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アンリエット・ビュファン新議長就任ほか

【政治】アンリエット・ビュファン新議長就任。就任演説では「強靭な国家目指す」「外交は国内政治ではない」

 949年11月、アンリエット・ブランディーヌ・ビュファン博士が第18代中央議会議長に就任した。新議長はロムレー軍で軍医を勤めた後、公衆衛生学修士を取得し福祉医療局で軍人・軍属の職業衛生を担い、在職中に医学博士を取得するなどし、安全保障政策と医療政策の両面に明るい実務家として知られている。就任演説では「レジリエンスに優れた、強靭なロムレー湖畔共和国を目指す」との方針が示された。ほかにも演説のなかで注目されているのは「外交は国内政治ではない」という言葉である。本紙国際版ではこの言葉に注目して解説を行うこととする。
 920年代、第7回会期国連総会のころから続く外交局の地位低下はロムレー国内では公知のことであり、就職人気ランキング等をみても外交局の評判は今や中央議会諸事務局のなかでも最も低迷しているといえる。このような凋落は9世紀末に活躍したリュシェール国連大使(のち第16代議長)の退任後に中央議会においての外交局の国連外交担当者の質が低下したことを遠因とし、920年代の烈天による一般理事国選挙制度導入反対運動の失敗(ロムレー政府は棄権)に際して外交局担当者の説明が要領を得ないものであったことが主因となっている。これによって外交局の旧来のキャリア層が力を失ったことから外交局の業務の中心的な担い手は若手国際研究研究者の任期付き職としてのものに依存するようになって久しく、ロムレー外交は長期的視野を欠くようになっていった。
 このような状況のなかで、新古典派現実主義外交を掲げる新議長を中心とする議員の目指す方向は、「親ロムレー派のルッコラ主義」を自認して外交的には消極的な姿勢を示すことで外交問題からの失点を抑える姿勢をとったポール=アンリ・レ・ラグランジュ前議長など議会の多数派がとる外交的な消極主義の姿勢とも、古いタイプの外交的「現実主義」を自認する議員が好む「古き外交」(国連成立以前、特にソサエティの活動が活発だった7世紀後半から8世紀前半のパワーポリティクス的外交)への復帰とも異なる。ソサエティのようなものに関しては、実際の運用においてみられた閉鎖的性格は国際社会に否定的影響をもたらしたとし、「もし再始動する場合であっても、結成当初予定されていた議事録の公開は行われるべきであり、大国間秘密外交の中心となるべきではないし、過度に影響力を振るおうとすることはむしろリスクを伴う」として(国連主導の)現在の秩序を尊重しつつも、「同盟理事国制度にみられるように、同盟国間の連携は国連外交の基盤である」ことを強調し、第7回会期国連総会のような事態を防ぐ姿勢をとるべきとしている。新議長はこの方針で外交を進めることになるとされ、既に別国との首脳会談や路烈合同軍事演習の開催が予定されているとのことだが、このような方針は果たして功を奏するだろうか。

【国際】ロシジュア、国連安保理一般理事国へ

 947年のローレル共和国滅亡以降、フリューゲル国際連合安全保障理事会において、一般理事国はロムレー一国のみの状況が続いている。ロムレーの外交関係者の間では伝統的に一般理事国が多く存在することは議事進行を遅延させる一方で実効力のある決定に寄与しないとしてあまり好まれない傾向がある(一時は外交局内部でも「ロムレーが一般理事国から脱落すれば無一般理事国を達成でき、安保理を効率化できる」という意見も模索された)が、国際社会においては一般理事国を多くすることにより安保理の正統性が高まるとの見解が根強く(前述のロムレー非一般理事国化が試みられなかったのもこれにより実現困難なため)、複数の国の間で今後の一般理事国推薦について水面下で模索が行われていたとみられている。その結果、加瓦新別4ヶ国がロシジュアに推薦を行うこととなり、ロシジュアならばと当然今回共和国もロシジュアを一般理事国に推薦したことにより960年代の理事国就任が確実な見通しとなった。また、ロムレー政府は第10回会期で採択されたばかりの理事国推薦代行制度を利用し、それ以降は代行国としてヘルトジブリールを指名するとした。
 これについてはロシジュア外交に詳しいヴァランタン・パレンシア・イ・ビクトリア議員(第5代国連大使、超越主義者)によれば「9世紀後半に安保理に出席した際の活躍が注目を集め、10世紀初頭には経済的な飛躍の段階を迎えたロシジュアにいよいよ国際的発言力が追い付いてきた形。今回は1任期10年間のみだが、今後更に活動する機会もあるだろう」とのこと。

【セビーリャ】外交部会、「自治200周年までに自治宣言体制の抜本的改革を行うべき」決議

 764年のセビーリャ自治宣言から今年951年現在187年が経過している。セビーリャ地域においては、920年代半ばに発生したCDX-Sシステムの障害は現在でも完全な復旧をみておらず、935年には大規模な騒擾が発生し、物資配給のための本国から支援部隊を派遣する事態にも陥った。また、現在でも、農業生産についても信頼できる統計がないものの最盛期の半分以下にとどまると推定されており、市民サービスにも多くの問題を抱えているとされている。しかし、940年代後半以降は自治組織によって農村の再建やインフラの再整備が進められており、これを組織化することで自治を次の段階に進行させられるとの見通しが立ちつつある。
 940年代後半からのセビーリャ人の内政活動のこのような回復という状況を受け、中央議会外交部会で活発化しているのが「セビーリャ人による責任政府設置論」である。既に内政権に関しては「事実上完全な自治を享受している」というのが外交局の見解であり、自治宣言において厳格な制約が明記された部分を除いて、セビーリャにおける行政・司法・立法は全ての分野でセビーリャ人自身の手によって担われている状況にある。このような実態を受け、外交部会においても「制限の緩和・解除」を「暫定的なものである」とする自治宣言はもはや時代遅れのものであるという見解が共有されており、リアライン条約による国際法上の制約についても「撤廃するに支障なし」との声が広まっている。外交局が非公式に10世紀初頭の段階で実施していた各国外交当局からの意見調査においても、「即時独立」を認める声が相当程度存在しており、次点で多かった意見である「数年以内の独立」もあわせると、国際世論は既にセビーリャ独立を受け入れる用意ができているといえる。この意見調査は直後のCDX-Sシステムの障害発生もあって現実の自治政策に反映されないままであったが、これも現実のものとする用意ができているといえるだろう。
 このような状況を受けて950年に外交部会の発した決議は「974年(自治200周年)までを目途としたセビーリャ人による「責任政府」設置」を目指すとしている。これは、セビーリャ議会を基盤においたセビーリャ地域の政府組織の再組織化を図るものであり、セビーリャ地域に行政・司法・立法の全てにわたって「セビーリャ人による、セビーリャ人のための、セビーリャ人の」政府を樹立するものであり、外交・軍事に関しても「その正統性は正当に選挙されたセビーリャ人の代表の定めに基づく」とされている。

(その他ヘッドライン)

  • ソシエテ現存4ヶ国、別府政府のソシエテ復帰を承認。
  • ガトーヴィチにおいて一時的な財政危機か。公務員を中心としたゼネラルストライキに突入との報も現在では平穏を回復。

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  • 別府人も「ロムレー系牛に合う」と絶賛するワインをあなたの食卓にも。当地のヴァン・ド・ペイは、お値段もお手頃です。(ファンコーニュ・ワイン組合)
  • ロムレー人には忙しい仕事の合間を縫って毎週末に気球に乗って楽しむ人が多いことを知っていますか?あなたのロムレー観光の旅程にも、気球での遊覧のひと時を。(クラブ・モンゴルフィエ)

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