1145年アヴローラ16年発行
【政治】第53回選挙 帝国発展党大敗
第53回帝国議院議員選挙は1144年に行われ、与党帝国発展党(右派)、立憲進歩党(中道右派)のうち帝国発展党が67議席減の7議席と大敗を喫した。与党は世界第2位の大国の地位を堅持し、軍部省・イヴァングラート帝国大学の鉛系BT弾試験を再開する実績を上げたものの、特に特筆すべき表だった外交を行えず、民心をたもつことができなかった。
第1345回帝国議会(臨時会)は社会民主党(左派)アリェーニ・アリェーゴヴィチ・アブラザヴァーニエフ主席を首班指名し、氏は翌日グリブノーイ君帝陛下により栄えある第55代為政院総理大臣に任命された。
社会民主党は第二党立憲進歩党と連立することを表明した。帝国に自由主義の風をもたらすであろう。
【国際】KPO、新エーゲに宣戦布告
新進気鋭のカルーガ条約機構(KPO)は1144年、エーゲ委任統治に関する安保理決議に従わない新エーゲ王国に対して宣戦布告を行った。新エーゲ王国はルクスマグナ共和合衆皇国とトータエ社会主義人民共和国の一方的な砲撃によりたちまち強制敗戦した。KPOは宣戦布告において『貴地域(注 エーゲ)の強制敗戦が確定するかあるいは貴地域の全ての陸地の消失が確定するまで攻撃を行う。』と記しており、これに対して我が国外政大臣は「陸破彈使用は『必要最小限の措置』(注 FUN安保理のエーゲ統治委任決議でKPOに認められたもの)か?」と疑問を呈した。これに対するKPOの見解は明らかになっていないが、結果としてルクスマグナ・トータエが陸破弾を使用することはなかったことから、平和を愛する我が国外政大臣の指摘がエーゲ復興の未来を繋いだ可能性が示唆された。
【社説】ルクスマグナの苛烈なる砲撃 その仇の行方
KPO-エーゲ戦争において特筆すべきはルクスマグナの苛烈な砲撃である。戦争の勝敗が決まった1145年2月初旬、トータエが41発のミサイルを発射したのに対し、ルクスマグナは249発ものミサイルを発射して、同国はどこからともなく400万人余りの難民を受け入れた。住み慣れた地が荒地となった原因は、そもそも新エーゲ王国の無責任にあることは言明しておく。しかし、住み慣れた地を荒地とならしめた砲弾の大多数は、果してルクスマグナから撃たれたものであり、果して首相及び外相ち連名で新エーゲへの攻撃を許可する詔を発したアダム・フォン・ミルズ皇なのである。エーゲ人の恨みは、新エーゲ王国政府へ向かわずに、アダム皇へ「仇向かう(Ada mukô)」かもしれない。ルクスマグナ政府は、玉体のご安全に万全を期するべきである。 文責:А. Д. М.