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エツィロプ皇太子御即位/各種協定成る/瓦烈外相会談

【君帝】シェルクンチク君帝陛下崩御、エツィロプ皇太子殿下御即位

シェルクンチク先帝陛下の御大葬

860年-ジナイーダ14年-9月、帝国新報電

 シェルクンチク君帝陛下に於かせられては、ジナイーダ14年9月2日、肺炎の為、ガトーヴィチ帝国医科大学附属病院において崩御在らせられた。宝算88歳。シェルクンチク君帝陛下の崩御を受け、エツィロプ皇太子殿下が第23代君帝に御即位遊ばされ、「スヴェトラーナ」と御改元遊ばされた。エツィロプ君帝陛下は宝算65歳、シェルクンチク先帝陛下の第三皇子に在らせられ、ベロガトーヴィチ大公国ウラジーミル大公殿下の弟に在らせられる。

【社説】リーソフ朝の行方

860年-スヴェトラーナ元年-9月、帝国新報電

現在の君帝家

 427年の建国以来、ガトーヴィチを統治されている君帝家だが、将来君帝となられる方の減少が問題となっている。シェルクンチク先帝陛下の3人の皇子のうち、エドガル大公は亡命を図り獄死、ウラジーミル大公はベロガトーヴィチ大公となられた為、エツィロプ大公が御即位在らせられた。しかし、エツィロプ君帝陛下の孫の代を見ると、男系男子がいらっしゃらない。かつて君帝家の男子は15歳になると同時に皇子皇女を設ける慣習があり、皇子皇女に恵まれていた。しかし、813年戦争における敗戦と民主帝国法が成立する国内情勢にあって、国民の生活に近づくべく、この慣習は廃止された。君帝典範において、「帝位継承は男系男子」としている以上、何らかの方策を打たなければ、4世紀を超えるリーソフ朝は断絶してしまうだろう。

(文責:Т. Н. ギンクゴーネナ)

、文責:Т. Н. ギンクゴーネナ

【政治】各種協定成る

イヴァングラート帝国大学

859年-ジナイーダ13年-11月、イヴァングラート通信社電

 ガトーヴィチ民主帝国政府は858年5月、ロシジュア帝国(現:ロシジュア平和連邦)との間に瓦樹交流協定を締結し、交換留学、学術交流、企業交流、査証緩和の四種類についてロシジュア平和連邦との交流促進を実現した。既にロシジュア人学生100人が、イヴァングラート帝国大学、 セヴェロモルスク帝国大学、ヴァダーコイ大学といった名門大学に優先的に入学し、文化人類学を主とする社会科学と、機械工学を主とする自然科学系の学科において、ガトーヴィチ人学生と切磋琢磨している。政府は更に、同月にベロガトーヴィチ大公国との間に瓦白開発協定を締結し、ベロガトーヴィチを食料、銀を初めとする各種資源の安定調達先、各種商品の有望市場とすべく全面的な支援を展開し、ひいては文化的にも政治的にも密な関係を構築することを模索している。緊密な連携をもつガトーヴィチ民主帝国、ロシジュア平和連邦、ベロガトーヴィチ大公国三大スラヴ国家は、フリューゲルにおいて一時代を築くことになるかもしれない。

【政治】瓦烈外相会談

瓦烈外相会談で出されたものと同種のバウムクーヘン

857年-ジナイーダ-11年-8月、イタク通信電

 エフゲニー=ヴィクトロヴィチ=クルブニーキン外政大臣は17日、レゴリス帝国首都ブリンストにおけるレゴリス帝国建国550周年記念式典への出席に先立ち、同地においてレゴリス帝国フィリーネ=バルシュミーデ外務大臣と会談した。会談時にはバルシュミーデ外相の計らいでエーラーン産の紅茶とレゴリス産のバウムクーヘンが供され、「大変美味でした。あれが会談の一番の果実でしたね。(外相談)」 クルブニーキン外相はバルシュミーデ外相に対し、我が国の国際的地位が向上し、ディースブルク体制に束縛されることが非合理的になったことを説明したが、バルシュミーデ外相はディースブルク体制下の我が国を「テスト期間」と表し、「良い結果を残さず落第点を取れば期限後に『補講』が始まるやもしれません。」と言い切った。

 この会談の結果を受けて、連立与党を組む帝国発展党(右派)議員からは「戦勝国ぶりに怒りを覚える」「今すぐディースブルク体制に挑戦すべきだ」という声が聞かれる一方、チェプロフ首相が総裁を務める立憲進歩党(中道右派)議員からは「ディースブルク体制が終焉を迎える866年以降に巻き返せば良い」「現代都市占領問題を蒸し返されると困る」などの穏健なる意見が多い。帝国政府は、この外相会談を「我が国の潜在能力を国際社会にアピールする場であった」として一定の評価を下している。

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