【政治】
保守党が下院でも第1党に返り咲き
帝冠党は議席減 帝国戦線の分離も影響か1198年総選挙、政権は保守党中心に継続へ
1198年の下院総選挙の結果、保守党が205議席を獲得し、下院でも第1党となり、当然政権を引き続き主導する見通しとなった。
保守党は、反KPOを中心とする外交・安全保障政策において明確な路線を打ち出し、帝冠党の親KPO路線に嫌気が差していた右派層を着実に取り込んだ。一方、前回選挙(1194年)で第1党になり政権与党の座を手にした帝冠党は148議席と大きく後退した。帝冠党の退潮には、前回総選挙後に発生した党内右派勢力の分離・帝国戦線の結成も少なくない影響を与えたのだろう。
帝国戦線は帝冠党の保守派を母体として独自に旗揚げされたが、今回の選挙で80議席から49議席へ減少したものの影響力は得られるだろう。伝統と秩序の強調を前面に出した選挙戦で、帝冠党の一部従来支持層を取り込む結果となった。これにより帝冠党の議席数は圧縮された形だ。
帝冠党党首は結果を受けて「分裂の影響は否定できないが、我々の理念は引き続き支持されている。今後も現実的な保守政治の再構築を目指す」と述べ、巻き返しに意欲を見せた。
自由党はを18議席を得たが過去の二大政党時代の面影はほとんどない。社会民主主義党は39議席と大躍進した。クーデターで社会主義に対する嫌悪感は少し緩和されたとみるべきなのかもしれない。全体として左右の急進派が一定の存在感を見せたとも言えよう。
KPO脱退とイスタシア問題
1198年1月をもってKPOからの脱退を果たした帝国であるが同時期、イスタシアでも独立に際して国内制度の審議と選挙が行われようとしていた。
誰から見てもイスタシアは親KPOでKPO側も明らかに親イスタシアといった状況であったが帝国政府はイスタシアから提唱されたアイドル君主制について強い警戒心を持ち臨んでいた事が分かった。つい先日帝国政府から軍の戦時レベルを準戦時レベルまで引き下げたという発表があったがそれはすなわちこれまで戦時レベルであったことが分かる。これは我々臣民には報道されておらず、驚愕の事実であった。
カール宰相閣下は記者会見の際、「イスタシアがアイドル君主制ないしそれに似た体制で独立した場合、KPOと争うことになってもイスタシアを更地にしてやるつもりであった。君主制について教えてやろうと思っていた。」となかなかに過激と言える発言があった。これはKPOと争う可能性、戦争まで視野に入れていたことを意味するのかもしれず、帝国政府はKPOを友好国とは評価していないのかもしれないのである。先のイスタシア報道にもあったが対KPOも踏まえて世界大戦に備えるべきなのかもしれない。