フローリド共和国に帰国したロサとカタリーナ。リブル民主共和国との食料輸出契約を実現するため、それぞれの職場での準備を進めていた。しかし、二人の前に新たな障害が立ちはだかることになる――。
帰国して一週間後、ロサは部下とともにアムリオアルド島へ向かった。この島には、フローリド共和国の中でも有数の食料生産設備を持つ「アムリオアルド農業開発公社」がある。
リブル向けの30億トンという膨大な量を確保するには、この公社の協力が不可欠だった。
応接室には、生産責任者であるベアトリス・ペレスが待っていた。
「30億トン? 馬鹿を言わないで。そんな量、簡単に用意できるわけがないわ。」
ペレスは厳しい表情でロサに告げた。
「現在の生産能力では不可能。仮に増産するとしても、設備投資と労働力確保にどれほどの時間がかかると思う?」
ロサはすぐには引き下がらなかった。
「政府による資金援助や輸送支援があれば、可能性はありますよね?」
「……そんな保証、どこにあるの?」
ペレスは腕を組み、思案するように天井を見上げた。そして、ふと呟く。
「……ロシジュア向けの輸出も、ここ最近は頭打ちになっている。」
ロシジュアはこれまでフローリド共和国の主要な食料輸出先のひとつだった。しかし、ここ数年は輸出量が横ばいで、新たな成長が見込めない状況が続いている。
「つまり、リブルとの契約が成立すれば、貴社にとっても新たなビジネスチャンスになるはずです。」
ロサは微笑んだ。
—その後、交渉は続き。
「わかったわ。政府の支援が正式に決まれば、協力させていただく。でも……約束は守ってもらうわよ。」
ペレスは渋々ながらも承諾し、30億トンの生産確保に向けた交渉が成立した。
***

–ラ・フローリド共和国 首都ヴィレンシア 通商院庁舎–
アムリオアルド島での交渉から数日後、通商院に一人の男が現れた。
彼の名はアリョーシャ・レウシキン。ヴェールヌイの貿易窓口を担う国策企業「ヴェールヌイ鉱業燃料」の対フローリド担当責任者だ。
カタリーナは彼を応接室に迎えた。
「お久しぶりですね、レウシキンさん。」
「ご無沙汰しております、ドミンゲスさん。」
「今日はどういったご用件で?」
レウシキンは穏やかに微笑んでいたが、その目は冷たかった。
「単刀直入に申し上げます。共和国は、フローリドからの鉄鋼輸入を停止する事を検討しております。」
カタリーナは表情を崩さず、冷静に問い返す。
「それは、どういった理由で?」
レウシキンは軽く肩をすくめる。
「理由などわかりません。しかし、党にはそういった意向がある、ということです。」
「……それは本当でしょうか?」
カタリーナは疑いの目を向ける。しかしレウシキンは明確な理由を示さず、曖昧な態度を貫いた。
「私としても気が重い話なのですが・・・。」
彼は続けた。
「鉄鋼輸入停止だけでなく、フローリド国債の償還も検討されているとか。また御存知の通り、共和国は自国の燃料輸出に加え、外国産燃料の交易網について一定のコネクションを持っております。フローリドが現在のように国土拡張や経済規模拡大を志向するならば、このことがボトルネックになることもあるかもしれません」
カタリーナは、レウシキンをまっすぐ見据えたまま答えた。
「お話の趣旨が十分に理解できません。」
レウシキンは唇の端をわずかに吊り上げ、不敵な笑みを浮かべると、ゆっくりと言葉を放った。
「もちろん、貴国が適切な判断をなされば、その限りではないでしょう。」
「適切な判断、とは?」
「・・・あのような国に対して、大口食料輸出を計画していることを、我々も承知しているということです。」
暗に、フローリドによる「リブル向けの食料輸出計画」を白紙にするよう求めていたのだ。
「よろしくご検討ください。」
レウシキンはそういうと立ち上がり、通商院を後にした。
カタリーナはレウシキンの背中を見送り、低く呟いた。
「……まさか、友好国から邪魔が入るなんて。」
ヴェールヌイ社会主義共和国は、フローリド共和国と同じBCAT(ベルクマリ包括的協力機構)に所属し、経済的にも強く結びついている。
しかし、そのヴェールヌイがリブル向けの食料輸出を妨害しようとしている。カタリーナは「ヴェールヌイ鉱業燃料」の「アリョーシャ・レウシキン」が、実際にはヴェールヌイの国家保衛省の人間であることはわかっていた。
「フローリドがリブルと接近することを嫌がっているのね……。」
フローリドがSLCNに所属する軍事国家リブルと貿易を拡大し支えることは、ヴェールヌイにとって面白くないことであり、フローリドに対する相対的な影響力低下も危惧しているのだろう。
カタリーナは拳を握りしめた。
「こんな嫌がらせに負けるわけにはいかない。」
新たな外交戦の渦に巻き込まれようとしていた――。
第一部⇒ヴィレンシアの交渉人 第一部:転機訪れる – 新貿易版箱庭諸国
第二部⇒ヴィレンシアの交渉人 第二部:ある国の正体は – 新貿易版箱庭諸国
第三部⇒ヴィレンシアの交渉人 第三部:ビッグディールの先には – 新貿易版箱庭諸国