*以下の記事はイスタシア連邦直轄地内のエル・ミラドール紙からの転載です*
“離宮”の帝国執政官アンブローシウス2世、今日も街にご出御
全イスタシア人の守護者、ローマの遺光を纏いて歩む
記者:アニタ・アストルガ(市井担当)
プエルト・バスラにおいて最も有名な「身分不詳の高貴人」、アンブローシウス2世閣下は、本日も街の人々の注目と微笑みを一身に集めながら、いつもの「帝国式巡幸」にお出ましになった。
自らを「ローマ帝国終身執政官にして全イスタシア人の守護者」「かの偉大なる皇帝アンブローシウス1世の末裔」と称する閣下の素性は、実のところ誰にもわからない。しかし、市民たちはその問いをもはや重要とは思っていない。彼の存在は、この街における一種の詩であり、祝祭そのものだからだ。
■ 離宮にて目覚め、儀礼の朝食へ
閣下の“離宮”―実際は南駅裏手の古びたホテル・セレーネの3階角部屋―では、今朝もパンとゆで卵、温かい紅茶、そして新聞紙が恭しく供され、儀礼的朝食として執り行われた。ホテル側は「閣下のお言葉には心を和ませる力がある」として宿泊料を徴収せず、むしろ誇らしげに彼の滞在を受け入れている。
「朝刊は即位の証文である」と述べた閣下は、本紙文化面のチェス欄を熟読後、そっと眼鏡を正し「黒のポーンを以てバルバロイの侵攻に備える」と謎めいた感想を口にされたという。
■ 鳩の軍団とともに外交交渉へ
正午前、閣下は広場に設置された噴水前にて、鳩たちへの大使任命式を挙行。「空を制すものは地を制す」という持論のもと、6羽の鳩にそれぞれ「レゴリス帝国駐在大使」「マラカイボ湾防衛司令」などの称号を授けられた。
子どもたちはその様子を歓声とともに見守り、大人たちは「今日も平和だな」とコーヒー片手に笑顔を交わす。プエルト・バスラにとって、この風景はもはや日常なのだ。
■ 即席の民会、即位演説、そしてパンくず配布
午後2時、閣下は中央広場にて突如「緊急帝国民会」を召集。集まった市民(買い物途中の主婦、新聞配達員、トランペットを吹く若者)に向け、神妙な面持ちで以下の勅令を発した。
「今後すべてのパン屋は、売れ残りパンの耳を鳥類に献上すべし。これは帝国の慈悲にして民草の徳育なり。」
発表後、閣下は自ら懐からパンくずを取り出し、足元のスズメに与えながら微笑を浮かべた。この時の写真はすでに本紙の来週の表紙を飾ることが決まっている。
■ 静かな夜、離宮へ戻る
日も傾き、涼風が漂い始めると、閣下は「本日は反逆の気配なし」との所感を述べ、再び“離宮”へと戻られた。ホテルの女将は彼の姿を見送るたびに「この街が少しだけ美しく見える気がするのよ」と語る。
◆ 市民の声 ◆
- 「うちの子は“アンブローシウスごっこ”が大好きです」(街の花屋)
- 「誰よりも天気の話を深刻にしてくれる人」(市バス運転手)
- 「本物の皇帝だったとしても驚かないし、そうじゃなくても構わない」(書店店主)
編集後記:
世界は時に正気を装った狂気に満ちるが、アンブローシウス2世閣下は、狂気を装った正気を身に纏って、我々に何か大切なものを思い出させてくれる。帝冠はなくとも、彼はこの街の「心の元首」なのかもしれない。