いわゆるクラカス王国。正式な名称は、クラカスの聖ラディスラウス王冠の諸領邦。現在はオーヴァリア大公が王位を占めており、オーヴァリア、クラカス、そしてショッテン=ローテンの三国による王冠連合(同君連合)を形成している。
クラカス王国の起源は、クラクなる人物がクラコフという都市を建設しその公に就いたことに置かれる。しかし、史料が乏しいこともあり、クラクの実在性は証明できておらず、一般的には伝説とみなされている。いずれにせよ、クラコフの公権力は貿易によって徐々に力を蓄え、やがて一都市に留まらず国家的な領域を支配するに至った。なお、他国からのクラカスなる呼称は本来クラクのことを指していた。それが彼の名を冠した都市クラコフを指す呼称、その都市を中心とした国家クラコフ公国を指す呼称へと転用されたのである。
クラコフ公の王統をクラコヴィチ朝と呼ぶ。その歴代の史的な事績はほとんど明らかではないが、幾人かの公の伝説的な逸話が伝わっている。初めて王号を称したのはボリスラフ・イジャスラヴィチで、彼の頃からようやく他国の史料に拠って幾らかの情報を得られるようになる。しかし、ボリスラフにしてもその称号を子に受け継ぐことはできず、その死後速やかに公へ戻されている。
王としての実態を確立するのは、ボリスラフの孫で後代「聖王」と讃えられたヴラディスラフ・ボグスラヴィチである。彼の戴いた王冠はのちに王権そのものの象徴としての価値を備え、聖ラディスラウス王冠と呼ばれている(ラディスラウスはヴラディスラフのこと)。
ヴラディスラフ以前のクラコヴィチ朝の系譜は必ずしも詳らかではなく、ヴラディスラフ以降の王、そして諸侯は(女系となるオーヴァリア大公も含め)全て彼の子孫である。そのため、歴史学者の中にはこの時を画期として新しくヴラディスラヴィチ朝が開かれたとみなす者もいる。
諸侯領の一覧
- 大クラカス公国 首府クラコフ
- 小クラカス公国 首府タルノフ
- ピアスタス公国 首府ピャストフ
- レスカス公国 首府レシュコフ
- ポパイラス公国 首府ポペロフ
国歌