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社会主義評議会、対外向け声明を発表

1032年1月2日付〈中央通信〉

 社会主義評議会は1日、新年の談話に合わせて1020年の成立以来初めてとなる国際社会に向けた声明を発表した。12年前に反社会主義活動勢力が一斉に摘発され、社会主義評議会による統治体制が確立して以降、「国内情勢の安定のため」として海外に向けた情報公開は一貫して避けられてきたが、この姿勢を転換した形となる。ケレネ・カーネリアン社会主義評議会議長代理(中央処理委員長)が社会主義評議会を代表して記者団の前で声明を読み上げた。
 声明の基本的な内容は1020年以降現在に至る我が国における出来事を要約したのみで、特に目新しい事項はないものの、国際社会に向けた声明の発表そのものが重要な転機であると同時に、「外国勢力の介入」によって新体制が転覆されることはもはや起こりえないという評議会の自信の表れであると言えよう。

1020年以降の国内情勢まとめ

 1020年12月13日、第48回共和国議会選挙が目前に迫る中、エルネ・モスアゲート大統領(当時)及び複数の委員長、さらに200人以上の共和国議会議員(大半が連合党・民主前進党の議員)が内務公安委員会により拘束された。内務公安委員会はこれらの政治家を「人民の基本的権利を侵害した」かどで告発、かなりの数の候補が拘束されたことを受けて共和国議会選挙は延期されることになった。1021年内に中央処理委員会司法局は内務公安委員会の訴えを広く認め、エルネ大統領をはじめとする150人以上の被告に対して、国民の基本的人権の一部である「社会主義国家に生きる権利」を侵害し、あるいは侵害を試みたとして数年から十数年の禁固刑を言い渡した。その後も司法手続きは長期間継続したものの、1027年までにはすべての被告について判決が確定している。
 1021年以降、多数の政治家が拘束され国政の運営が困難になった状況で、中央処理委員会・内務公安委員会・軍部委員会の3委員会が中心となって暫定的な体制として社会主義評議会が設置され、すべての委員会の委員長が評議会に参加することとなった。委員長が拘束された委員会については社会主義評議会が「反社会主義的でない」人物を後任に任命し、評議会議長は9委員長が1年ごとに持ち回りで運営することとされたが、中央処理・内務公安・軍部の3委員会以外の委員長は当面評議会議長への就任を辞退し、これらの委員長の任期の間は中央処理・内務公安・軍部委員長のいずれかが評議会議長代理を務める形で運用されている。
 社会主義評議会は当初「1030年までの選挙実施」を約束したものの、「国内情勢が不安定である」ことを理由にたびたび延期され、現時点では選挙は行われていない。1020年に拘束されなかった共和国議会議員は活動を続けているものの、連合党・民主前進党系の残存議員の大半は「同僚が重大な犯罪を行った」ことを理由に政治活動を自粛している。残された、主に人民党・革新党・南の風に所属していた議員が「緊急議会任期延長法」を繰り返し可決することによって議会を維持している状況だ。
 社会主義評議会はエルネ大統領以下の拘束について、当初から「憲法を含んだ現行法上の手続きに完全にのっとっており、内務公安委員会の行動に違法性がないことは中央処理委員会司法局の判決によっても確かめられている」として「クーデター」という呼称を行わないように各報道機関に要請した。また、海外に対する報道についても差し控えるように求め続け、1032年正月の声明発表によってようやく対外報道が解禁される形となった。海外報道を差し控えるように求めた理由については評議会は明確な回答を行っていないが、国際社会の介入によって鎮圧されたセニオリス・クーデターのような展開を避けるためであったとささやかれている。

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