【帝室】インターリ君帝陛下崩御
畏くもインターリ君帝陛下にはイェゴール58年—942年—1月22日、ガトーヴィチ帝国医科大学附属病院にて崩御有らせられた。
【帝室】アパラート大公殿下御即位 新元号はニーカ
インターリ君帝陛下の崩御を受けたアパラート大公殿下は1月22日、第26代君帝に御即位遊ばされた。新元号は、新皇后陛下の御名を頂き「ニーカ(Ника)」と改められた。
【帝室】インターリ先帝陛下御大喪挙行せらる
祈願式
インターリ先帝陛下御大喪はニーカ15日、イヴァングラート市にある救世主ハリストス大聖堂にて史上最も荘厳に執り行われた。この日は国民の休日とされ、全局で御大喪が生中継された。特別にしつらえられた祭壇には、紫色の絹布を掛けられた先帝陛下が玉体そのままに安らかに有らせられ、アパラート君帝陛下を先頭とする帝室の御方々は列を為して先帝陛下のもとへお歩み遊ばされ、枕元に着くとたちまち御慟哭有らせられた。新コンスタンティノーポリ・イヴァングラート及び全地総主教イオシフ猊下の主宰により正教に則った儀式(祈願式)が執り行われ、帝国歌の斉唱で締め括られた。先帝陛下の突然の崩御にもかかわらず、諸国貴賓が御参列された。
- 秋津国実仁皇王陛下、皇后陛下
- ネオ下北沢帝国 GO陛下
- カルセドニー社会主義共和国外交委員会上院議員 ハバト・ブラッドストーン閣下
又、ヴェールヌイ社会主義共和国、トラハト=ラシュハ連合王国、セニオリス共和国、ロシジュア帝聖平和ドミニウム、レゴリス帝国、新洲府共和国、ロムレー湖畔共和国、昭栄国より丁重なる弔意を頂いた。
葬列式
次にインターリ先帝陛下は柩車に運ばれてイヴァングラート市内、田の中の救世主協会(西イヴァングラート県)・帝居マリヤ宮(同県)を順次巡幸有らせられた。御葬列の経路には交通規制が敷かれ沿道には警視庁の発表によると53万人の帝国民が押し寄せて先帝陛下を見送った。道中には帝国軍吹奏楽団各隊が分散配置され、無線で絶妙に時間をはかりながら、アシュルモフ氏による大喪曲「Syndomyの極(きわみ)」を演奏した。
埋葬式
柩車なる先帝陛下は遂にヴァルヴァルストヴォ県に新たに建造されたインターリ陵に行幸有らせられ、ここをついの御座所として御安眠遊ばされた。
【帝室】アパラート君帝陛下戴冠式挙行せらる
アパラート君帝陛下の戴冠式はニーカ2年—943年—2月16日、西イヴァングラート県は帝居マリア宮において厳かに挙行された。この佳き日は国民の休日とされ、全局で御大喪が生中継された。又、フリューゲル各国より貴賓が来瓦された。
- 秋津国皇王・皇后両陛下
- ネオ下北沢帝国元首 GO陛下
- 香麗国皇帝 朴成華陛下
- 石動国皇帝 山城宮陛下
- 秋津国上将軍 細川経政殿下
- 新洲府共和国大統領 クジョウ・カゲツ閣下
- ロシジュア帝聖平和ドミニウム中務ソシアート代表 アーニャ・ロシジュア・イノセンティナ閣下
- カドレン共和国大統領 バルフォア閣下
- ライン共和国大統領 エーベルト閣下
- 民族自治軍管区ハルィチナー人民代表閣下
- 昭栄国副大統領 南海閣下
- レゴリス帝国外務大臣 リカルダ・グライスナー閣下
- カルセドニー社会主義共和国外交委員長 アンク・モスアゲート閣下
- トラハト=ラシュハ連合王国外務大臣伯爵 ローレンツ・キンスキー閣下
- セニオリス共和国外務長官 トミスラヴ・シュカレ閣下
- ロムレー湖畔共和国駐瓦大使 エマニュエル・エリク・ノエミ閣下
- ヴェニス株式会社CEO ムスタファ・デミレル様
【帝室】陛下、総主教就任を固辞
アパラート君帝陛下は23日に勅語を渙発有らせられ、イオシフ新コンスタンティノーポリ・イヴァングラート及び全地総主教による譲位の申し出について、これを固辞する御心を表された。勅語には「正教の貴き教へはガトーヴィチ人のみが占むるものにあらず。朕は帝国の臣民と森羅万象の君帝に推戴する所にして、若し朕総主教に就けば誤解を生ずべし」とあり、正教の伝播がほぼ帝国の内に止まっていることに胸を痛める君帝陛下の御心が滲み出るものであった。
勅語を受けたギンクゴーネン首相は「かしこき勅語を賜り、君帝主義・正教主義を同一視してはならないとの思いを強く致しました」と述べた上で、「陛下の御心を安んじられるように正教を通じた国家間友好を進めていく」と決意を新たにした。
またイオシフ総主教は「現在フリューゲルに存在する正教会がガトーヴィチ正教会のみであるため全地総主教についているものの、各国正教会は対等であるべきであり、全地総主教の委譲・輪番制の採用にはやぶさかでない」と発言された。
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