【帝室】ブラクノート君帝陛下崩御
畏くもブラクノート君帝陛下に於かれては、エリザヴェータ55年1040年7月21日、ガトーヴィチ帝国医科大学附属病院に於いて崩御有らせられた。ブラクノート先帝陛下には、ベロガトーヴィチ大公国(第二大公国)に巨大隕石が落下した際にズダチョーフ首相の無策を御叱咤有らせられた。同時期には、ベロガトーヴィチのミーンフク公殿下にヴォルネスク大公位を譲位有らせられた。エリザヴェータ15年1000年には、第二大公国の滅亡を看過したノジーンスカヤ首相の無策を御叱咤有らせられた上で、ベロガトーヴィチ大公として、ノジーンスカヤ首相の輔弼により、ベロガトーヴィチ地域を一時編入した。同時期には、宮内省をしてルクスマグナ政府に金のイコンを贈呈せしめた。エリザヴェータ42年1027年には、帝国建国六百年を寿ぐ勅語を、帝国民の前で渙発有らせられた。ブラクノート先帝陛下の御人柄と御功績は、永遠に語り継がれることだろう。
【帝室】ヴェールナヤ君帝陛下即位
ブラクノート君帝陛下の崩御を受けたイヴァングラート大公女ヴェールナヤ殿下は7月21日、第28代君帝に御即位遊ばされた。新元号は、夫君の名をとり「ヴィクトル(Виктор)」と改められた。戴冠式は、翌年行われることとなった。
【帝室】ブラクノート先帝陛下御大喪挙行せらる
祈願式
ブラクノート先帝陛下御大喪は1040年ヴィクトル元年8月21日、イヴァングラート市にある救世主ハリストス大聖堂にて荘厳に執り行われた。この日は国民の休日とされ、全局で御大喪が生中継された。特別にしつらえられた祭壇には、紫色の絹布を掛けられた先帝陛下が玉体そのままに安らかに有らせられ、ヴェールナヤ君帝陛下を先頭とする帝室の御方々は列を為して先帝陛下のもとへお歩み遊ばされ、枕元に着くと静かに御落涙有らせられた。新コンスタンティノーポリ・イヴァングラート及び全地総主教ヴィノグラート猊下の主宰により正教に則った儀式(祈願式)が執り行われ、帝国歌の斉唱で締め括られた。
御大喪に際しては、ヴェールヌイ社会主義共和国宮殿およびカルセドニー社会主義共和国外交委員会より弔意表明を受けた。
葬列式
次にブラクノート先帝陛下は柩車に運ばれてイヴァングラート市内、田の中の救世主協会(西イヴァングラート県)・帝居マリヤ宮(同県)を順次巡幸有らせられた。御葬列の経路には交通規制が敷かれ沿道には警視庁の発表によると53万人の帝国民が押し寄せて先帝陛下を見送った。道中には帝国軍吹奏楽団各隊が分散配置され、無線で絶妙に時間をはかりながら、アシュルモフ氏による大喪曲「Syndomyの極(きわみ)」を演奏した。
埋葬式
柩車なる先帝陛下は、祖母インターリ君帝、父アパラート君帝がおわしますヴァルヴァルストヴォ県は御陵(インターリ陵)に行幸有らせられ、ここをついの御座所として御安眠遊ばされた。
インターリ君帝およびアパラート君帝崩御の際には、帝国北西部アスタリノイ県にそれぞれ大聖堂が建設されたが、ブラクノート君帝陛下には、生前大聖堂の建設を固辞有らせられた。