った連合党はわずか34議席にとどまり、「人革二大政党制による委員会社会主義の永続化」すら囁かれるに至っていた。
しかし、960年、前回の選挙に際して連合党が議席を3倍に増やす圧勝を収めたことにより国内の空気は一変した。今回選挙ではついに議会の3分の1すら失った委員会社会主義はもはや絶対の存在ではなく、サンディカリスム、社会民主主義、自由主義、国家社会主義といった多様な思想が大っぴらに支持されるようになり始めている。委員会社会主義はもはや「国是」とは言えず、単なる1つの思想に成り下がりつつある。連合党内でも自由主義派を中心に「国家体制を1つのイデオロギーに定めたままにすることは不自然」としてイデオロギーを憲法から外す主張が生じ始めており、「社会主義」の語自体が無くなることに警戒するサンディカリストとの間で駆け引きが始まっている。共和国の思想市場は外資の導入や委員会横断組織の設立が進む経済に歩調を合わせるように「自由化」を続けており、20年後、30年後の共和国がどのような政治体制を掲げていても不思議はない状態だ。そして委員会社会主義はそのレースから取り残されつつあるのかもしれない。
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