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ガーネット州、「南の風」を引き金に騒乱状態

1063年3月12日付〈中央通信〉

 外交委員会がヴェニス・コンプレックスのノード所有者として取締役会決議を作成したことを引き金として、ガーネット州内の治安状況が著しく悪化している。11日、社会主義評議会は州内が「騒乱状態」にあることを認めたが、「現地の治安部隊に対処できる範囲」であるとして本土から追加的な措置を取ることは否定した。
 ヴェニス・コンプレックスのノード所有権を有していると長年見做されてきたのは「南の風」であるが、1020年の政変に際して「南の風」は複数の関係者がエルネ・モスアゲート政権に共謀して反社会主義的策動を行ったとして公開手配された。組織の残りはこれらの人物を除名したが、意思決定権限の所在が不明確になったことによりこれ以降実質的な活動は停止状態にあった。一方で、社会主義評議会は共和国内のあらゆる資産の本質的な所有権は共和国政府にあり、「南の風」についてもその例外ではないとの立場を取り、1060年に外交委員会はヴェニス・コンプレックスのノード所有者としての権利を「南の風」名義で行使する形により、セニオリス社会共和国及びヘルトジブリール社会主義共和国と共同で取締役会決議を提出した。
 外交委員会が「南の風」の意思決定権を行使する決定はガーネット州の「南の風」本部を飛び越える形で行われたため、「南の風」の政府からの独立性を主張する州内の勢力の反発を呼んだ。政府施設への襲撃などの過激な破壊活動の件数は1060年以前の4倍から5倍の件数が発生しており、ウバロバイト島やグロッシュラーライト島などでは市庁舎や石油コンビナートなどの重要施設が一時的に過激勢力に占拠される事態に陥っている。社会主義評議会は11日の発表でこれらの破壊活動を「反社会主義的」であるとして強力に取り締まることを声明したが、ガーネット州内では本土出身の治安部隊や軍部隊を受け入れることへの反対論が根強いことから、これに配慮して現地の治安部隊に任せる判断を下した形だ。
 モリオン市の「南の風」執行部は「『南の風』は社会主義評議会とともにあり、暴力的な行為を支持することはできない」とする声明を発表した。州内でも市民生活を損なう暴力的な破壊活動に対しては冷ややかな目線が注がれているが、現在の執行部が「南の風」を代表しているとみなさない市民も少なくなく、「南の風」が州内の安定化に寄与できるかどうかは微妙な状況である。

選挙2年延期も、非評議会勢力の議席は横ばい

1062年12月27日付〈中央通信〉

 「治安上の理由」として2年延期された共和国議会選挙は、前回から若干評議会派が議席を伸ばしたものの、台形派・円環派が目指す「大統領制の廃止」を要点とした改憲を実現することは難しい状況に変化はなかった。正法派・角錐派はそれぞれ異なる理由から大統領制を廃止する改憲に消極的な立場で、両派に近い議員に評議会に対する支持を明示しない非評議会派の議席を合わせると改憲を阻止できる200議席超に届く。台形・円環両派は1020年から1032年にかけて繰り返し採択され、今回も1060年からの議会任期の2年延長のために用いられた「議会任期緊急延長法」を恒久的に可能とする、「議会任期の最大20年への延長」を改憲案に盛り込んだが、これについても支持はさほど広がらなかった。

FUN総会、紛糾したまま閉会

 ルクスマグナ共和合衆皇国の提起した「一般理事国推薦に係る主権の尊重」を議題とするFUN総会第21回通常会期は、2年間の会期延長を含めた6年間の議論期間を1056年末に終え、投票が求められた決議案の不存在のため投票期間に入ることなく終了した。議題の提出と議論が行われた会期において、何の決議案の採択にも成功しなかったのはFUNの200年を超える歴史上初めてである。我が国はかなり早い段階から(ある外交委員会の当局者によれば、1051年に会期が開始される以前から)本議題に対して積極的に関与し、「国際社会全体の合意」を得られる決議案の採択を目指してきたが、セリティヌムとBCATの間の対立セリティヌムとガトー・普蘭両国の間の対立、ルクスマグナ代表の「誤解を呼ぶ発言」のために決議案の採択には結びつかなかった。
 ルクスマグナ代表による議題提起は、「一般理事国の推薦を圧力によって強制する行為を抑止する」ことを趣旨として行われた。この理念そのものは各国から支持されるか、少なくとも反対されなかったが、ルクスマグナ代表が抑止されるべき「圧力」の例として「大使を召還する」ことを挙げたため、これが議論の的になった。これについては、983年にルクスマグナがセリティヌムへの一般理事国推薦を取り下げた際に、セリティヌムがその際の説明不足を非礼として批判したことで生じたいわゆる「芹光事件」がその背景に存在する。当時セリティヌムが行った大使召還が「圧力」であって容認されないとみなされうるルクスマグナの主張に対し、セリティヌム代表が反対意見を述べて決議案に修正を求めたところ、ガトーヴィチ代表から「(芹光事件の際の)強硬かつ高圧的な外交行動を今後も正当化するための変更」であるとセリティヌム代表を批判する発言が行われた。この発言を契機として、「当時のセリティヌムの外交姿勢が容認されるか否か」という本来議題と無関係な論点に関する議論が主にセリティヌムと普蘭合衆国代表の間で長々と展開される結果になった。
 歴史問題で時間が空費される中、「大使召還」が望ましくない行為として一義的に解釈されることは避けられるべきだという趣旨の指摘が我が国やセニオリスの代表から行われた。この部分について決議案には「不利益を与える行為」と抽象的に記述されているのみであったため、「大使召還が不利益を与える行為であるか」が議論される形になった。延長された会期の終了を目前に控える中、「一般理事国の推薦において各加盟国は大使の召還を含む抗議活動を行わないことを奨励する」という一文を決議案に挿入することが普蘭代表から提案され、ルクスマグナ代表はこれを採用した「最終案」を議場に提示した。ただし、「大使召還」だけではなく「抗議活動」を全面的に「推奨されない行為」として明示しているこの一文は我が国には支持できず、我が国はこの表現の削除をルクスマグナ代表に非公式に求めている。
 しかしながら、会期の決裂を決定的なものにしたのはこの「最終案」の内容そのものではなく、同時にルクスマグナ代表によって行われた「芹光事件におけるセリティヌムの行動に対する国際社会の見解」を求める発言であった。これは「芹光事件を解決した両国共同宣言を反故にするもの」と認識したレゴリス・セニオリス両国による猛反発を招き、今回ルクスマグナが提出した決議案に賛成することは内容にかかわらずあり得ない、と両国は実質的に公言した。外交委員会幹部によれば、ルクスマグナ代表はこの発言を「総会の議題と無関係な論点については別途行うべき」という意図で行ったと会期終了後に我が国に対して説明しており、それに従えばルクスマグナ自身に「再提起」の意思はなかったとも考えられるが、当初の発言からその「本来の意図」を理解することは実質的には困難であり、レゴリス・セニオリス両国の反発を解消することができないまま会期は終了した。
 ユオル・クリストバライト外交委員長は総会の会期終了後に複数国と本議題について協議を行っていることを認めており、詳細については「外交機密に属することでありすべて公表することはできない」とする一方で、「本議題が総会決議の採択という形で最終的に成功するために越えなければならないハードルは多い」と明らかにした。1061年に開始される予定だった総会第22回通常会期には議題の提出はなく、本件については少なくとも1071年以降に先送りされる形となった。

注:普蘭合衆国政府から先の報道に修正を求める旨通達があり、評議会の決定により報道に修正が行われた。

【経済】石油・建材の主要生産拠点であるガーネット州の治安悪化、これらの輸出規模への影響を懸念。
【国際】共和国の出身者として初のFUN事務総長、フェリシアノ・オルベラ・カンポス氏が就任。
【政治】社会主義評議会、研究設計委員長に高等教育機関整備の広範な権限付与。「スパゲティ教育」の解消へ。

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