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自由民主党が解党 他

1050年6月13日付

【政治】自由民主党が解党 3党に分裂へ

<新セニオリス通信>

940年10月に結党された自由民主党は、旧セニオリス自由党の後継政党の一つであり、共和国の中道派の一端を支えてきた。一方で近年では保守党との連携を契機に各派閥の主張が先鋭化し、党内に深刻な亀裂が生じつつあった。前回の第11回選挙では26議席を獲得し無視できぬ勢力を誇ったが、党代表が右派の保守党との連携を拒絶する姿勢を取ったことで分裂はますます深まり、第11回議会では党所属議員が各派閥ごとに別行動する光景が続いた。

もはや党はその政党たる機能を喪失しているというのが大勢の見方であったが、第12回選挙が迫る中で党はついに正式な分裂の道を選んだようだ。
1050年1月に開かれた党大会において、自由民主党の解党が全会一致によって決議され、約110年の党の歴史に幕が降ろされた。大会では共和派と立憲派が双方に党の分裂の責任を押し付け合う光景が繰り広げられ、両派の間に深まった溝の深刻さを伺わせた。

自由民主党という軛から解き放たれた各派は、それぞれに新政党を樹立させ、独自色を強めている。共和派は中道政治、共和主義を掲げる「自由共和党(Liberalno republikanska stranka / LRS)」を設立した。党は「中道政治の再建を図るため死力を尽くす」としており、右派への傾倒を強めた立憲派への牽制を図っている。一方の立憲派は保守党との合同を決し、合同記者会見において「セニオリス民主党(Šenioridska demokratska stranka/ ŠDS)」の設立を公表した。同党は保守主義を掲げる中道右派政党を自称しており、立憲派がもはや中道政治を重視していないことの証左として受け止められている。長期にわたり国政に復帰できず現在では少数の地方議員のみが所属するリバタリアニズム派(旧自由派)は、どちらの動きにも与さず、独自にリバタリアニズムを掲げる政党の樹立を模索している。同派に所属する地方議員の一人は「我々だけでなく、我々と理念を共有できる同志を模索する」と語っており、国政復帰に向けて力を蓄えている。

自由民主党の分裂について進歩自由党の幹部は「同党の立ち位置は近年ますます右派よりとなっていた。中道政治を重視する勢力が新たに生まれたことは、連携しうる政党が誕生したという意味で我々にとっても吉兆だ」と語った。
自由民主党の解散により、旧セニオリス自由党の流れをくむ勢力は完全に袂を分かつ形となった。この解散劇がかねてより指摘されていた自由主義の衰退の一環の出来事なのか、あるいは復活の始まりとなるのかは、新党の動き次第で決まるだろう。

【政治】サンディカリスト連盟が解散 サンディカリスムの試み潰える

<イグナイト・タイムズ>

976年以来のサンディカリスムの試みは、セニオリスの地には根付かなかったようだ。かつての「救国評議会」に対する労働者による抵抗運動を源流とするサンディカリスト連盟は、1050年2月に「サンディカリスムの歴史的役割は終了した」として解散を宣言した。

解散の大本は、第11回選挙前に連盟で生じていたアナルコ・サンディカリスムと国家サンディカリスムの論争にまで遡る。この論争は第11回選挙を迎えるにあたって、カルセドニーにおけるクーデターを発端とし、共産党との連携を巡って起こった。最終的に「無政府主義」を掲げるアナルコ・サンディカリストが勝利し、共産党との連携は遮断されると共に、連盟の綱領には無政府主義的な要素が盛り込まれた。そしてその戦略は第11回選挙においても成功を収め、党史上初の2桁議席を獲得するに至った。

しかしそうした勝利は連盟内の政策論争を沈静化させたわけではなかった。第11回選挙以降、連盟内ではより急進化し「労働組合という新たな”政府”を作るのみ」とサンディカリスムそのものまでも否定する無政府主義者が台頭し、源流のサンディカリストとの間で激しい論争を繰り広げた。本来サンディカリスムを目標とする連盟にとり、そうした無政府主義者は「異端」として弾かれる運命にあるはずだった。しかし、連盟が本来の拠り所とするはずの労働組合からの支持を欠いているという事実は、サンディカリストの求心力を大きく削いでいた。さらに悪いことに、社会党や社会民主党を支持するセニオリス労働総同盟が1048年の第100回メーデー大会において連盟を名指しで批判したため、サンディカリスムそのものの正当性も揺らいだ。

最終的にサンディカリスト連盟の指導部は、その本来の立ち位置とは反する形で純然たる「無政府主義者」が席巻する格好となり、少数派に落ち込んだサンディカリストはその理念を全く別のものに修正していくに至ったのである。無政府主義の指導者はサンディカリスムを価値あるイデオロギーとみなさず、その無政府主義理念に最も近い存在として、1月に解散したばかりの旧自由民主党のリバタリアンとの接触を決した。この決定に「非無政府主義」の残った構成者は抗う力を残しておらず、静かに連盟を去った。

非無政府主義者たちの向かった先は2通りに分かれた。サンディカリスムこそ放棄しつつも労働組合の重要視を続けた勢力は、セニオリス社会党へと移った。一方でサンディカリスムや社会主義以外の手法での協同経済を模索した勢力は、「統合主義(integracijizam)」としてその理念を構築し、「統合主義者(integracijski)」を自称するようになった。新政党である「急進人民党(Narodna stranka radikalizma / NSR)」はその統合主義者らにより結成され、第11議会のサンディカリスト連盟所属議員のうち議員3名がこれに参加した。同党は記者会見において「協同経済の試みは他のイデオロギーでも散見されるが、我々の理念こそ真に国家を資するものであると確信している」としている。

カルセドニークーデターを受け、共和国におけるサンディカリスムは共産主義との連携を絶ち生存を図ったが、無政府主義はそれを救うものとはなり得なかった。跡地より這い出た「統合主義」は共和国の新たな潮流となり得るかが注目される。

【政治】リバタリアニズム派、新党を設立 無政府主義の影響も

<北方セニオリス新聞>

1050年4月、旧自由民主党のリバタリアニズム派に所属していた地方議員らは会見を開き、新党「解放党(Oslobodilačka stranka / OS)」を設立すると発表した。党名の由来について「政府による市場への悪しき介入からすべての国民を解放するとの使命を込めた」とし、「個人の自由と市場主義を擁護する最後の砦としての政党になる」と語った。

党は第12回選挙に現職の所属地方議員を含めた候補を擁立するとしたが、現職議会議員としては旧サンディカリスト連盟所属であった議員が6名所属した。これらの所属議員は旧連盟の崩壊劇において、「無政府主義」を主張する急先鋒として広く知られた存在である。そのため識者は解放党について「リバタリアニズムをさらに急進化させた形での『無政府資本主義』がその党是にある」と分析している。

自由民主党自由派、そしてリバタリアニズム派として長らく国政から遠ざかる中で、同派はますます急進的色合いを強め、ついに無政府主義まで主張するに至った。しかしながら彼らが国政への復帰を果たすには、広く市民の支持を集めることが不可欠である。彼らの国政復帰は、イデオロギーの強化ではなく市民の声に耳を傾けられるかに掛かっている。

その他

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