912年12月29日付〈中央通信〉
28日に行われた大統領選挙上院投票はシジト・カーネリアン技術委員長が革新党・連合党を中心に上院議員票のうち28票を押さえ、17票にとどまった人民党・ハルシ・サードオニクス住環境委員長を上回って当選を果たした。シジト技術委員長は現憲法下初めての革新党系大統領となり、また、一般投票で首位得票を得た候補が上院でも支持を受けて実際に大統領に就任することも現憲法下では初めてとなる。
シジト技術委員長は上院の投票結果が公表された直後に記者団に対し「長い闘いの1つの通過点に今到達した」と語り、レテン・ウェストカーネリアン前大統領、テンク・モスアゲート大統領と2代36年にわたって続いた守旧派による行政府支配終焉の先を見据えた。憲法に保証される1回の再選を含め、924年まで12年にわたる任期はヘルトジブリール・トルキーの宇宙移住によってFUN発足後最大と言っていい急速な変容を見せるフリューゲル社会に対する積極的なアプローチに費やしたいとし、FUN総会における国際協力の進展に対する期待ものぞかせた。一方、革新党は910年の共和国議会選挙で第1党を維持したものの単独過半数を失っており、シジト新政権の円滑な政権運営のためには他党の協力が不可欠となる。シジト技術委員長自身はこの記者会見で連立相手を明言しなかったが、革新党幹部の発言を見るに「革新党の外交政策を重視する政権の都合上、明瞭に外交政策で対立する人民党・連合党との全面協力はできない」として外交政策に関する主張の弱い南の風を主要なパートナーとする方針のようだ。
敗れたハルシ住環境委員長はテンク大統領に抜擢された人民党系委員長という立場を利用して人民党票を固めたうえで連合党に支持を広げようと試みたが、連合党の立場を重視しないテンク大統領自身に対する懸念や、シジト技術委員長の主張する外交政策が「国際協調」を基盤としており連合党にとって受入不可能なものではなかったことなどを理由に連合党系上院議員はほぼ完全にシジト技術委員長の支持に回ったため及ばなかった。910年共和国議会選挙で人民党が議席を伸ばしていたことは追い風であったが、極左孤立主義的な人民党の政策を前面に打ち出した態度は革新党はもちろん連合党支持層からもそっぽを向かれるに至った。長時間の記者会見に応じたシジト住環境委員長とは対照的に、こちらは上院の投票結果が明らかになった直後に人民党本部に移動し、記者団の質問には答えなかった。
隕石群落下により被災者650万人以上
911年12月2日に国内8ヶ所に隕石群が落下、912年9月14日にもウェストカーネリアン市中心部に中規模の隕石が落下した。911年の隕石群はアメトリン市中心部を直撃した断片が最大の被害をもたらし、同地域の推定300万人が家を失ったとされる。ムトロライト市・モスアゲート市郊外に落下した断片の被害も甚大であり、これらを総計した被災者は350万人超、912年9月の隕石を含めると650万人超と推計されている。テンク大統領は12月の隕石群落下直後に1ヶ月間の非常事態を宣言し、供給不足から流通を制限していた石材の政府備蓄を大規模に放出するなどして復旧に当たっているものの、912年末現在各地域の復興は未だ不十分な状態となっている。隕石群の立て続けの落下の原因は迎撃衛星の整備不良ではないかと指摘する声も上がっており、912年9月の落下の直後にはクァラト・カーネリアン軍部委員長が記者会見での釈明を余儀なくされている。
なお、12月の隕石群落下直後にロムレー湖畔共和国より食料・食肉を中心とした大規模な支援物資が提供され、被災者への炊き出しなどに活用された。905年の「燃料危機」の際に続くロムレー政府からの支援について、外交委員会はタイク・コーサイト外交委員長の名義で支援への感謝を声明した。また、912年9月の隕石落下後にはガトーヴィチ民主帝国政府から建材5000万トンが提供されている。
スルガの人道危機について安保理討議
912年後半、ガトーヴィチ民主帝国の提案により「スルガ国内の人道危機への対応」がフリューゲル国際連合安全保障理事会における議題として取り上げられた。スルガ国内では貧困層や認知症患者などの社会的弱者への抑圧が著しく、また、政府がこの抑圧に積極的に関与していると同国において報じられていたことからガトーヴィチ政府がこれを国際問題として安全保障理事会に提起した形だ。安全保障理事会にオブザーバーとして招致されたスルガ代表(政府代表と「市民代表」であるところの皇太子の両名)は社会的弱者がスルガ国内で厳しい環境に置かれていることを認めたうえで「彼らは働かないのが悪い」と社会的弱者をこき下ろした。
これを受けてガトーヴィチ代表は安保理構成国からなる調査団をスルガに派遣する決議案を提出した。理事国もおおむねその内容に賛意を示しており、スルガ代表も調査団の派遣自体を拒む意思はないとしたため、詳細が詰められ次第決議案が安全保障理事会を通過する公算が高い。
シジト新政権発足
913年1月9日付〈中央通信〉
委員長 | 氏名 | 備考 |
中央処理委員長 | イルト・デマントイド | 無派閥、新任 |
内務公安委員長 | セレハ・シトリン | 人民党系、2期 |
軍部委員長 | クァラト・カーネリアン | 革新党系、2期 |
動力委員長 | エルナンド・ロサス・ペルニーア | 無派閥、3期 |
生産搬送配給委員長 | ケレス・モリオン | 革新党系、2期 |
住環境委員長 | カシア・アメトリン | 革新党系、新任 |
研究設計委員長 | トレン・ブラッドストーン | 連合党系、新任 |
技術委員長 | ドーア・クリストバライト | 連合党系、新任 |
外交委員長 | タイク・コーサイト | 連合党系、2期 |
大統領選挙の競合相手であった人民党の系列に連なる委員長は一気にその数を減らすことになった。選挙の対抗馬であったハルシ・サードオニクス住環境委員長、大統領候補の経験もありこれまで4期24年を務め委員長の中でも重鎮であったコーア・トリディマイト研究設計委員長が引退、後任にはそれぞれ革新党系のカシア・アメトリン上院議員、連合党系のトレン・ブラッドストーン上院議員が任命された。また、カケナ・クリソプレーズ中央処理委員長も引退、後任には「中道派」であるイルト・デマントイド上院議員が任命されている。これにより改選前は4人いた人民党系の委員長は留任したセレハ・シトリン内務公安委員長ただ1人となった。一方で、革新党系の委員長も先述した通りカシア・アメトリン住環境委員長が就任した一方でシジト大統領自身の後任となる技術委員長は連合党系のドーア・クリストバライト上院議員が任命されたため総数としては3人で変化しなかった。これに対してこれまでタイク・コーサイト外交委員長ただ1人であった連合党系の委員長が研究設計・技術の両委員会に任命されたため連合党系の委員長は3人に増えることとなった。
革新党は連合党との連立を選択する意思はないようであり、この任命はシジトの意思であるとみられている。大統領選挙自体は「複雑さ」の解消が目指されたが、行政府中枢におけるパワー・バランスの複雑さは維持されているようだ。
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