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【帝室】ヴェールナヤ君帝陛下崩御/【帝室】グリブノーイ君帝陛下御即位/【帝室】先帝陛下御大喪挙行せらる

【帝室】ヴェールナヤ君帝陛下崩御

Ее Величество Верная Блокнотовна Рисова — Императрица Всеготовитская, Царица Эстерская, Великая Княжна Белоготовитская и Княжна Сазанбергская
全ガトーヴィチの君帝、エステルのツァーリ、ベロガトーヴィチの大公にしてサザンベルクの公——ヴェールナヤ・ブラクノートヴナ・リーソヴァ陛下

畏くもヴェールナヤ君帝陛下に於かせられては、1130年ヴィクトル91年9月11日、帝居に於いて崩御有らせられた。御在位九十二年は、帝国史上最長である。ヴェールナヤ君帝陛下の御世「ヴェルンシチナ」には、帝国はかつてない平和と安寧の時代を享受した。これはヴェールナヤ君帝陛下の御稜威によるものと考える国民は多いようである。

君帝陛下の崩御の報に対し、セニオリス連邦とカルセドニー社会主義共和国より弔意を頂いた。

【帝室】グリブノーイ君帝陛下御即位

Новый Его Величество Грибной Викторович Аппаратович Рисов — Император Всеготовитский, Царь Эстерский, Великий Князь Белоготовитский, и Князь Сазанбергский
全ガトーヴィチの君帝、エステルのツァーリ、ベロガトーヴィチの大公にしてサザンベルクの公——グリブノーイ・ヴィークトロヴィチ・リーソフ陛下

イヴァングラート大公・グリブノーイ殿下には、第二十九代君帝に御即位遊ばされた。グリブノーイ殿下は、ヴェールナヤ君帝陛下の皇太子に有らせられる。また、元号は皇妃の御名をとり「アヴローラ」と制定された。

【帝室】先帝陛下御大喪挙行せらる

祈願式

先帝陛下御大喪 祈願式

ヴェールナヤ先帝陛下御大喪は1131年アヴローラ2年3月21日、イヴァングラート市にある救世主ハリストス大聖堂にて荘厳に執り行われた。この日は国民の休日とされ、全局で御大喪が生中継された。特別にしつらえられた祭壇には、紫色の絹布を掛けられた先帝陛下が玉体そのままに安らかに有らせられ、グリブノーイ君帝陛下を先頭とする帝室の御方々は列を為して先帝陛下のもとへお歩み遊ばされ、枕元に着くと静かに御落涙有らせられた。新コンスタンティノーポリ・イヴァングラート及び全地総主教ヴィノグラート2世猊下の主宰により正教に則った儀式(祈願式)が執り行われ、帝国歌の斉唱で締め括られた。

葬列式

先帝陛下御大喪 葬列式
田の中の救世主教会(西イヴァングラート県)
帝居マリヤ宮(西イヴァングラート県)

次に先帝陛下は柩車に運ばれてイヴァングラート市内、田の中の救世主協会(西イヴァングラート県)・帝居マリヤ宮(同県)を順次巡幸有らせられた。御葬列の経路には交通規制が敷かれ沿道には警視庁の発表によると54万人の帝国民が押し寄せて先帝陛下を見送った。道中には帝国軍吹奏楽団各隊が分散配置され、無線で絶妙に時間をはかりながら、アシュルモフ氏による大喪曲「Syndomyの極(きわみ)」を演奏した。

埋葬式

帝居マリヤ宮に隣接するインターリ陵

柩車なる先帝陛下は、曾祖母インターリ君帝、祖父アパラート君帝、父ブラクノート君帝がおわしますヴァルヴァルストヴォ県は御陵(インターリ陵)に行幸有らせられ、ここをついの御座所として御安眠遊ばされた。

インターリ大聖堂(左上)、旧ネオ下北沢帝国産の銀を用いたイキスギウス8世像に程近い新アパラート大聖堂

インターリ君帝およびアパラート君帝崩御の際には、帝国北西部アスタリノイ県にそれぞれ大聖堂が建設されたが、先帝陛下には、ブラクノート君帝と同様に、生前大聖堂の建設を固辞有らせられた。

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