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与党大敗、革新党単独過半数獲得

900年12月26日付〈中央通信〉

 今日は歴史が動いた日であると言えよう。25日に投開票が行われた第36回共和国議会選挙(下院総選挙)は、ここ20年間の傾向を引き継ぎ革新党がさらに勢力を伸ばし、ついに単独過半数を獲得するに至った。レテン前大統領時代の880年から20年間にわたって続いた人民党・連合党両党による連立政権の枠組みはとうとう崩壊し、テンク大統領は早くも政権運営のために革新党との政策協力を打診している。テンク大統領は連合党出身であることから、連合党ー革新党連立を構想しているとみられているが、FUN中心主義を強く掲げている革新党と、WTCOなどの友好国との外交関係を重視する連合党の外交政策上の隔たりは大きく、特に左派色の強い革新党幹部などは近年著しい瓦天対立において露骨にガトーヴィチ寄りの態度を取ってきた連合党への嫌悪感を隠そうともしない。外交委員会をほぼ牛耳っているという連合党サイドの強みもあるとはいえ、革連両党がこの点で政策の一致を見ることについては非常に悲観的な観測が広まっている。
 革新党はテンク大統領に突きつける政策協力のための要求条項の作成を急いでおり、テンク大統領を事実上「お飾り」にして、実質的な政策決定権を確保したい構えだ。連合党主流派からは「たとえ政権がレームダック化するとしても、革新党の要求の中で連合党と相容れないものについては大統領が拒絶すべきだ」との声も上がっているものの、人民党との連立のために党主流派から距離を置き始めていたテンク大統領が党の理念に殉じるかは不明瞭で、場合によってはテンク政権は事実上の「革新党政権」となる可能性がある。
 革新党の地滑り的勝利の裏で南の風も議席のおよそ半分を失い、「旧連合党系」の議会勢力は連南両党を合わせても議会の4分の1、150議席を割り込んだ。これは803年改憲によって「サンディカリスムと右翼の結合」としての連合党が形成されて以来最低の数字であり、南の風の躍進によって共和国に自由主義の風が吹いたと見られた先の選挙とは真逆の結果となった。このような変化の背景としては、898年のストリーダ王国の消滅に伴う商品取引先の組み換えが結局ヘルトジブリール中心に進んだ(ヘルトジブリールとの貿易量は60兆Va相当増えた一方ガトーヴィチとの貿易量は25兆Va相当しか増加していない)ことが、「共和国経済のヘルトジブリール依存」という否定できない事実を経済界に思い起こさせたことが要因の1つであると指摘されている。連合党や南の風はWTCOを通じた途上国への工業化支援などを活用して「ヘルトジブリールに依存しない」経済体制の構築を唱えているものの、テンク政権下でそれは全く実現せず、また将来実現する見込みも示すことができなかった。そのような状況下では「反天的」な右派の外交政策は「実現不可能なもの」でしかなかったのである。
 連合党系の退潮は別の面でも示された。現憲法成立後初めてとなる共和国議会選挙と同時の各委員会委員長の入れ替えにおいて、連合党系委員長4人のうち留任を決めたのはシンナ・アメシスト外交委員長1人だけであり、人民党系5人のうち3人が留任を果たしたのとは対照的な結果となった。テンク大統領は公認委員長の任命を進めることになるが、革新党は政策協力の条件として委員長の人選にも口を出しており、大統領の意思がどの程度反映できるかは不明である。

テンク大統領、革新党との政策協力受け入れ

901年1月7日付〈中央通信〉

委員長氏名備考
中央処理委員長カケナ・クリソプレーズ人民党系、新任
内務公安委員長セレハ・シトリン人民党系、新任
軍部委員長リネル・デマントイド人民党系、2期
動力委員長エルナンド・ロサス・ペルニーア無派閥、新任
生産搬送配給委員長ヤロク・ヘリオトロープ革新党系、新任
住環境委員長レトネ・ブラッドストーン人民党系、2期
研究設計委員長コーア・トリディマイト人民党系、3期
技術委員長シジト・カーネリアン革新党系、新任
外交委員長シンナ・アメシスト連合党系、2期

 テンク大統領は6日、革新党との政策協力を受け入れ、生産搬送配給委員長及び技術委員長の後任に革新党系上院議員を指名することを発表した。中央処理委員長・内務公安委員長にはそれぞれ人民党系のカケナ・クリソプレーズ及びセレハ・シトリンが、動力委員長にはカルセドニー革命以降初めて非カルセドニー系のエルナンド・ロサス・ペルニーア(セビーリャ系)が指名され、連合党系の閣僚は留任したシンナ外交委員長のみとなったテンク政権はある種人革連立のような様相を呈することになった。
 5つの現職者が退任した委員会のうち革新党系に取って代わられたのが2枠にとどまったのはテンクの交渉力や革新党の配慮というよりも、各委員会の政治的枠組みによるものが大きい。人民党の勢力が著しく強い中央処理・内務公安の両委員会の上院議員はほぼ完全に人民党系で占められており、革新党サイドも強く就任を要請すべき人物がいなかったことから、テンクに指名先が一任されることになった。また、動力委員会は上院議員4人が一斉に引退、委員長に任命可能な人物がペルニーア氏1名だけであったことから、そもそも議論の余地がなかった。
 ペルニーア新動力委員長は「単一の巨大企業としての社会主義共和国」という共和国の経済体制に対する特殊な理解を提案している。合わせて、現在は各委員会の部長クラスにとどまっている「上級役職の上位選任制(=大統領が委員長を、委員長が上院議員を任命するように、各役職者が選挙ではなく上位の役職者によより任命される制度)」を可能な限り下の階層に拡大し、究極的にはあらゆる共和国の自主管理組織代表委員がより上位の代表委員により任命されるべきであると主張している。連合党系のサンディカリストなどからは「下層労働者からのボトムアップという自主管理社会主義の根本を破壊するものだ」という批判の多い計画であるが、人民党の一部からは支持する声も上がっており、興味深い人物が委員長に就任したと言えよう。

北海地域における選挙結果報告書公表

 フリューゲル国際連合安全保障理事会第18号決議に従い、北海地域における選挙監視にあたっていたFUN事務局による報告書が公表された。報告書はラウラ・ディーツゲンFUN事務総長の下に任命されたハイデマリー・シェーレンベルク選挙監視団団長の名義で公表され、北海地域の選挙活動がおおむね民主的な手続きによって実施されたとみなし得ることを述べている。
 安全保障理事会によって改めて北海事変に対してリアクションが行われる予定は現時点では存在しないが、北海連邦亡命政府を内部に抱えており、大北圈連帶聨邦あらため帝政北海聯邦の正当性を否認していたガトーヴィチ民主帝国がこの報告書の公表を受けて国交関係の正常化を打診していることから、北海地域においては民主的な政権が成立したという事実は国際社会の共通認識になったと言っていいであろう。
 シンナ外交委員長は「北海地域に関する国際騒動は本報告書の公表で完全に終了したと言ってよい」と述べ、報告書の公表を歓迎している。一方で、共和国は旧北海連邦とも国交を有しておらず、外交委員会は国交を打診する可能性については「現時点では考えていない」という立場を崩さなかった。一部からは「国名の頭に”帝政”の2文字が付いたことについて懸念が示されたもの」という評価もなされているものの、外交委員会は国交打診を行わないとした理由については回答を避けている。

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