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労働党政権奪還/舌に在外基地設置 他

議会選で労働党勝利・ヴィウチェイスカヤ政権誕生へ
経済・外交での主体的地位強化掲げる

1028年1月に行われた人民議会選は、ヴィウチェイスカヤ書記長率いる労働党が1023年比+13の112議席を獲得し、悲願の政権奪還を果たした。
1012年にヴィウチェイスカヤをトップとして政権奪還を目指した労働党だが、翌1013年は苛烈な行政改革を掲げたことが仇となり、安定感を強める連盟の政権維持を許したが、以降は徐々に主張を軟化させ、連盟政権からはじまった既存政策を可能な限り維持しながら、※1経済・外交での主体的地位の強化を掲げた。
常に堅調を維持した連盟コズイレフ政権だが、近年では長期化に伴う中弛と、この惑星に付き物の閉塞感に苛まれていたことは否めず、過去に拡大路線を続けてきた労働党支持に回帰する動きが続き、逆転に至った格好だ。

※1 ヴィウチェイスカヤは自身や党の外交方針について「既存友好国や潜在的友好国に対するコミットメントを強化し、共和国が国際環境整備にこれまでになく主体的に取り組む事が、現在共和国が置かれている状況を改善する最良の道」と主張した。

連盟政権を振り返る(ブルースター解説委)
劇的な国連/SSpact脱退/BCAT設立から始まった連盟コズイレフ政権だが、40余年の政権運営は堅実そのものであり、経済面では低調推移ながら、期間平均で効率性+成長を記録した。
懸念のあった外交安全保障面でも、結果として平穏を保った。
近年になり「伝統的仮想敵国が複数同時に衰弱した」(国防省筋)ことで、安保外交にエネルギーを注ぐ必要性そのものが希薄であったことが幸いしている。
論争の種であったスラヴ関係国との問題についても、ベルーサ正教会ミンターヤ総主教が十分に共和国の制度、社会性に配慮した立場を表明し、かつ警戒されていた瓦帝国側の正教問題関与が見られなかったことで、健全な形で正教会の地位向上が図られた。
協力条約をテコとした復興ベロガトーヴィチへの積極関与についても、当初一定の反発が見られるも、以降は鳴りを潜めており、共和国がベロガトーヴィチの開発指導権を完全に掌握している。この点、コズイレフ政権は帝国に対し優位に立ち回ったと評価して差し支えないだろう。
また瓦花外相会談で取り上げられたセビーリャ独立問題が、関係国の懸念を巻き起こした(と予想された)際には、コズイレフ首相が主導して花国バルベルデ大統領と会談、民族主義への懸念と民主的プロセスについて述べ、釘を刺すポーズ示すなど、一定の外交努力が見られた。
再び野党に転落したものの、文化自由連盟は議会の42.5%を占める安定した第2党であり、有史以来はじめて労働党以外が政権運営能力を有しうる事を証明した実績からも、ますます共和国の議会政治における役割は増したといえるだろう。

人民議会選の結果を受け、人民議会は労働党書記長ヴァシリーサ・ヴィウチェイスカヤを首班指名。同氏は8代目閣僚評議会議長(国家元首としては9代目)に就任した。
ヴィウチェイスカヤ首相は即日評議会人事を発表した。1012年の党人事刷新以来、ヴィウチェイスカヤ体制を支えるため責任書紀に復帰していたエレーナ・ザラフィアンツ(元首相)が、副議長及び労働福祉大臣に指名されており、党・政権の双方から引続きヴィウチェイスカヤ首相を支えるものとみられる。

文化自由連盟アレクサンドル・コズイレフ代表は、選挙での敗北を受けて会見し「労働党一極化を防ぎ、共和国が間違った道を歩まないようにする義務を果たしていく。再び政権党として支持を得られるよう、政策力を強化していく。文化自由連盟は、元々は多様で超党派の独立した運動であり、その精神を変わらず維持して国政に関与し、純粋社会主義の健全な発展と、世界との友好平和、信頼を勝ち得る原動力であり続けなければならない」と述べ、決意を新たにした。
連盟執行部は、当面の間コズイレフ氏が代表としてその任を続行すると発表した。

ヴェールヌイ・ベロガトーヴィチ地位協定締結
再建後初の恒久的海外基地設置へ

1028年3月、共和国外務省は、ベロガトーヴィチ大公国と「ベロガトーヴィチ大公国におけるヴェールヌイ社会主義共和国国家人民軍の駐留・活動・地位に関する協定」(別舌地位協定)を締結したと発表した。
協定は、別舌協力条約第五条(一般の治安維持協定に類する規定)の実施円滑化を目的に、ベロガトーヴィチ国内に共和国の国家人民軍が要員と設備を恒久的に配置することを定めた。国家人民軍が恒久的な海外基地を設置するのは500年代後半のレゲロ駐留以来となる。

共和国政府は、BCAT加盟国でもあったベロガトーヴィチ大公国(第二次)の滅亡について強い不満を示しており、大公国に強い影響力を有していた神聖ガトーヴィチ帝国のコミット不足を指摘していた。
こうした前提から、再建された現在のベロガトーヴィチ大公国の開発にあたっては、共和国が積極参与する方針が採られた。1006年3月には「別舌協力条約」を締結し、物資や治安維持の支援のみならず、鉱山開発/国土・経済構成プランにいたるまで両国協議によって決定されるなど、かなり踏み込んだ顧問活動を実施している。
以降の20余年間で、共和国からベロガトーヴィチに向けた経済援助は400兆Va相当を優に超えており、国内からは費用対効果を疑問視する声も少なからずあがっている。

1026年に政府が公開した統計資料によれば、1025年末時点で、ベロガの実質国力は第二次大公国を超えたとされる。国庫収入の実数値は、銀資源輸出等に頼っていた第二次に比べ遥かに劣るものの、共和国顧問団が主導した計画造成で整備された社会資本能力はこれに勝っており、早期の議会制回復も最小限の混乱に収まっていると評価した。
もっとも、名目経済規模よりも社会安定性を優先した地道な開発は、工商計画省が絵図を描く途上国向け指導の十八番でもあり、ベロガトーヴィチに対しても順当に適用されたものだろう。

こうしたベロガ関連事業に対しては、労働党ヴィウチェイスカヤ政権の「対BCAT政策は、前政権を基本的に踏襲しつつ不足を強化する」(労働党中央委員会関係筋)という方針に沿って継続されるものと予想はされていたが、すぐさま軍の駐留を進めたことは議論を呼びそうだ。
既に人民議会外交委員会の質疑では連盟側が批判を展開、「軍事的関与は諸外国にとり不安要素となりえ、ベロガの発展、幸福追求に水を差すもの」としたが、労働党側は、1025年にベロガで発生した反乱軍に対し、鎮圧が3期遅れている事をあげ「通常の哨戒活動では限界があることは明白で、ベロガ当局の対処力や国土構造を考えれば、即応性のある駐留は妥当な判断」と反論した。

ヴィウチェイスカヤ首相は、宮殿で行われた本紙記者の本件に関する質問に対し、次の通り回答した。
「全ての選択権は大公国政府が有している。我々は両国人民の利益に貢献できる事でしか合意しない。私自身、いずれ公爵殿下や政府主席に謁見し、さらなる相互理解のもとに両国関係を前進させたい所存だ。我々によって、両国は前政権以上の成果を得るだろう」

(その他のヘッドライン)

【国際】ガトーヴィチ建国600周年(1027年)にコズイレフ首相が祝電
    「両国の幸福は、ベルーサ人共通の幸福」と言明
    とうの昔のレゴリス700周年は発表されない模様

【国際】ヴェニス地域の政治不干渉プロトコル、平行線のまま期日経過
    対案出さない企業側 建設的議論なく


ブルースター紙 発行:37008期1028年1月下旬

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