【政治】政治結社「我らロムレー人民」代表選を実施
近年急速に存在感を増しつつある政治結社「我らロムレー人民」(一般的には「我ら人民」の呼び名を用いる)の代表選が1039年12月に実施した。この投票では、「ペンとルッコラ」を掲げるフェリシエンヌ・アナイス・ケクラン、対烈バックパッシング政策を追求するマルク・エルキュール・エミリアン・マルモン、「質問書主義」を主張するジャニーヌ・ロラ・ペラジー・ルコントの三人が候補となっていたが、「我ら人民」メンバーはケクラン候補が広く支持を集め、彼女が半数近い得票を得て当選した。
当選したケクラン女史は「我ら人民の意志を国政に反映する」と語り、中央議会議長を狙う意思を示している。
【政治】フェリシエンヌ・アナイス・ケクラン議長就任。「ルッコラ保護主義」の確立。
ダミアン・アドリアン・セザール前議長の退任に伴う議長指名投票が1040年11月に実施された。この投票においては、すでに「我ら人民」代表として既存五大党派に積極的にアプローチし、各党派の切り崩しに成功したフェリシエンヌ・アナイス・ケクラン女史の選出が確実視されていたが、現実にケクラン女史は自らのコアな支持層だけでなく主要党派からの票を獲得することに選出した。
一方、ケクランらのいわゆる「人民派」に対する批判票はアンリ・ジョナタン・カンテ氏に入った。カトリック修道士の出身であるカンテ氏は、「「良心の自由」尊重のための政教分離」を主張し、カトリックやカルヴァン主義共和派から一定の支持を集めた。また、ネリー・クロエ・スゴン女史も左派のラディカリストからの票を固めた。しかしながら、コーデクス主義者で超越主義者でもあるエリザベト・ヴァネッサ・ブランシェ女史は議会においても世論調査においても支持層を固めることに失敗し、ロムレーにおけるコーデクス主義・超越主義の退潮を露呈する結果となった。いずれにせよ、カンテ氏もスゴン女史も外交政策においては表立ってケクラン新議長に対して異議を申し立てることはなく、「人民派」のいわゆる「ルッコラ保護主義」政策は中央議会において合意された方針となったと考えられる。
【一問一答】ケクラン新議長の外交方針とは
就任記者会見においては、科学技術政策・文教政策・文化振興政策などに力点のおかれたケクランの演説であった。その語り口は概して柔和でエスプリに富んだものであったが、こと外交政策に関しては端的な説明が多くみられ、意図的に外交的消極主義の方針を分かりやすく打ち出したと考えられる。国際版ではそれらを抽出してご紹介する。
―1040年末に安保理一般理事国を退任したことについてどう考えるか。
「これこそ我々の総意、ロムレー人民の総意だ」
―自薦へと変更すれば続投は可能であったが。
「繰り返すが、これは我々の総意だ」
―セヴィニェ就任前後にも取り沙汰された一般理事国退任がなぜ今になったか。
「当時はまだ一般理事国の意味を過大評価する既得権益層も多かった。我々の活動の結果、そのような誤解はロムレーからは取り去られた。国際的にも、ベルクマリ圏の動きにみられるように世代交代の時期と相成ったのだろう」
―返り咲く気もないということか。同盟理事国としての復帰の可能性は。
「ない。我々の総意が何であったか、これ以上繰り返す必要を感じない」
―レゴリス外交について。
「今のところレゴリス人はルッコラ保護主義の同志だとみている。それ以外に我々がレゴリスに望むものは特に何もない」
―「我ら人民」の掲げる「同盟関係の「共同攻撃ではなくあくまで共同防衛」という理解」について。
「もはや戦乱の時代ではないということだ」
―カルセドニーなどSLCN・WTCOについて。
「我々は決して国際的な動乱を望むものではない。彼らの働きで国連体制は維持されており、そうあり続けることを歓迎する」
―R/O/Aについては。
「共和国がレーゼルシャフト参加国の地位を持っているのは、アンリエット期の「大国主義的誤り」の結果だ」
―脱退するということか。
「当然、そうなる。一般理事国退任の直後を予定している(※国際版配信前の1041年1月11日に脱退を実行)」
―セビーリャに関して。
「我らはロムレー人民であり、彼らはセビーリャ人民である。それ以上でも以下でもない。そして人民と人民の間には様々な協力の仕方がありうる」
―普蘭について。
「「ベルクマリ圏」。その名前の通り首唱国であろう。彼らの影響力は今後それにふさわしいものへと増大していくことだろう。結構なことだろう」
―そのベルクマリ圏について。
「彼らの視界に我々が入ることはないだろう。その必要がない」
―ヴェニスについて。
「コーデクス主義は特有の…いや、固有の不安定性を抱えている。…それをどう評価するにせよ、不安定が国際社会に波及するのは望ましいことではないのは確かだ」
【社説】「人民派」は存在するか、そして存在すべきか―長い別府危機の終わりに
カルヴァン主義共和派と自由思想派の二大党派、それに合理的規律派・重農=環境派・社会自由派を加えた五大党派からなる大連立体制。地球時代のスイスにおけるマジック・フォーミュラーを再現したこの体制は、共和国の体制が整った6世紀半ば以降安定したものであり、ラディカリストの勢力の拡大と縮小を横目にロムレーを支配してきた。セニオリス併合危機のような困難な状況もあったが、別府危機に至るまでついにそれが崩壊することはなかった。
別府危機のもたらしたものは、よく知られているように、破滅的なものであった。国際政治上の地位こそがロムレーの国益にとり究極的にはマイナスの結果を招くのであり、国際政治上積極的なロムレーを望む声というのは要はロムレーに対して何らかの負担を押し付けるものに過ぎないとロムレー人が理解してしまった以上、ロムレー議会政治は国際政治における逆機能を果たすことしかできない状況に陥っているし、そこにおいてはむしろ外交的消極主義-いわゆる「ルッコラ保護主義」-というものはロムレー国民が再び外交に無関心となるまでロムレーが国際社会に悪影響を持たないようにするものであるということもできるかもしれない。国際外交に積極的なロムレーという期待が世界から完全に消失するまで、ロムレー人はいくらでも待つことになるのだろう。
問題は、「ルッコラ保護主義」の担い手である。すでにセヴィニェやセザール期にはそのような外交的消極主義は国内で暗黙の裡に広い支持を受けていた。別府危機以前ならば―併合危機の後であっても―それでよかったはずである。しかし別府危機へのロムレー人の回答は外交的消極主義を宣言することで果たされるべきではないか、という疑念はエスタブリッシュメントほど強く持っていたように思われる。素朴に外交的消極主義を口にできるほどロムレー人は純朴ではない。そこには確信犯的意図がある。
この投票において「人民派」は確かに存在した。それはあたかも存在するかのようにふるまうことで存在した。しかし、これがどれほど堅固なものかを本紙の意見では疑問に思う。伝統的なロムレー議会主義が外交的消極主義の意思表示をできない、そしてその意思表示が必要である。そういうことになるからこそ形成されたものが「人民派」の幻であって、確固たる組織としての「人民派」は現在においてすらも中央議会に確固たる地歩を持っているとはいえない。
人民派はまるでポピュリスティックな支持によって議会で大勢力を獲得した、そのように語りたがる。確かに人民派を支持するロムレー国民はかなりの数に上る。しかし、彼らが現在大きな政治的力を持っているのは、人民派が存在するべきだということがエスタブリッシュメントの中で受容されてしまったからであると解釈するべきである。「人民」のレトリック、彼らが「総意」を言い募るのは、本当に総意を得たのではなくて、自らが単に中枢をハックした存在に過ぎないことを覆い隠すために過ぎない。
本紙は次の時代には再び、外交政策ではなく内政政策によって、つまり国民の福利をめぐって、再び中央議会議員の諸賢が論戦を繰り広げるようになることを切に願うのみである。
【オピニオン】肩の荷を下ろしたアトラス、あるいは今度こそ「大いなる退却」
別府危機直後、セヴィニェ議長就任時のロムレーにおいて話題となったのが、いわゆる「大いなる退却」である。
この時、共和国の安保理における役割は終わったとして一般理事国退任を容認する姿勢を示したセヴィニェ政権は、結局国際政治上の情勢に翻弄されて一般理事国の任を担い続けたが、当時にあってもすでに国民からは一般理事国続投に対する支持は弱々しいものにすぎなくなっていた。ロムレーに関係のない国際問題に対して、関係各国からの主張が飛び交う中で行動するという様式は、最初から国民の理解を得られるものではなかった。それでも、当初はアサンブレテよりはいくらかマシだったかもしれないが、別府危機以降はもはやそうではなかった。ただ、外交系・安全保障系のエスタブリッシュメントはセヴィニェ時代後期になっても理事国としての地位に価値を見出すことをやめてはいなかった。
ロムレーの外交政策に詳しい有識者からは、今回の「大いなる退却」は伝統的なロムレー外交からも結果的には逸脱していないという意見もある。本来、まだ自薦も決定していない段階からロムレーが一般理事国としての役割を受け入れることとなったのは、いわゆる「烈天加協調」を支持する立場であったためであり、新たな陣営を加えた新しい安保理においてロムレーが果たさなければならない役割はなくなるだろう、という意見がかつてより見られた。ベルクマリ圏という新しい同盟理事国選出陣営が出現したことで、伝統的なロムレー外交の立場からも共和国が安保理において果たすべき義理はもはや存在しなくなったということである。
それが正しいのかはわからない―人民派が正しいのか誰にも解らないように。しかし、ベルクマリ圏が国際秩序の担い手として名乗りを上げたからには、もはやロムレー人は二百年来抱えてきた重荷を譲り渡す、その心の準備は、セヴィニェから今に至る半世紀の間にロムレー人のなかで完了していたのだろう。
マノン・ナタリー・ル・シャプリエ
アンゼロット記念大学名誉教授。カーネリアン大学で哲学、アンゼロット記念大学で数学博士号、ほか海外の複数の大学で修士号。専門は数学基礎論。別府危機時代当時の国連大使。ジャニーヌ・ロラ・ペラジー・ルコントはアンゼロット記念大学での教え子で、ルコント自身が自らの加芹遊学は恩師の影響だと語っているが、政治的には互いに影響を与えていないと語り、現に人民派には中立的で、「その主張は良くも悪くもとてもロムレー的で、その手法は良くも悪くもロムレーらしくない」と評する。このオピニオンに先立ってのやり取りの中では自らの政治的立場を「どこに留学しても結局ロムレー人であることを辞められなかったロムレー人で、ロムレー議会主義の特異性を自覚したうえでの確信犯的な議会主義者」と表現した。
【オピニオン】ラディカリストたちの再編?
おそらく、今日ラディカリストと呼ばれる者たちの中で最も古い淵源を持つのは誰かを探るならば、それはむしろ建国期に遡るだろう。カルヴィニスムとカトリシスムの急進的なものについて調べを進めれば、今よりもはるかに宗教的な色彩の強い社会であった建国期のロムレーに行き当たる。当時世界的に大きな存在感を示していたゾロアスター教ですら、その総本山のエーラーン教皇国は試みなかったほどであった。しかしそれは6世紀前半の話であって、物質的に豊かではなかった移民船時代生まれの世代が減っていく中で、ロムレーも世俗的な性格に変化していった。それゆえに古い時代の用例では彼らはラディカリストと呼ばれないが、社会原理の根本的変革を求めるという意味では、現在のロムレーにとっては彼らはラディカリストと呼ばれるに相応しい存在である。
ここからはお馴染みの面々である。サンディカリストの由来はおそらく鉱山労働者の労働組合の中の非主流派にあった。「おそらく」というのは、結局のところロムレーにおいて「労働者」らしい労働者がずっと少数派であり続けたことであって、それゆえに主流派の記述からは古い時代の彼らの在り方が抜け落ちている。ただ、その後その中心的な担い手が官僚組織と軍事産業―つまり「強い国家」としての基幹―の労働者となっていったことは、サンディカリストに批判的な人々だけでなく彼ら自身にとっても皮肉なことであろう。
コーデクス主義に関しては、それがいつごろに確立された党派であるかははっきりしている。彼らには694年という象徴的な年号がある。コーデクス共和国が「統御民主主義」というモデルを宣言した日である[ロムレー報道] [コーデクス報道]。しかし実験国家であったコーデクス共和国はそれから四半世紀の間に自らの存在そのものを終わらせるという実験によって国家として消滅することになる[コーデクス報道]。コーデクス主義者の夢はこれで潰えたかに思われたが、消滅と同時にコーデクスの言語・政治に関する資料がもたらされたこと、そしてその資料には技術文書もふんだんに含まれていたことから、彼らはコーデクスの持っていたすべてを継承したものと自認し、実験国家ではなく完全な国家としてのコーデクスを甦らせるというプロジェクトが始動することになった。資料の分析も進んだ8世紀半ばにセビーリャが凍結期間を終えたことも新しい時代をもたらした。そしてその後の展開は、よく知られている通り、セビーリャ史と軌を一にする。
超越主義者はラディカリストになろうとしてなれなかった人々である。超越主義のモデルはロシジュアであるが、ロシジュアが超越を必要としたのは「君主のいない君主制」という根本的に内部矛盾を持つ問題に直面したからである。政治的超越主義の存在が大きいセニオリスには、資本主義と社会主義という経済体制における矛盾した要求があった。超越主義の勢力が大きいヴェニスは、そのような自己矛盾を持たなかったために、「超越」は政治・社会の方向ではなく個人の方向を向き、トランスヒューマニズムの一種としての側面を強めた。ロムレーにおける超越主義も概してヴェニスに近い。そのような理念はもはや社会運動ではありえても政治運動ではありえない。それゆえに、ロムレーにおいても彼らは潜在的ラディカリストにはなれてもラディカリスト党派にはなれなかった。
ロムレーにおいてラディカリストと呼ばれないがある種ラディカリストである存在として環境保護主義があげられる。私はこの党派に属しているから、これまでのような部外者の筆致を保てるかあまり自信がないが続けよう。彼らがラディカリストと呼ばれないのは、農民運動である重農派と奇妙な連合を形成しているからである。ロムレーは究極的には牧場の国であって、重農派には国家の基本原理を改変させる理由はない。同床異夢に思える奇妙な連合も、「美しき牧草地の国ロムレー」の素朴なイメージを抱える農民たちとその政策的なプランを描く環境保護主義者たちが互いを必要とする限りは存続するだろう。私は、ロムレー人の求める外交政策がどこにあろうとも、この夢は変わらないものだと信じている。
古い時代にラディカリストを語る場合によく扱われたものに、復古的無政府主義と評議会制共産主義がある。復古的無政府主義は現在では中央議会よりは在野の政治結社での活動が中心となっており、「我ら人民」のような組織のモデルを提供し、現在のロムレーにおいても無視できない存在ではある。一方、後者、評議会制共産主義が廃れた理由は明白である。ロムレーにおける評議会制共産主義とは議会主義の土壌のなかで共産主義を適合させる試みであったが、そもそも共産主義自体が近年フリューゲルにおいては下火にある。評議会制共産主義者の指導者が概して留学経験者であったことを思い起こすとよいだろう。
さて、よく知られているように、ロムレー史にはいくつかの「転換点」があり、その前後でラディカリストは勢力を増し、あるいは失う。720年、コーデクス共和国解散とヴォルネスク戦争はコーデクス主義者とサンディカリストを弱らせ、評議会制共産主義者にとどめを刺した。セニオリス併合危機は外交的な批判票からラディカリストの勢力を再活性化させた。別府危機の劇的な結果については論を俟たない。
さて、ケクラン議長が選出されて以来、ラディカリストの友人たちからよく聞かれるのは、コーデクス主義や超越主義とサンディカリストの明暗を分けたのが何かである。人民派の台頭によって中央議会におけるコーデクス主義や超越主義は色を失ったように見える。サンディカリストはそれに比べるといくらか勢力を保っている。
私の考えでは、コーデクス主義や超越主義は既成外交のオルタナティヴを提供するものであったが、ロムレーの国際外交上の役割を見ていたように思われる。「CDX」や「超越」といったものが、国際問題における解決策になる、という考えである。しかし、もはやロムレー国民は国際問題を解決すること自体への関心を失っている。さらにはコーデクス主義も超越主義も外国のものであって―「コーデクス主義」「超越主義」の成立自体におけるロムレーのコミットを無視するのは奇妙なことではあるが―ロムレー起源のものとはみなせない。ここにおいてはラディカリストは解決策になれなかったのだろう。
なお、カトリシスムやカルヴィニスムの存在感の一定の回復もこれと似たところがある。「国際政治」に倦んでいるロムレー人が、内面の問題へと退却していくのはわかりやすい流れである。ここにエキュメニズムを見てはいけない。彼らが求めるのは観想であって宣教ではない。
バティスト・ルドワイヤン
ロムレー大学教授。法学博士(ロムレー大学)。専門は環境法。熱烈なセヴィニェ主義者で、大気海洋局長時代のセヴィニェに影響を受けて専門を選んだとのこと。レーヌ・リディ・スゴンの後輩にして学友で、ネリー・クロエ・スゴンの指導教員。エリザベト・ヴァネッサ・ブランシェもルドワイヤンの演習を受講している。ルドワイヤン家は移民船時代のアンゼロット記念大学創設に携わった法学者一家(ウィリーツェン会談でのテランス・ルドワイヤンの活躍などが有名)で、現在においても法学や教育学の専門家を輩出し続けている。
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