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ブラクノート第27代君帝即位/レゲロ再建 他

瓦でブラクノート大公が第27代君帝に即位
正教問題に前のめりの連盟は思慮分別を(社説)

987年9月30日、神聖ガトーヴィチ帝国マリア宮において、ブラクノート君帝の即位戴冠式が執り行われた。共和国からはコズイレフ首相、外相、駐瓦大使が参列した。
この様子は瓦国の全局で生中継され、共和国においても公共放送で放映された。
共和国の女性労働者の間では「新しいツァーリは、先帝と同じクールな感じにニヒルさを足したお顔でカッコイイ」と評判だ。

ヴェールヌイ人の瓦帝室に対する関心は年々高まる一方である。
記憶に新しいものでは、故バリニーツァ大公女が国民的人気を博し、楽しい人柄もあって、その発言は必ず取り上げられていた。
過去にも、インターリが病床に伏したと報じられれば、多くのヴェールヌイ人が帝室に見舞いの手紙を送り、アパラートの戴冠式では、中継を見るために各職場のテレビに皆が押しかけ、操業が止まる問題も起きた。(今回の戴冠式については省からの指導で事前に休憩時間を調整する等の処置が取られ、混乱はなかったようだ)
別瓦はルーツを同じくする完全同一民族として、言語、文化、慣習、宗教等、多くの共通点を有してはいるが、フリューゲル移民と建国を経て、そのアイデンティティの拠り所を違えた。
純粋社会主義という政治・社会思想と経済の仕組みをその全てとする共和制国家にあって、同民族によるインペリアルファミリーという存在は、綺羅びやかさを感じさせる”歴史モノ”として、ヴェールヌイ人の興味を惹いてやまない。
瓦帝室は世界有数の長い歴史を持つ王室(帝室)であり、連続性、安定性、一貫性という面においても、ヴェールヌイ人が好ましく感じる要素が詰まっている。

勘違いしてはならないのは、帝室に一定の誇りや憧れを感じる一方「ヴェールヌイ人民もリーソフ家を奉戴すべし!」といった考えを持つ者は、皆無だということである。
帝室はガトーヴィチにとってはもちろん、現在は瓦君帝をそのまま大公として神聖不可侵とするベロガトーヴィチにとっては現実でも、ヴェールヌイにとっては海の向こうのファンタジーであり、そういう「娯楽」だと言えるだろう。
だからこそ、当のガトーヴィチやベロガトーヴィチ以上に、ヴェールヌイ人は瓦帝室を批判なく語り、無邪気に敬い、歓待するのである。

こうした国民感情も背景にあってか、政府も(特に再建後は)瓦帝室に対して敬意を表する機会が増加している。
今回のブラクノート帝即位にしても、その戴冠式には首相、外務相、駐瓦大使と、いわば”フルメンバー”で参列し、石動(皇族や行政関係者等7名が参列した)に次ぐ力の入った陣容であった。

近年、共和国にとって瓦国は主要な商品輸入国のひとつとなっている他、共にBCATに原加盟国として参加するなど、かつてに比べて急速にその距離を縮めている。BCATにはベロガトーヴィチも参加しており、共和国にとり因縁ある瓦舌との協力関係の醸成は、一昔前であれば想像もできなかった。それだけに、別瓦(舌)関係は楽観視すべき事柄ではない。

瓦国の主要メディア「帝国新報」は、986年1月のコズイレフ首相とミンターヤ総主教との会談を主要ニュースのひとつとして報じるなど、それぞれのトピックに双方が関心を持っている状態にある。
各種の規制緩和、とりわけ正教に関わるものは、文化自由連盟結成時(583年)からの主要目標のひとつであったから、政権獲得によって着手を始めたことは誠実であると評価できる一方、この事に瓦国が関心を示す背景に、同国の正教主義があることは明々白々であり、留意が必要だ。
ガトーヴィチ正教会は瓦政府(ズダチョーフ政権)の支援を受けて「全フリューゲル規模の教会連合の構築」を目指しているとされるが、これは正教を切り口とした帝国の影響力拡大を目指す国策事業とみて差し支えないだろう。
特にベルーサ正教会は、ガトーヴィチ正教会とフルコミュニオン関係(統一された教会)にある為、他国の正教会組織(たとえばセニオリス正教会など)以上にその関係性は密接だ。
共和国政府が、こうした状況下で闇雲に規制緩和を推進することは、瓦国や世界に誤ったメッセージを発することになりかねない。外交問題全般に共通することではあるが、こと瓦国に関係する問題については、理性と現実に沿って展開されるべきである。
共和国の民主主義を更に前に進める事は、あくまで純粋社会主義に基づく国家と人民の利益が目的だ。憲法にも明記されたこの大原則に立ち返り、冷静な議論が求められる。

レゲロ社会主義人民共和国が建国宣言
エルノーク体制による再建か

35578期、レゲロ社会主義人民共和国が再建を表明した。
同国は短報において「レゲロの地に社会主義再建なる!エルノーク同志の指導に続け!」と発し、旧来のエルノークによる指導体制であることを世界にアピールしている。

(以前の)レゲロ社会主義人民共和国は、レオン・エルノーク率いる人民労働党による一党独裁国家。
エルノークは人民労働党書記長、終身大統領兼国防大臣として強大な権力を有した。対外的には、国民により選出され、また同国人民議会の承認を経ているとしており、個人崇拝も進んでいた。
エルノークは、旧来社会主義を教条的に実践しようとした指導者の一人であり「前衛党の一党独裁による指導と世界革命による共産主義化を主張」し、こうした姿勢が、旧ヴォルネスク社会主義共和国がノイエクルス連邦に編入されるにあたっての同国の強硬姿勢に繋がった。

旧レゲロは、旧ヴォルネスクに並ぶ旧態然とした社会主義”標榜”国であり、純粋社会主義の共和国において「ヴェールヌイ以前のフリューゲル社会主義は、独裁的統治様式を正当化する為にその語を用いているに過ぎない」と説明された。ノルシュテインが共和国建設を進める中で、旧来社会主義との区別を志向し、純粋社会主義に発展することになった直接的要因の一つであり、その意味で、純粋社会主義の成立に影響を与えたといえる。

同国は旧ヴォルネスクに対するミサイル発射事件をきっかけに、双方を批判していた共和国の仲裁を受けた。これが影響して発生した軍部クーデターによって、エルノークが事実上排除されると「ヴェールヌイ・レゲロ統制条約」(581年~)によって共和国の保護国となり、民主化政策が推し進められた。後に普通選挙の実施により民主化が達成され、保護国を脱することになったが、独立と同時に「レゲロの主権回復に伴う社会主義経済支援調整会議設置についての協定(SEACOM協定)」(620年~)を締結、経済分野において共和国の庇護を受け続けた。レゲロは統制条約下で政治外交力を低下させ、民主独立に至っても遂に回復しなかったことから、共和国からの指導統制を受けなければならなかったのである。また当時の共和国政府は、民主レゲロ独立を目指して外交交渉を重ねる一方で、一定の影響力を保持し続けようともしている。この事は過去総括で公開された工商計画省の内部文書(レゲロにおける各種交易収支を国内経済と一体的に試算し、産出される銀について不公正に取り扱い、瓦に供給していた一連の問題)からも明らかだった。
これにより、統制条約→SEACOM体制→滅亡までの期間を通して、レゲロはヴェールヌイの経済植民地と定義されることになった。これは主権者たるレゲロ人民の責任でもあるが、当時の共和国が、統制条約下で「忌むべき旧来社会主義」を「浄化」しながらも、それに変わる柱を与えることをせずして民主化のみを推し進め、経済的野心に基づく影響力を行使し続けた結果であり、反省されるべきである。

こうした歴史的経緯からも、レゲロ再建は、共和国にとり重大な関心事だ。
宮殿の発表によれば、政府はレゲロ当局に対して、再建への祝意と友好関係再構築の意思を伝達したという。
エルノーク復権による独裁体制での再建であるならば、関係の再構築には慎重を要する。
「レゲロ関係」は「フランドル問題」に並ぶ労働党政権時代の対外進出に関わる事案であり、こうした問題について連盟がどのようなスタンスを取るのか、期せず試されることになっている。

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ブルースター紙 発行:フリューゲル暦 35619期989年5月下旬

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