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ロムレー湖畔共和国

目次

国家概要

国名ロムレー湖畔共和国
正式国名République de Lacustre Lomeray
(英訳)Lakeside Republic of Lomeray
標語Liberté et Patrie(自由と祖国)
国歌Ô monts indépendants(おお自由なる山々よ)
公用語ロムレー・フランス語
宗教カルヴァン派(国教)、キリスト教他教派、CDX教会、無宗教、その他
政体議会主義・代議制共和国
通貨ロムレー・フラン(Fr.,LRF)
建国フリューゲル暦 611年 5月 15日

概要

 ロムレー湖畔共和国は、フリューゲル最大の滞在者数を抱える観光立国・保養地国家であり、議会主義共和政を掲げる小国である。
 スイス西部(主にヌーシャテル湖畔)を出自とする移民団がフリューゲル暦611年に故郷に似たフリューゲルのとある島の高地の湖畔に入植地を建設したことによって建国された。

地理

 本土は台地状の島であり、国土に占める高地の割合が高い。ただし干拓地や離島など、ある程度は低地も存在する。
 いずれの地域においても自然環境は厳しい環境基準の下でよく保護されると同時に、自然享受権が法的に広く認められている。

中央高地

 島の大部分を占める高地地域。氷食湖が散在している。気候は冷涼な山岳性。

三大都市

 中央高地に存在し、湖畔共和国の中核をなしていると考えられている三つの都市。ロムレー市とサン=トゥルミエール市はほとんど連接しているが、行政区画上は別コミューヌであり、それぞれが独自のCBDを持っているため、一般的には別の都市として扱われる。

(ヴィル・ド・)ロムレー Ville de Lomeray

 中心地は(9,11)近郊。共和国最初の都市にして法令上の首都。中央議会とそれに関連する政府機関の施設が存在する。建国の契約が交わされた丘もそのまま記念碑として残っている。
 建国最初期のごく数ヶ月間の間、共和国はロムレー・コミューヌと一体の事実上の都市国家であり、その名残で都市名は国名と同じである。外国から見ると紛らわしいことこの上ないが、ロムレー人は自国のことを「(湖畔)共和国République(de Lacustre)」と呼ぶのが普通なので、国民の間ではあまり気にされていない。特に区別が必要な場合にロムレー市Ville de Lomerayと呼ぶ。

ポワンクール Poincourt

 中心地は(13,9)近郊。共和国の最大都市(ゲーム的には首都)。中央高地の中では最大の盆地に位置し、また建築上の規制が他のコミューヌに比べ緩やかなことから国内では珍しく高層ビルが林立する景観がみられるが、それでも他国の大都市ほどの密度はない。
 631年11月に巨大隕石の直撃により壊滅的な被害を受けたが、現在は復興、その後の都市計画の巧みさもあり、インフラのよく整備された都市として商業上の中心地の地位を守り続けている。郊外には墓地を中心とする巨大隕石災害のメモリアルパークが所在する。

サン=トゥルミエール Saint-tourmielle

 中心地は(9,14)近郊。同名の大聖堂の所在地であり、ロムレーにおける宗教上の中心地。移民船が着陸した地点であり、その船体の一部がそのまま大聖堂の建物に使われている。
 観光地・保養地としての発展が共和国内でも最も早かった地域であり、現在でもこの都市の郊外に共和国最大のリゾート地が広がっている。第一回ソサエティはこの都市で開催された。

北西干拓地

 低地ではあるが北方に位置するため冷涼であり、同時に海からの風が卓越し湿潤。主に酪農と混合農業が営まれる。総じて長閑で保守的な農村の様相が強い。

南東干拓地

 中央の高地から吹き降ろす風が卓越し、ロムレー国内では珍しく温暖な地域。主に花卉・野菜などの園芸農業が行われる。内陸部の滝線沿いには水力を動力として稼働する空軍向けの工場が点在している。

周辺島嶼

 周辺に点在する島々。国立公園指定のなされた自然保護地や対着上陸侵攻用の防衛陣地が多くを占めるが、本島と同様に多数の観光地が存在する。
 特にほぼ全域が自然保護区指定されている北西部に存在する油田の扱いは度々政治的争点となってきたが、現在は産油事業を停止している。また、南西部には海軍向けの軍港や工廠、電波塔などが存在する。

歴史

長い9世紀

840年代 沈滞の時代

 この時代は830年代の三重苦が尾を引いた時代である。843年8月のライン共和国に対する普蘭合衆国の宣戦布告によって始まる「普蘭問題」は、併合危機で既に動揺しつつあるロムレー人の路烈普相互安保体制への不安をさらに深刻化させた。共和国は普蘭とカルセドニー・トルキー等の諸国との論争を見ていることしかできず、できたことはレゴリスと共同声明を発して戦争回避に努めるのみであった。しかし、その直後の普蘭合衆国鎖国などにより、大戦は何とか回避され、848年に平和原則条約改めフリューゲル国際連合憲章の調印式の開催へとこぎつけた。

850-870年代 国連の時代

 850年3月19日、まさにロムレー湖畔共和国の批准と同時に憲章が発効したフリューゲル国際連合は、ロムレー人にとっては三重苦の時代以来の苦境を乗り越える可能性そのものであった。レゴリス・ヘルトジブリールを中心とする諸国の支持によって共和国は一般理事国に選出され、「同盟理事国主導の国際協調を擁護する」外交政策は以後のロムレー外交政策の基本路線となる。初回の総会において起こった普蘭問題をめぐる議論は烈路同盟にとっては一種の危機であったが、ミルズ案のようなラディカルな声明ではなくロムレー案が採択されるなど、一定程度抑制された対応となり、共和国内でも国連に対する一定の信頼感を確立した。850年代にはウェールリズセ連邦共和国がフリューゲルに再建され、ソサエティの再始動などが試みられるが、その後ウェールリズセが崩壊したために流会となった。
 やがて850年代の「ミルズ共和国」問題やライン共和国による軍事演習を称した自領砲撃問題、865年前後のミルズ選挙をめぐる混乱と国連統治領への移行などの問題を乗り越え、一般理事国としてコミットした国連に対するロムレー人の態度は安定したものとなった。しかし、これらの経験は国連に対して「安保理さえ動いていれば総会は重要でない」という態度を涵養させることとなり、共和国内部ではむしろ次の時代の停滞をもたらすことになる。

880年代 意見発散の時代

 ミルズ国連統治の沈滞、総会の不活化、進まない軍事演習禁止条約批准といった事柄は、次第にロムレー人の外交に対する関心を冷却させていくことになる。880年代前半のガトーヴィチ内戦においてもロムレーが積極的に関与することはなかった。

890-910年代 国連の下での微睡みの時代

短い10世紀 「政治外交大国」肯定の最後の試み

920-940年代 国連懐疑主義の時代

950-960年代 積極主義外交試行の時代・アンリエット政権

970年代 別府危機

11世紀世紀転換期 ルッコラ保護主義と「我ら人民」の台頭

980-1000年代 萌芽期・セヴィニェ政権

1010-1030年代 伸長期・セザール政権

「絶対的安定期」 人民派の「千年紀」

1040-1080年代 成熟期・ケクラン~キュルティヴェシオナ政権

1090年代- 変奏期;自由主義ロムレーのさほど奇妙でもない死・ルジャンドル~グランジェ政権

政治

 中央議会に政府機関としては最も大きく権限が与えられている議会主義体制国家。他のフリューゲル諸国(主にレゴリス帝国)への留学者が学んできた各国の国制からも一定の影響を受け、民主主義の体裁を保っている。
 建国以来政変や暴動の経験はなく、632年初頭の世界同時社会不安や650年代前半のトロピコ戦役出兵の最中においても安定を保った。建国直後のごく短い期間を除きフリューゲル最高水準の支持率と満足度を維持しており、治安・支持率・財政などの指標も恒常的に健全な状況を保ち続けている。

内政

 実務においては各コミューヌへの権限委譲の程度など、かなり分権的な体制をとっている。

党派

変遷

  • 10世紀まで
     共和国の中央議会では理念としては討議による一致が理想とされており、政党政治は好まれず、制度的に政党に特殊な地位を規定してはいない。とはいえ国の理想像を巡っておおまかな傾向が存在し、とりあえずそれを派閥や党派として扱うことはできる。概ね以下の様相である。
     歴史的には、移民船時代の士官にルーツを持ちロムレー人の伝統的な国民性を重んじる建国期の議員層を中心とした系譜(ジャンベール党)と、620年前後から出現した海外の思想を受け入れ官僚組織を発展させていこうとする主に留学帰り組からなる系譜(ポワンクール党)という二大思想潮流が存在していたとされ、後者の出現によって620年代に前者から支流である合理的紀律派と重農=環境派が現れ、本流としてのカルヴィニスト共和派も確立、7世紀前半のうちに後者も自由思想派と社会自由派の差が明瞭化していった結果現在の5派閥が成立したとされる。この構図はその後400年以上大きな変化をなすことがなかったが、1040年以降のロムレー政治においてはルッコラ保護主義(外交的消極主義・孤立主義)を掲げる政治結社「我ら人民」の影響力が極端に強大化し、これを中心とする「人民派」が最大勢力として君臨していると評する見解も多い。
     内閣の勢力としては630年代以来長らくカルヴァン主義共和派3・自由思想派2・合理的規律派1・重農=環境派1・社会自由派1であり、おおむね政治的な影響力もこの通りであったが、770年代後半からはカルヴァン主義共和派2・自由思想派2・合理的規律派2・重農=環境派1・社会自由派1となり、830年代以降はカルヴァン主義共和派2・自由思想派2・合理的規律派1・重農=環境派1・社会自由派1・サンディカリスト1となった。
  • 11世紀中葉以降
     いわゆる「別府危機」の後、アンリエット政権期の外交政策に反対して孤立主義外交(ルッコラ主義)を掲げる「我ら人民」の勢力が急速に拡大、党員数百万を抱えるロムレー最大の政治結社となって以降は、旧来の党派的な系譜による対立軸はほとんど意味を失い、代わって「我ら人民」内部での立ち位置が重要となった。
     「我ら人民」の内部においては、主要な創始者三人(ルコント、ケクラン、マルモン)のそれぞれの衣鉢を継ぐ層(純理派、白衣派、資本派の三つがあり、まとめて人民派の岩盤支持層とされる)と、「我ら人民」の拡大後に成立した中小の派閥(主要なものでは実務派、組合派、四色派)が存在していたが、12世紀に入り、レゴリスの没落に伴うレゴリス資本の存在感の急速な弱体化により資本派が主要勢力としての地位を失い、組合派が取って代わった。

    「我らロムレー人民」

     普通は単に「我ら人民」と呼ばれる。10世紀半ばに在野の学者であるルコント女史によって設立された政治結社で、11世紀以降は百万単位の党員を抱えるロムレー最大の政治団体。その影響下にある議員のことをまとめて「人民派」と呼ぶ。
     ルッコラ保護主義を党是とし、国際的な不干渉主義の相互尊重(ルッコラ保護主義)、また議会主義の擁護と独裁主義・民族主義への反対を三大原則として掲げる。

  • 純理派
  • 白衣派
  • 組合派

外交

 伝統的にレゴリス帝国との安保体制による安全保障を主軸とした外交を展開してきたが、レゴリス帝国の衰微を受け、実質的な加烈安保体制への転換が進められている。
 経済面では特定の国に偏ることなく観光客を誘致する観光立国を標榜しており、国際貿易体制からは自由で、自国が経済共同体や資源産出国機構に加盟し拘束されることを避ける一方で、国際分業体制については擁護する立場で、保護貿易主義には好意的ではない(人民派政権は「開国させるための介入」には懐疑的だが、現在でも保護貿易そのものに肯定的になったわけではない)。
 一方で、イデオロギー的な拘束も弱く、極端な民族主義や独裁主義は問題とされるものの、そうでない限りは民主社会主義から伝統保守主義までどのようなイデオロギーも問題としない。
 国際連合発足当初から烈天加協調支持を掲げて安保理一般理事国を務めていたが、「ルッコラ保護主義」の高まりによって1040年末で退任。以降は国際問題については自国の主権が侵されない限り深入りしないことを基本方針としている。

国交のある国家

(※コメントは「我ら人民」において多く見られた見解であり、RP上公的な効果を持つものではない)

新永久同盟・レゴリス圏

  • レゴリス帝国
    新永久同盟を結んでいる盟邦。現在でも政治・経済・文化のすべての側面で交流が続いている。
    覇権国家の座を降り、列強の地位も降り、もはや普通の大国である。ただかつての武名のみが、その栄冠の残光を今も残している。
  • カドレン共和国
    同盟国の同盟国。外交的には穏健であり、特に共闘の経験があったりもしないが、我々人民派にとっては好ましいことだ。

SLCN

  • カルセドニー社会主義共和国
    国連の発起人であり、WTCOおよびSLCNの主導国。いつ行ってもカルセドニー外交官は国際対立に挟まれて胃を痛めている。胃薬とルッコラ茶をふるまってあげよう。
    ロムレーのSLCN加盟によって同盟関係となった。明らかに安全保障体制における大きなパラダイムシフトだが、その経緯を理解している者は人民派の中でもごく僅かである。
  • リブル民主共和国
    直接的な接点はあまりないが、第21回総会の「ナンセンス」発言は人民派内部でも高く評価されている。
  • セビーリャ責任国
    とうとう独立を果たしたが、果たして彼らは内外に対して「責任」の意味を明確に示せるか、陰ながら支援をしつつ見守ろう。もしかすれば、彼らが次の覇者になるかもしれないのだから。

SSpact

  • セニオリス連邦
    現在のSSpact同盟理事国であり、実質的な盟主。旧オリスと異なっておおむね一貫して社会主義政権のもとで混合経済を維持していることは基本的に高い評価を受けている。
  • ヘルトジブリール社会主義共和国
    長らくSSpactの盟主を務めてきたが、一時は亡国寸前の荒廃した姿をみせていた。次第に工業生産は回復しつつあるが、今でも国際政治におけるアクターとしての姿はない。
  • ロシジュア帝聖平和ドミニウム
    超越。超越とは何なのかはいまでもよくわからないが、ロムレーにおけるスラヴ研究はだいたいロシジュア研究が中心なので、学者たちの興味を引き続けているのは間違いないようだ。

BCAT

  • ヴェールヌイ社会主義共和国
    BCAT同盟理事国。別府危機とそれに続くSSpactからの離脱以降は没交渉な関係が続いている。
  • 神聖ガトーヴィチ帝国
    レゴリス没落は彼らにとってはチャンスのはずだが、その割には特に動きがみられない。
  • ラ・フローリド共和国
    結局のところ彼らのアクションのないままセビーリャが独立してしまった。

KPO

  • トータエ社会主義人民共和国
    急速に台頭する新興の社会主義国。果たして彼らはミルズ人を御しうるか、これは興味本位なだけでは済まない問いだ。
  • ルクスマグナ共和合衆皇国
    良くも悪くもフリューゲルのトリックスター。ロムレーのルッコラを保護するため、安全な距離をとって眺めよう。

その他陣営・非同盟

  • ノイエクルス自由国(政府通商部門利益代表部相互開設)
    利益代表部はあるらしい。正式な国交にしてもいい気もするが、向こうが官僚主義的でこっちはルッコラ保護主義なので話は特に進んでいない。
  • セリティヌム共和政
    学術協定に基づき優秀な学生が留学してきている。BCATやルクスマグナとの関係は今でもひんやりしているらしいが、我々のルッコラ生育適温を乱さないならまあ気にすることもない。

条約・国際機関等(締結・加盟順)

  •  

経済

 極端に観光業に指向した産業構造を持ち、その観光客滞在数は世界一で他国と比べても突出して多い。建国後十年程度は資源輸出によるところも大きかったが、それ以降は恒常的に突出して巨大な観光業が主導する経済であり続けている。いずれにせよ、外貨獲得能力は高く、一人当たり所得は世界最高水準とされる。
 なお、製造業はほとんど行われておらず、ロムレー軍に兵器を供給するレゴリス系の軍需工場を除けば職人的な工場における木製品や乳製品の一部がコミューヌの枠を超えて国内市場で出回る程度に留まる。

産業

農業

 干拓地で酪農・園芸農業などの高付加価値農業が行われているほか、高地では畜産業が営まれている。主に観光客向けではあるが、その生産力は輸出するだけの余力がある。

鉱業

 ウラン鉱が存在し、その輸出による収入は建国期の共和国を支えた。現在ではもはや収入源としての存在感は皆無に等しいものの燃料自給により経済を安定させることには貢献している。
 鉄鉱も存在するが、トロピコ戦役直前に急遽整備されたことから分かるように専ら軍需向けであり、安全保障局の下で管理されている。

林業

 広大な森林が広がり、その環境を維持する範囲内で林業が行われている。
 ロムレー材木からつくられた木製品・紙製品のみならず、シャレー様式の木造建築もロムレーの貴重な観光資源であると言えるだろう。

工業

 木製品や乳製品が主に伝統的・職人的な製法で生産され、日用や土産物として流通している。
 産業的な大工場というものは著しく厳格な環境基準のために軍需を除いてほぼ存在しない。軍需産業はレゴリスとの合弁企業においてレゴリスとの共通規格で運用されている。

商業

 観光業が極度に発展しており、観光客向けに様々なサービスが提供されている。
 本来の観光業のターゲットが長期滞在の富裕層であったことから、充分な所持金さえあればサービス業関連で困ることはないといえる。

企業

  • ロムレー・ユニオン銀行Union Bank de Lomeray
     ロムレーで最大かつ最も歴史ある銀行で投資銀行やアセットマネジメント、パーソナルバンキングなどの業態を営んでいる。本社はサン・トゥルミエールにある。投資傾向はクレディ・ロムレーに比べると若干保守的。
  • クレディ・ロムレー社Credit Lomeray
     投資銀行などを営むロムレー第二の銀行。本社はポワンクールにあり、セビーリャでも事業を展開している。コーデクス主義的潮流が多分に流れ込んでいる。
  • トリビューン・ド・ロムレーLe Tribune de Lomeray
     ロムレー最大の新聞社で、国内ではLe Tribuneとして知られる大手紙。本社はロムレー市にある。論調は自由思想派寄りで、現在の人民派主導体制には批判的。ロムレーのマスメディアとしては最も国際展開に積極的。
  • ロムレー農業協同組合Lomeray Coopérative agricole
     ロムレー最大の経済団体であり、およそ150万人の組合員を抱える。本部はポワンクールにある。しかしその組織においては地域的な下部組織の自立性がかなり強い。
  • レゴリス・ミリタリー・インダストリーズ・ロムレーR.M.I.Lomeray
     レゴリス帝国の軍需企業レゴリス・ミリタリー・インダストリーズのロムレー法人。レゴリス本国からのライセンスを受けてロムレー軍の装備の製造と維持をロムレー国内で完結される体制を構築しており、ロムレー最大の重工業メーカーである。
  • ヴェニス・ロムレースVenise Lomerais
     かつてのヴェニス・グループ、そのロムレー法人にルーツを持つ企業グループ。ヴェニス社の崩壊後、クレディ・ロムレーの資本によって再建され、いちロムレー企業となっている。
  • ヴェニス科学研究院
     ヴェニス・ロムレースと同じく、かつてのヴェニス・グループに属した研究サービス・シンクタンク部門であり、現在は同じくクレディ・ロムレー資本の研究機関となっている。ロムレーにおいては優れた計量経済学のエコノミストを抱えていることで知られているほか、計算機科学の分野では、領域にもよるもののロムレーにおけるベストアンドブライテストと評価されている。

通貨

 通貨は独自の法貨として移民船時代以前から続くロムレー・フラン(Fr.,LRF)が使われているが、観光業の発展に伴い、他国の通貨の流通も一般化している。
 国際通貨であるVaはロムレー・フランと並んで価格表記にも使われ、また主要な通貨は概ね通用する。

交通

 鉄道が比較的発達しており、山がちな地形ながら登山鉄道などによって国中が結ばれている。また湖上や運河を行き来するフェリーや客船も多く運航されている。

ロムレー・チューブ

 コーデクス共和国で開発された真空チューブ列車VCTTをもとに作られたロムレーの超高速交通機関。三大都市などを結んでいる。空路よりもこちらのほうが早く利便性が良いため国内の移動では一般的にこれがよく利用される。

国民・文化

 主流文化はスイスフランス語かつカルヴァン派のものであり、民族的・宗教的な類縁の民族がフリューゲルには存在しない。
 移民に関してはセビーリャ系が最大多数であり、レゴリス系・ヘルトジブリール系・普蘭系と続く。移民による過度な人口増があまり望まれていないため、セビーリャ系(内国民待遇)を除き帰化要件は厳格。

国民性

 国民性としては一見して穏和とされる。ロムレーを観光する者は田舎から都市まで、心温かな人々に出会うことができるだろう。また好奇心が旺盛であり、外から来た者にも関心を持って交流に応じる。しかしその実、内心において強烈に自立心が強いことが最も重要な特徴である。さらに身内と他者を内心において明確に区別することから、客分として扱われる対象に対しては愛想よく接し、法に触れるような権利侵害といったよほどのことがない限りは外から見た限りでは気にしていない風に振る舞うため、この性質は他国民からはやや分かりにくいものとなっている。例えば、ロムレー人にとっては一般に「その人の見解に理由なしに同調すること」は侮辱行為とされ、各人が個々の見解を持ったままに実利においては互いの利益を配慮して妥協することがよしとされる。これらのことは政治にも反映されており、政治的意見を転向することも白い目で見られる行動であるため、浮動票が他国と比べ少ない。自派に対する異議申立は自派内での発言、あるいは不投票や白票として表れ、あからさまに他派に投票したりしないため、全体として特定の党派が総崩れになる・特定の党派に風が吹くことが少なく、政治変動の起こりにくい政治風土の基礎をなしている。

言語

 公用語とされている言語はフランス語であるが、このフランス語はいわゆるフランシアン語ではなく、ヌーシャテル近郊のスイス・フランス語であり、近年はこの言語をロムレー・フランス語と呼ぶことも多い。なお、一応フランシアン語でも通用はする。
 英独伊語に関してもそれらを母語とする家庭が一定程度存在、レゴリス語やコーデクス語を初めとした友好国の言語も広く学ばれており、これらの一つだけでも話せれば観光には支障ないであろう。

宗教

 宗教の構成比率はカルヴァン派66%、カトリック10%、その他プロテスタント4%、CDX信仰4%、その他のキリスト教諸宗派2%、その他の宗教1%、無宗教13%。
 信教の自由は完全に認められている。9世紀半ばにカルヴァン主義共和派から自由思想派に政治的主導権が移行して以来、自らの所属する宗派への献金に対する税制上の優遇措置である什一献金特例は公益法人への寄付にも適用されるようになるなどの改革が行われ、カルヴァン派の国教としての地位ももはや形式的なものにすぎなくなっている。
 ゾロアスター教などを始めとする国際的な宗教勢力は国内にほとんど地歩を持っていないとされ、ロムレー教会評議会に参加しているキリスト教の宗派と無宗教だけで国民の95%以上に達する。

教育・学術・文化

学術文化

 ロムレーは国家規模が小さい割には学術文化は比較的発達している。特に言語学に関する成果が知られているが、広く人文・社会・自然問わず基礎科学分野一般に豊富な蓄積があり、コーデクス共和国解散後の資料流入でさらに発展を遂げた。学問の世界での「コーデクス主義」は、この研究をさらに進展させようという一大潮流である。
 このような学術文化発達の背景には中央議会の弁論の場において教養主義が重んじられていることや、観光客とのやり取りの中で幅広い知識が必要とされたこと、極めて高い所得水準ゆえの充分な余暇の存在などが考えられているが、はっきりとした理由は明らかではない。

学術出版

発達した学術文化の成果として、多くの学術誌が発行されている。その中でもいくつかの誌は新聞広告に掲載され一般家庭にも購読されるほど有名である。

  • 『Linguistic Research』
    言語学を扱う雑誌。フリューゲルにも印欧語系の言語が多いため、特に比較言語学方面の研究が盛ん。ここから派生して翻訳が行われたコーデクス語公式教科書の仏語版である『わかる!話せる!コーデクス語』は毎年重刷されるロムレー屈指のロングセラー。
  • 『Papier d’Histoire』
    歴史学を扱っている。フリューゲル全体の歴史学を指向する。フリューゲルにおけるグローバリズムを肯定する傾向から急進左派には微妙な扱いをされている。
  • 『国際経済旬報』
    文字通り国際経済の季刊誌と思いきや経済と文化を両方扱う傾向が強い。
  • 『Politique numérique』
    コーデクス主義的政治学の追究を目的に始まった雑誌。かつては異端児たちが書く色物誌だったが近年はコーデクス主義の伸張からロムレー政治学者の必読とされることが多い。
  • 『叢書コーデクス諸学』
    コーデクス共和国解散直後に流入した資料について解説をつけて公開すべきという意見から創刊された叢書。現在はコーデクス主義の影響を受けた研究を何でも扱うようになっており、今や扱う領域も何でもござれである。
  • 『Epidémiologie et hygiène』
    疫学と公衆衛生を扱っている。医療系専門誌だが、なぜかロムレーのどこの本屋にでも売っている。
  • 『Le progressisme』
    典型的な左派知識人向けの月刊誌。これを通読することでロムレー左派論壇の勢力図が分かるらしい。

大学

 アンゼロット記念大学とロムレー大学が有名で、大学院レベルの教育はほとんどがこれらによって担われている。基本的にロムレーのエリートコースでは修士号・博士号が求められるため、必然的にロムレーのエリートはこれら(あるいは海外大学院)の修了者で占められる。
 学部に関しては公立大学(コミュニティ・カレッジ的な存在)が各地のコミューヌに存在しており、それらからアンゼロット記念大学やロムレー大学に進学したり留学する者も多い。
 生涯学習も活発であるが、概して若年期に職業的な専門教育を受け、職業人として一定のキャリアを形成した後に職業と結びつかない学問を修めるという文化が往々にしてみられ、ロムレー的なライフスタイルとして知られる。

  • アンゼロット記念大学
     移民船時代に余暇を用いて行われていた学術サークルに由来し、612年に法人格を取得、619年に法令上も大学となった共和国最古の大学。
     学術サークル時代の下部組織を継承した多数の学寮が存在するカレッジ制をとり、それぞれのカレッジで様々な学問が研究・教授されている。社会人学生や聴講生が多いのも学術サークル時代からの伝統である。
     サン=トゥルミエール校とポワンクール校の二校が存在し、サン=トゥルミエールは学術サークル時代からの「紙と筆、黒板と白墨、そして学生と教授」さえあればできるような哲学的・数理的な形式科学のほうが、一方ポワンクールは「実際に試してみればわかる」というような経験的な実験哲学のほうが盛んであるといわれるが、キャンパス間よりもカレッジ間の差のほうが大きいとされる。
  • ロムレー大学
     618年に設立された共和国唯一の国立大学。ロムレー市内に位置し、主に官僚養成を旨とする。アンゼロット記念大学よりも実学と総合科学を重視する。
     学部組織としては理学部・工学部・法学部・医学部・社会経済学部・言語文化学部が存在する。
  • コレージュ・レピュブリック
     教育局・社会基盤局合同で設置されている大学(財政的には国費で運営されているが制度的には私立扱い)。国立アカデミーと通信制大学の両方の側面を併せ持った大学で、講義は全て公開されているが、学生登録を行うことで単位を履修し学位の取得も可能。
  • 学術協定機構
     カルセドニーとの協定によって設立された高等教育機関で、ロムレー国内においてはアンゼロット記念大学やロムレー大学と並んで最高水準の研究大学として評価されている。財政的には両国の折半で運営されている。経済学、論理学、幾何学、社会思想研究で有名。

スポーツ

  • スカイスポーツ
    元来スカイスポーツの盛んなレゴリス帝国の影響でロムレーにおいてもスカイスポーツが広く親しまれている。人口あたりの競技者ではレゴリスを超えるという推計も存在する。
    レゴリスでも人気のある一般的なグライダーのほか、自然の傾斜を活かしたパラグライダー・ハンググライダーも人気がある。
    しかし最も一般的なのは気球で、穏やかな干拓地から険しい山岳まで、ロムレーの空に気球が飛んでいるのをよく見かけることができる。
  • アウトドアスポーツ
    登山やオリエンテーリングで有名だが、ロムレー人以上に外国人の登山家のほうが多いとされる。
    ただし、環境享受権の規定もあって、ロムレー人でも競技性の高くないハイキングのようなものを習慣的にたしなむことは非常に一般的である。
  • ウィンタースポーツ
    スキーやスケートなどが広く楽しまれている。冬の休暇に山岳スキーを日常的に楽しむロムレー人も多い。

軍事

 ロムレー軍はその国家規模の小ささに反してイレギュラーを保有し、また海外への航空戦力投射能力も備えている。これは実戦経験としてはトロピコ戦役とセビーリャ作戦という二つの派兵経験を通じて形成されたものである。その他、813年戦争、セニオリス派兵など複数の戦争に参戦した経験を持つ。ただし常設の在外部隊などは持たず、原則的には戦争中を除いて海外に駐留しない。
 海上・航空部隊と異なって地上部隊は大規模な派兵を経験しておらず、むしろ国土防衛を主眼とする編制のままであり、人員的には多数の民兵といくらかの山岳戦特化の部隊を主体とする。これらは「ロムレー軍はスイス軍の制度を引き継いでいる」という軍を観光資源に使うための建前(移民船期に実質が失われているということは国民の間では公然の秘密である)がそのまま引き継がれたものである。そのために民兵はトロピコ派兵以前のロムレー軍の評価としてよく用いられたフレーズである「軍服を着た観光案内人」的な軍のあり方を今でも保っている。
 なお、兵器に関しては基本的にレゴリス・ミリタリー・インダストリーズ社をはじめとするレゴリスの軍需産業の在ロムレー工場で生産されるものが使われており、基本的にロムレー国内で生産・整備ラインが完結しているものの、レゴリス帝国軍の装備体系とほぼ完全な互換性を持つ。

陸軍

山岳兵をはじめとする特殊部隊が有名。各国との合同訓練などから列国に伍して引けを取らない練度を評価されているが、海外派兵の経験は意外と少ない。
人数的には各地で建設・土木工事に従事する工兵が最大(歩兵は有事には郷土防衛隊から動員されることを前提とした編制)。公共事業のかなりの割合は工兵によって担われている。

海軍

フリューゲル最大規模の海軍。大規模な陸戦隊と空母機動部隊も有し、海外派兵においては基本的に主力となる。

空軍

潤沢な予算を有する。爆撃機や巡航ミサイル等も運用しており、対外攻撃においては海軍に次ぐ主力を担う。

宇宙軍

人数的には四軍で最小。衛星・ロケット・長距離弾道ミサイルの管理・運用を主に担っている。コーデクス主義者が強い影響力を持っている。

郷土防衛隊

ロムレーの軍事組織としては最も人数が多い。平時においては各コミューヌが指揮権を有し、コミューヌ外には出ない。有事には中央政府および各軍の指揮下に入ることが想定されており、そのため郷土防衛隊は基本的に士官は少数で、将官は制度上存在しない。
経済力のあるコミューヌは独自に要撃機を有し防空まで行うが、経済力のないコミューヌである場合は複数コミューヌの連合によって維持することで最低限の防衛に必要な戦力は全ての部隊が備えている。
常勤と非常勤で役割がやや異なる。常勤の隊員はいわゆる「軍服を着た観光案内人」で、ロムレー国内で最も日常的にみかけられる軍人であり、地方コミューヌでは警察軍としての色彩が強くなる。
非常勤の隊員は予備役に近い存在で、普段は自らの仕事をこなし、有事には職業的なスキルも活かして活動することが期待されている。

沿岸警備隊

規模がやたら大きいことを除いてごく普通の一般的な沿岸警備隊。
観光立国としての立場上、海賊の被害を可能ならばゼロにすべく活発に活動しており、事実ロムレー近海での海賊活動はほとんどみられない。

各局士官部隊

各局も士官を持つことができる。主に大気海洋局のものが最も有名。福祉医療局(公衆衛生)、社会基盤局(交通通信、とりわけ鉄道)も一定の規模を有している。

人物

中央議会歴代議長

ディアヌ・ヴァランティーヌ・シビル・ブロンデル

 中央議会第十四代議長。
 ロムレー・ユニオン銀行のシンクタンク部門で主に社会主義国との二国間投資を専門に研究員として調査研究にあたってきたエコノミスト。外交局の情勢調査員に転職し、ストリーダ・ヘルトジブリール・レゴリスなど先進国経済の比較研究を行い、経済学の学識や語学力だけでなく、交渉力や実務能力も極めて優秀であったことからその能力を買われて外交官に転身、平和原則条約起草委員会ロムレー代表団の中心的メンバーとなった。国連発足後は初代国連大使を務め、普蘭問題について将来禍根を残す可能性の大きなミルズ案を撤回させるなどの功績をあげた。
 855年、両ミルズ問題について一定の解決を見た後に国内政治に身を転じ、中央議会議員となった。国連大使就任時点から既に「次の中央議会議長」として期待されていた人間であり、立ち位置としては社会自由主義者で、コミューヌ単位で見るとロムレーは非常に強力な福祉国家を成立させていることに気付き、むしろ伝統的でリバタリアン的な「古き良き国制」という議論がロムレーの政治認識をゆがめていると考えており、実情に理念を合わせることを主張する。
 外交的にはフリューゲルの経済的中心であるヘルトジブリールをとりわけ重視し、社会主義国との協調を志向する。これはヘルトジブリールとの相互不可侵・学術交流条約締結という形で結実し、それだけでなくロシジュアとのバラ園の協定などの成果をあげた。
 一方で長らく休む暇もない激務に晒され続けたことから晩年には次第に身体的な問題を抱えるようになり、国連体制が安定化すると中央議会内部の意見もまとまらないようになっていったこともあって、政権後期には精彩を欠くようになっていった。882年に引退。

ガストン・グウェナエル・ミュレーズ・シャノワーヌ

 中央議会第十五代議長。永久安保締結時の参謀本部総長。海軍退役大将。海軍兵学校入学以前の記録が一切残っていないなど、その経歴にはかなり謎が多い。
 海軍兵学校では卓越した成績を残し、無事に首席で卒業、以後順調に昇進し、海軍どころかロムレー軍全体の制服組トップにまで達した。セニオリス封鎖作戦等でレゴリス軍と密接に連携して活動。
 軍人を引退した後に中央議会議員となるが、それ以前は政治的には無名でありながら驚くべきバイタリティで合理的規律派の事実上のリーダーとなり、コーデクス主義が支配的になる以前の合理的規律派の立場を回復させた。ブロンデル前議長の退任後、ガトーヴィチ内戦を受けて強いリーダーシップをとれる人間が求められたことから882年に中央議会議長に就任。ガトーヴィチ内戦下でロムレー軍の警戒態勢を指揮した。

メレーヌ・ヨランド・リュシェール

 中央議会第十六代議長。ブロンデル議長の国連大使時代の直接の部下。言語学博士(ロムレー大学)、法務博士(帝国大学)。レゴリス帝国弁護士資格も有する。
 ロムレー大学言語文化学部レゴリス語学科を次席、同大学言語文化研究科を首席で卒業し言語学で博士号を取得後に外交局に入局。学部時代に首席を逃したのはあまりにも兼修外国語をやりすぎたからとの噂で、実際に主要国の言語はおおよそ話すことができる。入局してすぐにブロンデルの下に配属され、平和原則条約起草委員会のためにしばらく働いた後、将来の国連設置に備えて国際法を学ばせるべく研修としてレゴリス帝国の帝国大学に留学。法務博士とレゴリス帝国の弁護士資格を取得後外交局国連部に復帰し、再びブロンデルの下で働くが、ブロンデルが政界に転身したため第二代国連大使に就任。
 才覚は優秀だが性格は穏やか。如才ないようでどこか抜けているとも。膨大な情報とそこから予想される無数の帰結を直観的に処理しながら、その直観の導出過程を諸学問と整合的で適切な論理によって説明することができる紛うことのない天才にして秀才。唯一の欠点は誰にもまねができないということであり、国際政治を国内の議会政治の論理に翻訳し説明しながら進めることは結局彼女にしかできなかった。それゆえヴィレット国連大使などのごくわずかな例外を除いて後継者を育てることには失敗し、彼女が国連大使から議員に転身した後には「彼女の代に比べて質が低下した」と批判され急速な外交局の地位低下を招いたが、中央議会議長としての責務から外交局をかばいきることはできなかった。
 政治的には非党派的で、国際協調を維持するのと同じ手腕で国内党派における調和を図る。
 902年に中央議会議長に就任。926年に退職。

ポール=アンリ・レ・ラグランジュ

 第17代中央議会議長。
 官僚主義的なルッコラ主義者、孤立主義者。博士(史学・アンゼロット記念大学)。サン・トゥルミエール近郊の農村生まれで、アンゼロット記念大学に進学してスイス独立史を研究し博士号を取得。キャリア組として外交局に入局するも、出世ルートを選ばず、事務方として勤続。しかし国連代表部史料編纂室に配属後、つい歴史家の血が騒いでアクセス権限をフル活用して史料編纂をしてしまい、報告書をヴィレット国連大使やリュシェール議長に評価されてしまう。その後リュシェール議長に議会図書館へのアクセス権限をエサに中央議会議員になることを勧められ当選。リュシェールの右腕として活躍する一方で、国連懐疑主義的な言動がむしろロムレー一般国民の支持を受け、珍しく議会内政治よりも国民一般からの広い支持を支持基盤として中央議会議長に就任する。
 情報処理能力に優れ、ライブラリアン・アーキビストとしては有能だが、極めて官僚主義的で総じて流れに任せる姿勢をとりがち。本人も外交官や政治家向きではないと自認している。なお、外見が極めて若々しく、下手をすれば少年か青年のようにも見えるが、実年齢は普通に中年である。非党派的で、外交局出身者では数少ない非国連派で、ついでに親レゴリス派でもなく、親社会主義派でもない。本人は冗談めかして「親ロムレー派」を自称するが、そのために時々自国中心主義とかルッコラ主義とか言われる。なお、本人もその呼び名を否定はしない模様。
 948年に引退。

アンリエット・ブランディーヌ・ビュファン

 第18代中央議会議長。医師、公衆衛生学修士(ロムレー大学)、医学博士(帝国大学(レゴリス))、陸軍退役大佐。
 周辺離島のローワーミドル子女で、12歳のときに事故で両親を失う。その後リセを首席で卒業したが進学せずロムレー軍に入隊し衛生兵に配属。しかし成績優秀なことから特待生として抜擢され軍医学校で医学を修めて医師免許を取得、軍医となって活躍した後、ロムレー大学で軍人の職業衛生を研究し公衆衛生学修士号を取得し医療福祉局に技官として入局、レゴリスの帝国大学に官費留学し極限状況での作戦における健康の保持に関する研究で医学博士号を取得するなどしつつ局長まで昇進の後中央議会議員に転身。遅咲きのエリートだが、医療政策と安全保障政策の両面に理解の深い叩き上げの卓越した実務家。10世紀前半の反エスタブリッシュメント的な思潮にも適合し、広く評価されて中央議会議長に選ばれた。内政においてはレジリエンスの維持を掲げ、外交においては新古典的現実主義を旨とする。政治的には党派主義を嫌厭するが、支持層の中核は合理的規律派とされ、カルヴァン主義共和派と社会自由派にも好まれている。
 980年退任。退任後は故郷の島で診療所の医師となった。皮肉にも、一般理事国退任のために活躍した「ロムレー最後の国連大使」サンドリーヌ・フェリシテ・モンタニエの出生から少女時代までかかりつけ医はアンリエットその人であった。

アリス・ニコレット・オルガ・セヴィニェ

 第19代中央議会議長。理学博士(アンゼロット記念大学)。サン・トゥルミエール郊外出身で、両親ともに環境科学者。ちなみに祖母にヘルトジブリール人を持つクォーター。
 幼少時から環境科学の書籍と実験機器に囲まれて育ち、自然と進路を環境化学に選び、アンゼロット記念大学で大気化学を修め、サン=トゥルミエール市やアンゼロット記念大学で技官や研究員を勤めた後、大気海洋局に入局。伝統的に管理職は技官が務める局ゆえ、局長まで昇進した。
 本来であればそれで極官を極めたとして引退するところではあったが、ガトーヴィチでのBT兵器問題を背景に積極的な行動を訴える重農=環境派の一員として活動し、腰の引けている外交局を後目にアンリエットの後押しなどもあって国内外での根回しを行った。これは外交的にはガトーヴィチや普蘭との関係を微妙なものとしたが、ロムレー人一般には広く評価され、退職後に乞われて議員に転身し、重農=環境派の強い支持とアンリエットの継承者としての評判から議長に選ばれた。
 技術的な専門知に長けた才女という面ではまぎれもなくアンリエットの後継者であり、個人的にもアンリエットとの親交は深いのだが、しかし政策においてはかなり異なっており、ロムレー人によくある「内政により外交する」でもアンリエット流の「外交は外交として行う」でもなく、「外交は必要に従属する」を信条とし、普段の関係維持的な外交に対して積極的に乗り出すことはしない。完全なルッコラ主義とも違い、「必要がないなら無理に外交に出ていかなくてもよい」という立場であったが、選挙において掲げた「陣営間対話」の方向性を重視するように軌道修正していった。一方で既存同盟国に対する配慮を無視する傾向があり、保守派からは外交政策に対する懸念が指摘されている。
 1009年退任。

ダミアン・アドリアン・セザール

 第20代中央議会議長。セヴィニェ政権前半に社会基盤局次官を務めていた電気通信畑出身。
 語学の天才として頭角を現しロムレー外交官となったセビーリャ系一世の母とコーデクス主義を奉じるロムレー人AI技術者の父との間に生まれ、母が外交官として世界各地を周るのに伴い、本人も生育の途上では11ヶ国(威・角・加・瀬・天・烈・超・瓦・光・普・賛)で過ごし、ロムレー語・スペイン語・コーデクス語を加えた14ヶ国(?)語を操る。血か環境か、語学と機械学習について優れた才覚を示したが、あまりにも才覚がありすぎたのか次第にそれらを「簡単すぎてつまらない」と思うようになり、ロムレー大学工学部に進学した後、当初は知能情報システムを学んでいたが、次第に通信ハードウェアに関心を移し、オプトエレクトロニクスや通信工学を修めて博士号を取得。ロムレー電話電信社に入社してロムレー・セビーリャ各地のネットワーク設計などに携わる。セヴィニェ政権の環境アセス法制定などの変化に最も適切に対応できたことから技術畑出身から重役に抜擢された。その後社会基盤局に入局し次官まで昇進。
 学術的コーデクス主義者である一方で、本人は政治的コーデクス主義には懐疑的(CDX-Lプロジェクトにも携わっていたことがあるため、政治的コーデクス主義者からは高く評価されている)。次官時代にはセヴィニェ政権の政策を尊重しつつも現場の実態に合わせた修正をかけ、「修正セヴィニェ主義」の旗手として知られるようになる。党派的には合理的規律派が最も近いとされているが、党派主義に対しては警戒感を隠さず、本人は「ロイヤリストあるいはパトリオット」を自任する。この点でセヴィニェ政権を支えた人材のなかでは最もまんべんなく支持を集められる人物であったと評される。
 1039年退任。

フェリシエンヌ・アナイス・ケクラン

 第21代中央議会議長。物理学者・天文学者。博士(理学)。政治結社「我ら人民」代表。
 アンゼロット記念大学で宇宙物理学を修め、数年アンゼロット記念大学で教壇に立った後、国立天文台(大気海洋局の外局)で長年勤め、大気海洋局本庁に栄転し局長まで昇進した。
 物理学者としての才覚は一流ではあるものの超一流ではないといったところであるが、シチズンサイエンスのプロジェクトを複数動かし、一般企業との連携を図るなど、さまざまな人・団体を巻き込み大規模プロジェクトを推進することには長けている。
 政治的にはおおむね穏健なセヴィニェ主義者であり、内政においては環境保護、外交においてはルッコラ保護主義を推進する。
 知られざる一面としてペンネームでさまざまなSF小説を物している著作家でもあり、彼女の作品は精緻な物理学的正確性と綿密な政治史的考証により一定の人気を博している。
 1055年退任。慣例よりも早い引退は、彼女をある種の「絶対君主」に仕立て上げようと試みる周囲の人民派中核層議員に抗するものであったと囁かれている。

コラリー・ゾエ・ヴァネッサ・リコール

第22代中央議会議長。アクチュアリー。元監査委員会委員長代行。作家。
 アンゼロット記念大学で物理学修士・経済学博士。コンサルティング会社で金融コンサルタントとして働いた後、監査委員会に入る。その後10年ほどでアーリーリタイアし、小説家として活躍していた。経済小説家として有名。
 1071年退任。

リディアーヌ・キュルティヴェシオナ

 第23代中央議会議長。精神薬理学者。ロシジュアンローズ研究でアンゼロット記念大学に留学したロシジュア人の母とロムレー人ノヴゴロド共和国史研究者の父を両親に持つロシジュア系二世。ルッコラの薬理作用についても論文を何本か出したことがある。
 政治的には、ロシジュア系であることから予想されることに反して超越主義者ではない一方で、ロシジュア系らしく熱烈な平和主義者。国際問題における紛争の平和的解決を追求する。国内政策においては環境と調和した農業を理想とするセヴィニェ主義者。
 1090年退任。

フィルマン・ベルトラン・レナルド・ルジャンドル

 第24代ロムレー中央議会議長。元社会基盤局長、社会基盤局士官部隊退役少将。交通工学で博士(ロムレー大学)。
 1065年レゴリス極右クーデターの際に派遣された救援部隊に参加していた士官で、ロジスティクス関係の最高責任者(作戦目的が物資支援作戦であるため、事実上は作戦全体の統括役)を務め、軍部良識派による鎮圧に貢献したことで知られる。
社会基盤局士官部隊で長年勤めてきたロジスティクスの専門家であり、数理モデル屋。堅実な仕事ぶりで知られるきわめて優秀で実際的な能吏であり、人民派の中でも穏健な実務派。レゴリス・クーデターにおいては同盟国として武力介入し鎮圧すべきであると主張した独裁主義に対する強烈な嫌悪感を持つ平均的ロムレー人ではあったが、人民派のリーダーとして、レゴリスの衰退が目に見えて明らかとなった12世紀移行期のロムレーにおける社会経済制度の抜本的な改革を求めるサンディカリスト系・コーデクス主義系の急進主義者の扱いには年中頭を悩ませている。
 妻は同時期にレゴリス総統・総統代行を務めたカリーナ・ディーツゲン。愛妻家として知られ、内実においてはそのイメージ以上の愛妻家であったが、そのためにレゴリス政策に関してはその実行に対して人民派主流派から厳しく掣肘をくわえられる状態にはあった。ただ、それゆえにむしろとれる政策が「軍事的オプション」一枚に絞り込まれたことは、彼ら夫妻が両国の最高指導者であった時期において最もシンプルにレゴリスに対してロムレーがどのような政治勢力を支持するか示すことを容易とする結果にはなった。
 レゴリスが政治的混乱のピークを乗り切ったのを見届け、1120年退任。引退後は妻と二人、内奥ロムレーで静かな余生を過ごした。

マクシム・ミシェル・ヴァンサン・セルヴェ

 第25代ロムレー中央議会議長。電気工学で博士(ロムレー大学)。
 ポワンクール労働取引所を中心に設備技術者として建設業を営む実業家であるが、自らの企業においても労働者所有制を実践するサンディカリストであり、「労働者に権利を―すなわち自治権を与えることこそ、現在のロムレーにおける社会問題への唯一の原因療法である」と主張、ロムレー経済における労働者協同組合の拡大と振興を推進し、特に経営危機に陥っていたレゴリス資本企業に対して、公的資金注入と引き換えに「構造改革」を実施し、労働者協同組合に転換させた。
 一連の協同経済化がひと段落した1138年に退任。政界からは距離を置き、グランジェがセルヴェ路線を巻き戻しも推し進めもしなかったことには沈黙を守って、いちベテラン技術者として生涯現役を全うした。

エメ・オーギュスティーヌ・グランジェ

 第26代ロムレー中央議会議長。数学者、論理学者。学術協定機構の一期生で、数学基礎論で博士(学術協定機構)。外交局論理部職員、ロムレー大学准教授、コレージュ・レピュブリック教授、教育局高等教育部部長、ロムレー宇宙軍士官学校教授などを歴任ののち、監査委員会委員長も務めた。監査委員会職にあった人間としては退任時の最高齢を記録したが激務を平然とこなし、議長就任年齢としても最高齢を更新した。
 学術協定機構出身者であるため知加派。監査委員会退任後、いち中央議会議員だった時期にSLCN加盟を主導し、中央議会内部での議会工作も行ったとされ、現職の外交局長の頭越しに行われた交渉の結果外交局長は辞任し外交局長代理としてSLCN新憲章に署名することとなった。このSLCN加盟とセルヴェの協同経済化政策の後ということから、就任時の人民派はリーダーシップ不在の状況にあり、三大派閥の均衡に注力した。
 120歳を過ぎてなお矍鑠として壮年の風貌を保っており、時おりある種の畏敬を込めて魔女とも呼ばれるが、本人はそのような「レゴリス的迷信」を強く否定する。
 思想信条においてはリバタリアン左派だが、政策的には穏健で官僚主義的な社会自由主義者で、人間的には淡泊であり、セルヴェ路線をさらに先鋭化することはしなかった。なお、外交局在職当時の1114年レゴリスにおけるゲルマン主義者による武装蜂起においてはあらゆる観点から断固として殲滅し鎮圧すべきであるとする論考を著し、結果としては彼女の主張通りロムレー軍の衛星レーザーは徹底的にゲルマン主義者を焼き尽くすこととなった。
 1159年に退任。

アメリー・マリヴォンヌ・ウンタースベルガー

 第27代ロムレー中央議会議長。ロムレー宇宙軍退役中尉。弁護士、法務博士。レゴリス系クォーター。
 かつてのレゴリス企業のオーナー社長の令嬢で、レゴリス系ハーフである父は曲芸的な経営手法によりレゴリス資本企業のなかでも最も遅い時期までレゴリス系資本による支配を維持したが、最終的には他のレゴリス企業と同じくセルヴェ政権の救済措置を受け、引き換えに労働者所有制の導入を余儀なくされ家は没落。経営が限界に達しつつあったころに多感な時期を過ごしたことは人格形成に大きな爪痕を残した。
 「強いレゴリス」の支持者である両親からはレゴリス軍人となることを望まれたが、本人はすでにレゴリスに諦観していたためロムレー宇宙軍に入隊。士官学校でエメ・オーギュスティーヌ・グランジェとの知遇を得る。法務畑で昇進を進めていったが、監査委員会委員長となったグランジェに誘われてロムレー大学で法務博士と弁護士資格を取得し、グランジェの右腕として法務問題を一手に担い、グランジェの政治家入りと同時に政界に足を踏み入れた。
 内心において圧倒的な反サンディカリスト、反社会主義者であるが、それ以上に冷笑的傾向の卓越したその人格は、平均的な反サンディカリスト・反社会主義者において拠り所となるであろうレゴリス帝国・資本主義・自由市場に信頼を寄せることを彼女自身に容認しなかった。結果として、本来あるべきであろう資本派にも実務派にもなることがなく、純理派に身を置く(もっともグランジェは彼女のことを「純理派ではなく冷笑派」と皮肉る)。
 ニコチン依存症であると同時に嫌煙家。ヴィル・ド・ロムレーにある彼女の持ち家のアパートは一階に輸入タバコ屋(ロムレーにおけるタバコ販売は規制業種であり、そもそもタバコ屋自体が少ないが、基本的には噛みタバコがメインであり、普通の煙タバコを売っているのは外国人向けに輸入タバコを売っている店に限られる)が入居しており、それを理由に家探しをした。その程度に依存しているが、他人がタバコを吸う姿はとにかく嫌いらしく、自室でしか喫煙しない。
 内心の動揺をパフォーマンスに反映させずに仕事できるタイプの能吏だが、内心においてすべてを信頼していないことはそれなりの共感能力のある相手には見透かされるきらいがある。ただ、平然と自分に食って掛かってくることをグランジェには好まれた寵児。
 ちなみに、セルヴェよりもルジャンドルのほうが嫌いらしい。理由は「レゴリスの失われた70年を回避させられる可能性のあった唯一の人間であり、そして、それができなかった」から。