皆さんが参加する愛国者の会の歴史について語っていきます。
愛国者の会は、2015年1月12日(建会節)に、カイト大統領をリーダーとする愛国者有志によって建設されました。ロビー誕生前のナカマップ時代から”白馬の将軍”として、政治グループ界隈で慕われ讃えられていた偉大な首領様も、愛国者の会建設メンバーの一人でした。まさにロビー政界の創始者というわけです。
しかし、2016年、愛国者の会に分断の危機が起こります。ミナトの登場です。彼は愛国者の会のリーダーに就任し、独裁政を敷いていきました。当時の愛国者の会は2つの勢力に分かれていました。ミナトを首班とする「愛国派」、そして首領様を首班とする「日興派」です。
愛国派は、日本伝統や親米を重視する、典型的な親米保守派でしたが、次第に国粋主義者も増えていきました。
日興派は、独自のスタンスを貫いていました。首領様が唱えた”日興論(日本復興論)”に基づいて、社会主義・進歩的民主主義・左派愛国主義を掲げた、革新派でした。
愛国者の会は、史実世界のように、冷戦状態となってしまったのです。
次第にミナト愛国派が主導権を握り、ついに日興派が解体され、首領様は追放されてしまいました。
その後、首領様を支持するメンバーは何度も復帰を求めましたが、愛国者の会の保守派の煽動によって、愛国者の会に反民主主義的土壌が作られていた為に、復帰の願いは叶いませんでした。
そしてついに保守派の最先鋒、テルユキ総統がリーダーに就任します。右派による独裁が完成しました。
偉大な首領様は、愛国者の会に対抗する為、様々なグループを作りました。
日興論愛国聖者会、左派の会、浜名湖パルパル、愛国者の会左派、ロビー政経評議会、ロビー民主主義統一党等、多様なグループを創造していきました。
そして今に至ります。
しかし時代は変わりました。今では、私調べですが、愛国者の会大衆の 首領様支持率、復帰支持率は、100%を超えています。和解、友好の春が来たのです。
今、我々は歴史の転換期、転換点にいるのです。
全愛国者の悲願である、愛国者の会統一は、確実に近づいています。