各地で過激デモによる被害
942年9月、首都をはじめとした各地でデモが発生、一部は過激化し混乱と被害が生じている。
各デモは事前届のない集会であったものの、議会選を間近に控えていたこともあり、行政側は当初これを黙認していた。
「人民大衆の政治に対する訴えを規制するような動きは極力控え穏便に・・・という国家評議会の意向もあり、人民警察にもその旨が示達されていた」(復興省国土局関係者)
首都でデモ活動を行っていた集団は、補修工事が完了したばかりの人民議会議事堂前で「軟弱者の政府はいらない」「スラヴ同胞と力強く歩むべし」等とシュプレヒコールをあげていたが、見物人から「間違った戦争を繰り返したいのか」「瓦人の手先」と批判を浴びるや口論に発展。
この時点で、遠巻きから見守っていた警察官が集団に解散を命令したが、集団側はこれを拒否し、警察官に危害を加えた他、議事堂に向けて火炎瓶のようなものを投げ込むなどした。
救援に駆けつけた警官隊により数人が逮捕されたが、他多数が現在も逃亡しているという。
議事堂は壁の一部が焦げたが、大きな損傷はなかったほか、負傷した警察官の命に別条はないという。
各地域でも同様の事象が発生し、市民や一般家屋にも被害が出ているとの情報もあるが「現時点で報告できる事項はない」(復興省国土局)としている。
10月、復興省国土局は、市民に対して不明な集団に近づかないように注意を呼びかけたほか、許可のない夜間外出の禁止を発表。また当面の間、市街化地域の主要なエリアで、人民警察並びに国家人民軍地上軍部隊による警備を強化するとしている。もっとも、国家人民軍は再建されていないので、その対処能力には疑問が残る。
ジダーノフ首相 労働党書記長辞任
11月、国家評議会はジダーノフ首相の意向として以下のように伝えた。
「今回のデモ事案による選挙日程への影響はない。純粋社会主義の根源である民主主義への歩みを我々が止めることはない。3党合意に基づき942年12月または943年1月にも実施することになる」
「歴史的議会選を前にして、このような混乱が生起したのは誠に遺憾であり、責任は国権の最高責任者である自身にある。国家評議会議長としての職責は全うするが、労働党書記長を辞任する。選挙には新たなリーダーの基で臨むことが、党と国家の行く末にとって最良と判断した結果であり、既に中央委員会に通告した」
ジダーノフ首相が労働党書記長からの辞任を表明したことに併せ、労働党中央委員会は、書記を務めているエレーナ・ザラフィアンツを新たに指名したことを明らかにした。
今回のデモにスラヴ主義が関与している可能性が報道されたこともあり、過去ガトーヴィチに関連した政策で、国内外からの信用を失墜させた労働党にとって、このまま議会選を戦うのは厳しいという判断が働いたのだろう。
新たに書記長に就任するエレーナ・ザラフィアンツは、労働党にとって史上二人目の女性リーダーとなる。
長らく政権党の地位にあった労働党だが、末期の活動鈍化、外交安全保障政策での失政を受け、今回の議会選では苦しい立ち位置にある。
エレーナ・ザラフィアンツ 労働党書記/軽工業部長 南行政区ブイストルイ市出身。 ノルシュテイン総合大学卒業後、工商計画省に入省。地方生産統制課長、通商計画課長等を歴任したのち退官。退官後はヴェールヌイ鉄道で副企業長を務めるなど経済畑に強いとされ、労働党中央委員会の軽工業部長として招致され、現在は中央委員会書記。
*労働党の中央委員会は、党の意思決定機関。党大会で選出された複数人の幹部で運営され、その長が書記長であり、党首にあたる。書記長を除く選出幹部の役職が書記である。
共和国とスラヴ主義
ガトーヴィチの脅威(ブルースター紙特集)
今回のデモは、民族主義ナショナリズムを唱えていたことから、スラヴ人優越思想、所謂「大スラーヴ主義」の影響を受けた集団によって行われたと考えられます。
700年代から国家停止に至るまでの状況と、現在には複数の類似点があります。
本日は、共和国におけるスラヴ主義の浸透、ガトーヴィチ帝国による対別工作活動、それがいかにして破滅的結果を招いたかを振り返ります。
700年代、ガトーヴィチ(以下瓦)で生起した国際的なスラヴ民族主義運動が共和国世論を大きく扇動していました。
当時の共和国は、レゲロという事実上の経済植民地を失い、外交力も低下の一途を辿って、人民の不満が最高潮に達しており、これが民族主義ナショナリズムの高揚に結びついてしまったのです。
714年11月には、ついに共和国全土で政治デモが発生します。
このデモは「ベルーサ民族主義労働連合」なる団体により組織的に引き起こされたものであることが、後に判明しています。
ベルーサ民族主義労働連合は、スラヴ主義を推進する国際政治団体「スラヴ連合」(706年7月結成)にヴェールヌイ人を代表して参加したとされる組織で、スラヴ連合が当時の瓦政権党である帝国発展党の主導で設立された事と同様に、瓦国の対別工作の一環で作り上げられたものだと考えられています。
この全国規模のデモは全土に多大な被害を与え、それまでの抑制的だった社会情勢は一変し、政府と国民ないし国民間の軋轢を生じさせました。
スラヴ連合は「ヴェールヌイ社会主義共和国における大スラーヴ主義の発露について」という声明を発し、共和国における混乱が「労働者としての共感のみに基づく団結を求められたヴェールヌイ国民の疲弊」と断じ「社会主義と大スラーヴ主義は両立できる」と煽り立てました。
スラヴ連合によるこの声明は、純粋社会主義と国際的制度として構想された旧来社会主義との混同が随所に見られはしたものの、純粋社会主義の本質的弱点について的確につかれていた事から、特異な海外報道であり、共和国にある程度精通した者により書かれたと思われます。
人民警察と国家人民軍によってデモは鎮圧されたものの、以後、政府はスラヴ主義の影響を無視できなくなったばかりか、疲弊一方の共和国の活路としてスラヴ主義を見出す論調が、労働党内からもあがるようになったのです。
720年6月、瓦国がヴォルネスク解放を名目にノイエクルス連邦に宣戦布告すると、共和国も同様に宣戦。(ヴォルネスク独立戦争)
有史以来はじめて不安定地域への治安維持や、自国防衛を目的としない軍事行動に踏み切ります。
「早期集結による関係国の被害抑制」を名目に掲げていたものの、何らかの協約に基づき瓦国に追従したのは明らかであり、共和国の参戦は、結果的に機構軍(SSpact-ヘルトジブリール)を対ノ戦に引き入れる役割を果たしていました。
いかに当時の共和国が、瓦による政治工作により誘導され、その影響下にあったかということでもあります。
この対ノ宣戦は、スラヴ主義が蔓延していたとはいえ、本紙をはじめ、国内殆どのメディアで批判的に取り上げられ、国内に被害が発生したことも影響し、大衆の支持を得るには至らなかったばかりか、計り知れない外交的損失を被ることになり、政府の機能低下に拍車をかけました。
これがきっかけで、有史以来はじめて労働党が議会で過半数を割り、文化自由連盟と連立。連盟主導のもと、民族主義活動家に対する締付けが実施されました。
これ以後共和国は、国際で目立った活動を行えるだけの力を失い、自給経済を背景に半鎖国状態に陥ることになるのです。
753年4月、文化自由連盟が、疲弊し続ける政治経済状況に憂慮を表明して、対ノ宣戦に至る意思決定プロセスを追求していくことを表明すると、グムラク市で武装集団によるテロが発生、港湾設備と工業生産施設に大きな被害が発生します。武装集団は西行政区で破壊活動を行った後、中央行政区(首都方面)に侵攻、待ち受けていた地上軍と交戦し、鎮圧されました。既に崩壊の瀬戸際にあった自給経済にこれは致命傷となりました。この武装集団の正体は今を持って明らかになっていませんが、共和国はほどなくして完全に機能を停止することになったのです。
共和国を対ノ宣戦にまで踏み切らせた当時の政府官僚は、停止後に渡瓦、後の民主帝国体制に関与していたとされているものの、その後の消息は不明となっています。この事からも、瓦国の工作は世論誘導に留まらず、ある時点から官僚やそれを指揮する労働党関係者まで及んでいたことが窺い知れます。
今回発生したデモによる被害は、当時ほど大規模なものでなかったほか、組織化されたものであったかは不明であるものの、再建復興が700年代以前の共和国への回帰を意識させるものであること、改めて連盟が停止要因についての総括を方針として掲げていることから、これを良しとしない思想を持つ集団が、依然として一定規模で国内に残留または浸透していることを明らかにしたと言えるでしょう。
再建復興の道を歩む共和国は、多くの国々と友好親善を図っていかなければなりません。
その中でも、瓦国は同胞国家として、共和国人民から一定の親近感をもって認識されてきた国であり、その共通項を通じて双方を良き友人として捉え、関係を構築することができる土台があります。
942年1月に瓦国のインターリ先帝が病床に伏した報道を受けて、共和国政府として見舞いを送った他、その後崩御された際にも、諸外国よりも早く弔意を発し、アパラート君帝戴冠式に元首級を派遣する対応を採ったことは、今回特集した700年代の経緯があってもなお、友好関係の構築を目指すメッセージでした。
しかし瓦国最大メディアである帝国新報は、諸外国の弔意や参席を報じる中で、共和国のみを除外(指摘を受け現在は一部修正されている)しており、友好のメッセージは思わぬ形で突き返される結果となっています。
帝国新報は本紙の照会に対し、「リスト順序上漏れてしまった」と処理上のミスと回答している。ただし、実際には秋津国が共和国よりリスト上一段上にあった為、共和国を非掲載としたことは意図的なものであった可能性が高い。
取材に対し復興省は「報道は承知している。それ以上コメントすることはない。」としている。
再稼働した共和国に対して、なおも圧力をかける瓦国の姿勢は、今回のデモ事案との関連性を警戒するに足る状況といえるでしょう。
本紙は、選挙後の新政権が共和国の理想を取り戻し、国際社会と強く連帯し、その地位を回復させることを望むものでありますが、平穏に見える情勢の中でも、共和国に厭悪の眼差しを向け、望まぬ変化を画策する勢力が歴然と存在していることを認識し、過去の過ちを繰り返さぬ為にも、これに毅然と対応、防衛策を講じることを同時に求めるものです。
記:ガラ・ガシヤノフ(ブルースター紙 解説委員)