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グリブノーイ君帝陛下崩御ほか/瓦淡国交正常化/イスタシア自由契約共同体の底力

Его Величество ГРИБНОЙ ВИКТОРОВИЧ РИСОВ — Император Всеготовитский, Царь Эстерский, Великий Князь Белоготовитский, и Князь Сазанбергский
全ガトーヴィチの君帝、エステルのツァーリ、ベロガトーヴィチの大公にしてサザンベルクの公——グリブノーイ・ヴィークトロヴィチ・リーソフ陛下

畏くもグリブノーイ君帝陛下に於かせられては、1198年アヴローラ69年6月15日、帝居に於いて崩御有らせられた。

グリブノーイ先帝陛下の御世には、鉛系BTミサイルの発射実験ヤナーミェヴァ首相主導の食肉輸入や工業特化の進展、そして近年の瓦淡国交正常化協定締結など、我が国が内外ともに充実したといえよう。

君帝陛下の崩御の報に対しては、セニオリス連邦、カルセドニー社会主義共和国、ルーンレシア帝国、ラ・フローリド共和国より弔意を頂いた。

ラ・フローリド共和国弔電全文

神聖ガトーヴィチ帝国 第二十九代君帝グリブノーイ陛下が崩御されたとの報に接し、深い哀悼の意を表します。
グリブノーイ陛下はその御在位において、帝国の歴史と伝統を守り抜かれ、国民に対して常に深い慈愛と責任をもって臨まれた指導者でありました。陛下の存在は、ガトーヴィチのみならず、広く国際社会においても尊敬を集めるものであり、陛下の崩御は我が国にとっても大きな喪失であります。
ラ・フローリド共和国と神聖ガトーヴィチ帝国は、時に意見を異にしながらも、長きにわたって互いの主権と尊厳を重んじ、共に平和と安定の構築に尽力してまいりました。私は、陛下の御遺志が今後も帝国に受け継がれ、両国の友好関係がさらに発展していくことを信じております。
この悲しみの時にあたり、リーソフ家の皆様、帝国政府、そして国民の皆様に対し、心よりお悔やみ申し上げるとともに、ラ・フローリド共和国を代表し、深甚なる哀悼の意を捧げます。
リリアナ・バルベルデ
 ラ・フローリド共和国 大統領

【帝室】ジーフ皇太子殿下 第三十代君帝に御即位

Его Величество ДИВ ГРИБНОВИЧ РИСОВ — Император Всеготовитский, Царь Эстерский, Великий Князь Белоготовитский, и Князь Сазанбергский
全ガトーヴィチの君帝、エステルのツァーリ、ベロガトーヴィチの大公にしてサザンベルクの公——ジーフ・グリブノーヴィチ・リーソフ陛下

グリブノーイ君帝陛下の崩御に伴い、イヴァングラート大公・ジーフ皇太子殿下には、第三十代君帝に御即位された。

【帝室】新元号は「アルフィーナ」

ヤナーミェヴァ為政院総理大臣は15日、ジーフ君帝陛下の御世の元号が「アルフィーナ」に決定したと発表した。新元号「アルフィーナ」は翌16日より施行される。アルフィーナは「アルファ」からとられたとみられる女性形の造語である。新皇后陛下、新夫君の御名を戴かない元号は異例であり、帝国がヴォルネスク解放戦争を率いたパストパート君帝(在位700~726)の御代の元号「プロスキ」以来およそ500年ぶりである。

【帝室】先帝陛下御大喪挙行せらる

祈願式

先帝陛下御大喪 祈願式

グリブノーイ先帝陛下御大喪は1199年アルフィーナ2年4月21日、イヴァングラート市にある救世主ハリストス大聖堂にて荘厳に執り行われた。この日は国民の休日とされ、全局で御大喪が生中継された。特別にしつらえられた祭壇には、紫色の絹布を掛けられた先帝陛下が玉体そのままに安らかに有らせられ、ラ・フローリド共和国ヴィレンシア騎士団の精鋭部隊によって厳重に護られていた。ジーフ君帝陛下を先頭とする帝室の御方々は列を為して先帝陛下のもとへお歩み遊ばされ、枕元に着くと静かに御落涙有らせられた。新コンスタンティノーポリ・イヴァングラート及び全地総主教ヴィノグラート4世猊下の主宰により正教に則った儀式(祈願式)が執り行われ、帝国歌の斉唱で締め括られた。

葬列式

先帝陛下御大喪 葬列式
田の中の救世主教会(西イヴァングラート県)
帝居マリヤ宮(西イヴァングラート県)

次に先帝陛下は柩車に運ばれてイヴァングラート市内、田の中の救世主協会(西イヴァングラート県)・帝居マリヤ宮(同県)を順次巡幸有らせられた。御葬列の経路には交通規制が敷かれ沿道には警視庁の発表によると55万人の帝国民が押し寄せて先帝陛下を見送った。道中には帝国軍吹奏楽団各隊が分散配置され、無線で絶妙に時間をはかりながら、アシュルモフ氏による大喪曲「Syndomyの極(きわみ)」を演奏した。

埋葬式

帝居マリヤ宮に隣接するインターリ陵

柩車なる先帝陛下は、高曾祖母インターリ君帝、曾祖父アパラート君帝、祖父ブラクノート君帝、母ヴェールナヤ君帝がおわしますヴァルヴァルストヴォ県は御陵(インターリ陵)に行幸有らせられ、ここをついの御座所として御安眠遊ばされた。

インターリ大聖堂(左上)、旧ネオ下北沢帝国産の銀を用いたイキスギウス8世像に程近い新アパラート大聖堂

インターリ君帝およびアパラート君帝崩御の際には、帝国北西部アスタリノイ県にそれぞれ大聖堂が建設されたが、先帝陛下には、ブラクノート君帝、ヴェールナヤ君帝と同様に、生前大聖堂の建設を固辞有らせられた。

【政治】瓦淡国交正常化

タンファ王国首都ネオ・ヴォルガ近郊に、ベロリーソフ家の宮邸と警備隊詰所(総督府)は所在する

タンファ王国によるベロガトーヴィチ大公旗の掲揚に始まり、ヤナーミェヴァ首相による否定的見解の表明対タンファ声明、ラ・フローリド共和国政府による支持、カルセドニー社会主義共和国及びヴェールヌイ社会主義共和国の斡旋に基づくガトーヴィチ=タンファ二国間協議を経て、瓦淡国交正常化協定が1197年、締結され、ガトーヴィチ=タンファ間の国交は正常化した。調印を終えたニキータ・フヤーノヴィチ・ゴルスキー外政大臣は、交渉の終結に際して記者会見を開き、「深い因縁のあるヴォルネスク地域に現在主権を有するタンファ王国と、この度国交正常化を果たすことができた。ベロリーソフ家におかれては、大公位の世襲が正式に認められたことにくわえて、1hexの私有地・宮邸と1hexの警備隊詰所を有し、ヴォルネスク大公およびご一家に相応の礼遇と保護が与えられたことは、リーソフ家を戴く我が国としても喜ばしい結果であった。現在も着々と協定履行が進んでおり、タンファ、ヴェールヌイ、カルセドニー各位に感謝を申し上げたい。」と述べた。記者からは、交渉中に行われた「ガトーヴィチ国対タンファ要求に関する共同声明」や、交渉妥結後に締結された「烈SLCNによるタンファ王国の独立保障」に対する帝国政府の対応について質問が集中した。それぞれについてゴルスキー外政大臣は、「本件は瓦淡両国間の協議によって解決されるべき問題であったが、別途関係の深いヴェールヌイ・カルセドニーの斡旋をいただいて、これが協議の円滑化と協定の結実に深く寄与したものと考えているが、リブル民主共和国政府のように一国からの表明を受けることは想定しつつも、あのような多国介入声明が発出されるとは想定していなかった。我が国は両国間協議がつつがなく進行するように冷静に静観を促させていただいたが、果して多国声明が自然発生的に生じたとも思えず、諸外国を招来して両国間協議成果への多国介入を図った主要国を仮定して好ましからざるふるまいと感じたのであるが、両国間協議が成功裡に終わった時点でそのような鬱屈とした気持ちは晴れた」と、「烈国及びSLCNの安保声明中の『タンファ王国に対する主権侵害が二度と行われないことに対するコミットメントが与えられたことを高く評価する。』という表現は、我が国がタンファ王国の主権を一度侵害したように誤認させる意図があるか、もしくは一同こぞって誤認を宣言なさっているように見受けられ、形容しがたい気持ちを抑えているところであるが、タンファ王国の名誉のため、未だ署名がそろわない声明に訂正を求めるような無粋はいたさず、すでに発効した瓦淡国交正常化協定の精神に基づいて、我が国はタンファ王国の平和と安定にコミットしたいと考えている」と語った。そしてある記者は会見中のゴルスキー外政大臣の檀上の水差しの中身について質問したが、最後まで水であるという回答は得られなかった。
外交問題に詳しい専門家は「外政大臣の発言では協定の結実が別加二国の斡旋であったと結論づけているが、結局多国介入声明が妥結を急がせたことはまず間違いないだろう」と言及している。

【国際】イスタシア自由契約共同体の底力

不幸にも黒塗りの体制(アナキズム)に突入したノイエクルス領イスタシアあらためイスタシア自由契約共同体は、ノイエクルス時代の社会保障体制等がすべて自由となった後も、想定内の社会混乱にとどまって幸福度63を維持し、想定以上に幸せな暮らしを謳歌しているようである。【政治】「従属からの解放はいつだって喜ばしい」ヤナーミェヴァ首相、椅国独立の機運に言及(1188年)と【国際】「純朴な君主制の可能性すら排した歪つな選挙」ヤナーミェヴァ首相、椅選挙体制に苦言 (1194年)の言及を除いてご意見番よろしく静観の構えである。ある首相官邸ヴォロス宮関係者は記者の取材に「ヤナーミェヴァ為政院はイスタシア情勢を注視しているが、なまじ君主制が芽生える可能性もあるだけに下手をうつまいと動けないでいるようだ」と語った。

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