ルーンレシア帝国の政局は大きな転換点を迎えた。1181年11月18日に社会民主主義党の党内会議で穏健派が勝利し、党の改革路線が正式に決定されたものの、急進派はこの結果に猛反発し、乱闘騒ぎが発生した。
しかし、事態は党内抗争にとどまらなかった。同日夜、帝都リントの中心部で複数の爆発が発生し、政府庁舎や主要施設が急進派の武装勢力による襲撃を受けた。街の各地で銃撃戦が勃発。急進派は離宮の正門を突破し一時は中庭を制圧するも、皇帝陛下の殺害には失敗し、情報局と帝国軍の迅速な対応により急進派は鎮圧され、指導者らはその場で拘束された。指導者らはこの後、裁判を待つこととなる。
事件を受け、皇帝陛下は社会民主主義党の解散を正式に宣言され、社会主義禁止法の施行には至らなかったものの、帝国内では社会民主主義そのものを危険視する声が高まっている。特に、帝国が加盟するKPOとの関係を疑問視する世論が急速に拡大。「帝国はKPOに留まるべきなのか?今回の反乱はKPOの影響ではないのか?」といった声が政界でも強まっており、政府は外交方針の見直しを余儀なくされている。
帝国宰相ジークフリード閣下は「可能であればKPOに留まり、国際的な安定を維持することが望ましい。しかし、帝国の主権や価値観を損なうようであれば、脱退もやむを得ない」との見解を示している。 帝国の今後の進路について、皇帝陛下が下す決断に国内外の注目が集まっている。
社会民主主義党の解散を受け、政党間のバランスの変化
事実上の現与党の保守党と協力的であった社会民主主義党が解散に追い込まれたことは現政権を非常に不安定にさせている。上院では過半数を握るものの、下院では過半数割れを起こしており、上院優越の帝国議会も流石に民意の象徴たる下院の無視は許されない。こうした事情もあり、近々、皇帝陛下が下院解散権の行使に踏み切る可能性がある。
この解散にはKPOへの臣民の意を問う意味も込められている。現与党保守党が解散後も過半数を割るようならKPOへの臣民の信頼はもはや取り戻せない段階にあるということだ。しかし、現状では保守党は非常に厳しい選挙戦に望まなければならず、自由党の勝利の公算は高い。