880年12月21日付〈中央通信〉
20日に投開票が行われた第34回共和国議会選挙(下院総選挙)は、旧労働党<国際主義派>が中心となって結成された革新党が躍進、レテン大統領の事実上の与党である人民党は過半数割れを喫する結果に終わった。人民党単独ではレテン政権の運営が困難になったことを受け、人民党は革新・連合両党に対して政策協定の締結を打診しており、各党の幹部の会談が相次いでいることから政界はしばらく慌ただしくなりそうだ。
764年の憲法制定議会選挙以来初めてとなる、600議席全てを改選する総選挙の形で行われた今回の選挙は選挙制度の改憲に合わせた大規模な変更もあり、どの党派も手探りでの選挙運動となったが、結果的には選挙方針の差が如実に結果として現れる形となった。
旧来の二大政党の組織の大部分を引き継いでいる人民党・連合党は連邦共和国時代同様の下層労働者からのボトムアップ型の選挙運動を企図し、自主管理組織の代表委員の選出段階から自党候補の擁立を進めた。しかしながら、短い選挙運動期間で600の選挙区すべてに十分な影響力を及ぼすことは難しく、両党の戦略は結果に結びつかなかった。一方で、党組織の規模では両党に劣る革新党は自主管理連合組織代表委員クラスの人物の一本釣りによる得票を試み、トップダウン式に支持を広めた。結果的には同党の方針が功を奏した形になり、革新党の大躍進の一因となった。また、南の風も党組織は不十分であったために同様のトップダウン式を採用したのが功を奏したのか、改選前の4倍近くの議席を獲得する結果になっている。南の風の躍進は、南の風から離れて独自の選挙戦を展開した地方党にとっては逆風として働き、同党候補は現職のペンタ・ジャスパー代表を含め全員が落選するという厳しい結果に終わった。ペンタ代表は続投を表明したものの求心力の低下が著しく、同様の小政党の中でも地方選挙区からの鞍替えを成功させた民主前進党のシウィト・モスアゲート代表とは明暗が分かれる形となった。
レテン大統領、外交政策の再検討を表明
881年1月2日付〈中央通信〉
1日、レテン大統領は新年のビデオメッセージを発表、その中で外交政策の再検討を表明した。先の選挙における人民党大敗の主因は消極的な外交政策にあるとの分析を反映し、方針の転換を示した形だ。具体的な方針はメッセージの中では示されなかったが、人民党内では「革新党の外交政策は労働党時代と比べ急進化しており、FUN中心主義の中の穏健な立ち位置は空白になっている」という見方が広まっている。このため、FUN中心主義の大枠は革新党と共有しつつも、ややもすれば「国際の正義」のために国際的な摩擦を生じさせかねないユハル外交を引き継いだ革新党に対し、これを回避するための先進国協調主義を全面的に打ち出せば広い支持を得られる公算は高いとの判断に結び付く可能性が高そうだ。
但し、人民党と政策協定に関する協議を行っている革新党は、外交政策については外交委員長及び5名の外交委員会選出上院議員の方針に同意することをレテン政権に要求しており、人民党独自の外交政策を発揮するためには連合党との協力関係を選ぶしかない情勢だ。一方の連合党は南部への大規模な経済投資を人民党側に求めており、862年憲法下で南部の人口増が労働党に不利な結果をもたらした記憶が新しい以上この政策は北部の人民党支持層からすると受け入れがたいことから協議が難航している。人民党が先の選挙結果を受けて支払わなければならないツケは想像以上に大きい。
【国際】ガトーヴィチで帝位継承に関して騒乱。人民党下院議員「帝政廃止すればよい」と失言して謝罪。
【経済】西カーネリアン港、石油施設の事故が相次ぎ商品取り扱い国内シェア1位の座をクリソプレーズ港に奪われる