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労働党、内部対立も党勢回復

851年1月1日付〈中央通信〉

労働党 連合党 (枠線付が改選議席)

 850年12月27日に行われた共和国議会選挙は、前回改選議席の3分の1すら獲得できない大敗を喫していた労働党が半数を28議席上回る178議席を獲得、議会における勢力を回復した。非改選を含めた議席数合計では341議席を押さえた連合党が過半数を維持したものの、840年選挙では9分の6ポストを連合党が占めていた専門委員会委員長については「三大城塞」に加えて外交委員会と研究設計委員会に労働党籍者が委員長に選出されている。外交委員長は847年末に連合党のトレン外交委員長が辞任して以降空席となっていたが、今回労働党のローネ・スティショバイト安全保障局長が連合党籍のカリア・ブラッドストーン経済局長を破り、10年前に失った外交委員長ポストを労働党が奪還した。
 一方で、今回の選挙では「労連両党の対立」はほとんどクローズアップされなかった。両党の政策論争は下火であり、投票所で行われたアンケートによれば市民の投票動機も政策面よりも印象面、特に普蘭によるライン宣戦事変においてほぼ無策だったとみなされたトレン前外交委員長への批判票が多かったことが明らかになっている。むしろ、この選挙で注目されたのは両党、特に労働党内部の派閥対立であった。

労働党<国際主義派>、支持拡大果たせず

 労働党内ではユハル元外交委員長(現在はFUN大使に転任)の外交委員長時代の外交政策や、ライン宣戦事変勃発当初の〈赤光〉紙への寄稿が結果的に事態の緊迫化を招いたとする批判が強くなっており、ユハルの外交政策を支持する<国際主義派>に対して「三大城塞」を支持基盤とする保守派である<孤立主義派>が攻勢をかける、という構図が840年代後半以降固定化している。今回選挙において<国際主義派>はその影響力拡大のために5つの委員会(動力、生産搬送配給、住環境、研究設計、技術)の委員長選出投票候補者を大々的に支援し、外交委員会の外にも支持を拡大しようと試みた。しかし、<孤立主義派>は連合党よりむしろこの<国際主義派>の活動を警戒、選挙戦で労働党が比較的有利な体制を築いていた研究設計委員会と技術委員会において「刺客」候補への大幅なテコ入れを図った。結果、研究設計委員長は<孤立主義派>の「刺客」が勝利、技術委員会は両派の候補が票を食い合った結果連合党候補が逆転勝利している。

 結局、<国際主義派>は外交委員会では<孤立主義派>候補を寄せ付けず連合党への逆風も手伝って委員長の選出に成功したものの、他の委員会では委員長ポストを得られず、共和国議会議員についても過半数が<孤立主義派>に属する議員に占められる結果となった。ローネ新外交委員長は「党保守派の露骨な妨害が結果として技術委員会での敗北につながっており、内部対立は党全体に悪影響を及ぼしかねない」として<孤立主義派>を批判したものの、党内対立で依然厳しい体制であることには変わりがない。

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