1199年5月27日付
【政治】第25回議会選挙・第24回大統領選挙実施 野党伸び悩みITP再び大勝
<イグナイト・タイムズ>

任期満了に伴う第25回議会選挙・第24回大統領選挙は1195年5月に実施された。
制度的超越党(ITP)の優勢が続く中実施された今選挙では、2期目に挑むハナ・ブラシッチ大統領と第二共和国史上初の首相として4期目を伺うミア・タイチェヴィチ首相に対し、野党勢力がどこまでの存在感を発揮できるかが焦点となった。
大統領選挙の構図は現職のブラシッチ大統領に対し、政党連合「有機的超越連合」の推薦を受けた無所属のアイラ・ホルワート候補、そして中央党(SC)から前回に引き続いてアントニヤ・ポリャク候補が競う三つ巴の展開となった。いずれも新人の2候補についてはITP政権に対する批判を主張の軸とした上で、ポリャク候補は女優としての自身のキャリアを活かしたファン層の動員に期待をかけ、ホルワート候補は穏健派労働団体「セニオリス労働総同盟」出身者としての人脈を活かした労働者層へのアピールと共に、農村部での遊説を中心とすることで逆転を狙った。
対する現職のブラシッチ大統領は「職業的自律共同体」の経済体制を盤石にしたとの実績を挙げ、超越的法制を支持する「超越を揺るがさない」としての印象を強調したことで、超越支持層を手堅く固めた。ホルワート候補の労働者層・農村部での遊説作戦は一定の成功を見せたものの、ITP批判を軸とした主張が支持層の新規獲得に結びつかず伸び悩んだ。ポリャク候補の遊説は候補を一目見ようと駆けつけたファンらによって連日盛況となったが、実際の支持はSCの基盤でもあるドモロダツキ層以外では伸び悩み、他候補の後塵を拝した。
議会選挙においても4期目を伺ったタイチェヴィチ首相を中心にITPは堅調な戦いを展開したため、選挙戦は今回においてもITPが終始優勢な展開となり、最終的には大統領選ではハナ・ブラシッチ大統領が2期目を掴み、議会選ではITPは合計184議席を獲得する大勝となった。野党勢力では社会民主党(SDP)の指導力が疑問視され、同党が議席を半減させる苦しい展開となったため、代わってドモロダツキ層を順当に固めた中央党が野党第一党となる異例の展開となった。
ブラシッチ大統領は選挙結果を受けて「ITPに対する超越的な支持こそが、我々の超越のための最大の源である」として支持に感謝を示した上で、2期目について「超越を揺るがさないこと、超越たり続けることこそが、今後の我々にとっての最大の課題となる」とし、1179年憲法を中心とした超越的法制並びに超越的経済体制の擁護に努める姿勢を示した。識者は「大統領と首相について度々指摘されてきた『国内偏重』の傾向が改めて示された形」と分析する一方で、12世紀後半より続く国際情勢の変化と共に「ITP加速派は件の国連安保理での議論の後より、度々『親KPO』的傾向が指摘されている」とし、「大統領が温存しているその外交理念が、刺激を受けた場合にどのような方向を示すかは極めて未知数」としている。ITP内部でも加速派は特に盤石な体制を築いている中で、連邦の外交の行方にも注目が集まっている。
【政治】ミア・タイチェヴィチ首相が四期目に
<北方セニオリス新聞>
1195年5月、第25回議会は首班指名選挙を行い、次期首相に184票を得たミア・タイチェヴィチ首相を指名した。
ハナ・ブラシッチ大統領は議会の指名に基づき、同氏を連邦の次期首相に任命した。
なお、同日行われた議長・副議長選挙では議長にマルコ・ヴーケリッチ氏(制度的超越党)、副議長にはイバ・ブルチッチ氏(制度的超越党)がそれぞれ選出された。
【政治】盤石たる超越政権 第四次タイチェヴィチ政権を読み解く
<新セニオリス通信>
1195年選挙でのITPの大勝により、ミア・タイチェヴィチ首相は915年以来史上初の4期目を務める首相となった。党内におけるタイチェヴィチへの批判は、もっぱら「外交的無関心」の姿勢に対するものが中心であった。しかし5年4ヶ月のルカ・マヨリ政権を挟みながら3期の期間中にその「急進的超越」理念を実現し、体制を盤石にした功績については傍流も含め各派が認めるものであり、基盤たる加速派も単独で議会過半数を占めるほどの優勢を維持したため、首相の4期目について異議を唱える声はほとんど存在しなかった。
以下に第四次タイチェヴィチ政権の顔ぶれを示す。
役職 | 名前 | 所属 | |
---|---|---|---|
首相 | ミア・タイチェヴィチ | 制度的超越党(加速派) | |
外務長官 | エリーカ・グレグリッチ | 制度的超越党(天使派) | |
防衛長官 | マルコ・ムルヴィツァ | 制度的超越党(加速派) | |
法務長官 | サンドラ・オレシュコビッチ | 制度的超越党(加速派) | 留任 |
財務長官 | ベルナルダ・トムリャノビッチ | 制度的超越党(加速派) | |
内務長官 | ヤコヴ・ペルコビッチ | 制度的超越党(至上派) | |
国土開発長官 | ロベルト・モドリッチ | 制度的超越党(加速派) | |
教育科学長官 | アントニヤ・ペルコヴィッチ | 制度的超越党(至上派) | 留任 |
経済産業長官 | ミラ・ヴライサヴリェヴィッチ | 制度的超越党(加速派) | |
資源・エネルギー長官 | ゴラン・ヴァレンティッチ | 制度的超越党(加速派) | |
運輸衛生長官 | イヴィツァ・プレンコビッチ | 制度的超越党(至上派) | |
農務環境長官 | マルコ・パヴロヴィッチ | 制度的超越党(加速派) | 留任 |
労働長官 | ミレンコ・ブロズ | 制度的超越党(加速派) | |
厚生長官 | イバナ・マティアヴィッチ | 制度的超越党(至上派) | |
行政改革長官 | ゾラン・レコ | 制度的超越党(至上派) |
第四次政権の人事において注目された点として、天使派が外務長官以外のポストを失い、代わって至上派からの任命の増加がある。このような「天使派に対する制裁(天使派中堅)」とも取れる人事の背景には、前回選挙前後における外交論争により外務長官のポストを得ていたエマ・グラバル前外務長官が、天使派に対する期待とは裏腹にむしろ「”三国協調”を完全に歴史上の概念へと押し込めた」と評価されたことがある。
前外務長官は「体調不良」を理由に次期選挙をもっての引退を表明していたため、ITPでは今選挙に前後して次期外務長官ポストを巡り再び外交論争が活発となっていた。天使派には加速派・至上派双方からの活発な接触が行われ、外務長官ポストを引き換えとした協力関係が打診されていたと見られるが、天使派は「SSpact重視」に主張を絞り込み、前外務長官の後継としてグレグリッチ現外務長官を推すことを決行した。
最終的に外交論争は「親KPO」の加速派や「超越至上外交」の至上派がどちらも支持を集めきれなかったことで、天使派のグレグリッチ外務長官が内定するに至った。しかし失敗と評価された前外務長官の後継擁立に対し加速派・至上派が不信感を強め、さらに天使派内部でも”三国協調”を支持していた層が超越傍流の農本派に流れる事態ともなったことで、天使派は多くのポストを主張するだけの力を発揮できず、結果的に「パンドラの箱を開けたがごとく(天使派重鎮)」外務長官以外のポストを全て失うこととなった。
4期目のタイチェヴィチ首相は、党内での外交論争をよそに国内の超越的政策に注力する姿勢をますます強めているとされる。一部の関係者は、前外務長官の失敗にも関わらず天使派が再び外務長官ポストを得たことは「外交に対する首相の徹底的な無関心を示している」との逆説的な見方を示す。だが天使派は農本派への流出による弱体化などで急速に存在感を弱めており、グレグリッチ外務長官についても「外交政策を主導出来るほどの存在感を発揮することは難しい」との見方も絶えない。着実な変化を続ける国際情勢に対し、今後12年のコモンウェルスの外交はどこへと向かうのか。政権の動向が注目される。
【国際】イスタシア独立「祝福」も、住民投票は「正当性自ら貶めた」大統領声明
<イグナイト・タイムズ>
1198年7月、ハナ・ブラシッチ大統領はイスタシア自治領政府の「イスタシア自由契約共同体」としての独立成立を受けて声明を発出し、同国の独立について「心より祝福」すると述べた。声明ではコモンウェルスとイスタシア地域は「1169年の『イスタシア自治政府によるウラン鉱山開発支援協定約款』に基づき」関係を有していることに触れ、独立が「両国関係のさらなる深化につながることにも期待している」と延べた。一方で住民投票については「イスタシア地域の独立が実現したという点において非常に有意義なものであった」と評価しながらも、「正当性には著しく疑義を残すもの」だったと指摘した。
以下に声明内容を示す。
「この度イスタシア地域において行われた住民投票に基づき、イスタシア自由契約共同体の独立が成立したことを祝福する。コモンウェルスは1169年の『イスタシア自治政府によるウラン鉱山開発支援協定約款』に基づきイスタシア地域との間に定期貿易関係を有しており、今回の独立が両国関係のさらなる深化につながることにも期待している。今回の住民投票については、イスタシア地域の独立が実現したという点において非常に有意義なものであったとして評価するものであるが、一方でその実施内容については当初より問題点が複数存在しており、遺憾ながらその正当性には著しく疑義を残すものとなってしまった。その理由とともに、そのような投票がなおも有意義であったと評価している理由について示す。
始めに今回の住民投票の形態が、極めて不透明となっている点を指摘する。自治政府発足の根拠となった協定においては『自治政府の存続期間は発足から30年とし継承政府は住民投票に基づき独立国として創設される。』と記される中で、独立国創設の前段階としての住民投票については、これといった規定を有するものではない。したがって今回の住民投票にあたり、ノイエクルス連邦側の機関とみられる『住民投票管理委員会』が中心的役割を担ったことは、イスタシア地域内の連邦直轄地に限れば順当な対応だったと言える。しかしイスタシア自治領政府の統治地域における住民投票について考察した場合、住民投票における一連の業務を担った主体はいずれであったかについて、極めて不透明となる問題が生じる。自治政府の協定によれば『自治政府は連邦憲章に定める特別行政区に該当せず、軍事部門を含めその組織に対し連邦政府は干渉しない。』とある。すなわち自治政府統治領域において、行政権の範疇と捉えられる住民投票関連の業務について、連邦政府の『住民投票管理委員会』が担うための根拠は存在していない。協定の内容を踏まえれば、イスタシア地域の大部分を占めた自治領政府の領域において、いかなる主体が住民投票業務を担ったのかが不明である。あるいはそもそも自治政府領域内では住民投票は実施されておらず、連邦直轄領のみで実施されていた可能性すら考えられ、このような不透明な状況は住民投票それ自体の正当性を毀損していると言わざるを得ない。
そして住民投票の建付けについても、『独立が決定すると同時に現行の自治政府を解散し継承政府へと権限を委譲する』ために『継承政府の形態は独立と同時に決定される必要がある』とされていた。しかし協定によればそもそも『自治政府の組織には軍事部門を含めその組織に対し連邦政府は干渉しない』のだから、独立時に問題となるのは『連邦政府は自治政府の外交活動に対する拒否権を留保する』という項目と、連邦直轄地の継承政府への返還というただ2つのみとなる。これらはイスタシア地域の独立成否のみが確定していれば容易に解決できる事項なのであって、独立と同時に継承政府の形態までを決定する必要性は極めて薄い。元より独立国家となれば自治政府としてのいかなる制約は効力を失っているのだから、独立政府の形態が連邦政府が管轄する住民投票により指定されることの根拠も乏しい。後述の”基本原則”の存在も踏まえるならば、このような不必要で不可解な建付けは、イスタシア地域が独立を果たすまでの最後の期間を縫い地域の内政に干渉するという悪辣な試みによるものだったとの疑念すら生じさせる。
今回の住民投票において、直前に急に設けられた”基本原則”が、その正当性を貶めるものであることも指摘しなければならない。自治政府の協定における条文の通り、今回の住民投票は自治政府発足時点より既に実施期間が定められたものであった。だが今回のこの”基本原則”が提示されたのは投票の直前、1194年に入ってからのことである。地域の自己決定権にどのような影響が生じうるのか、十分な検討時間を残さない状況で規定を追加したことは、投票の構図を都合のいい形に操作する試みとの誹りを受けても仕方のないものであり、極めて残念な対応だと言える。今回の住民投票は30年前より実施が決まっていた事項なのであり、住民の自己決定権にも関わりうる基本原則の決定が直前になったことは準備不足だったと言わざるを得ないだろう。事実として、この”基本原則”への対応を理由に実際の投票については本来の1195年から1197年にまで延期せざるを得なくなったのである。これは本来自治政府の存続期間を30年と定めている協定内容からしても、国際法違反の可能性を拭えないほどの極めて不適切な対応である。加えて述べるのならば、住民投票の内容が独立成否のみを決するものであったのなら、このような混乱についても初めから起こり得なかったのである。
基本原則中の極めて不可解で不合理な項目が、『独立に際して現在実質的に存在しない王位を設けるのは認めない。』とする項目だった。提言を受けたノイエクルス連邦側の回答において、基本原則の目的は『イスタシアにおける住民の自由と権利の向上、民主主義の確立を図るため』としているが、王位に係る議論は国家体制の問題、そしてイスタシア地域の歴史に関わる事項であって、その廃止が前述の目的と混同されることがあってはならない。イスタシア地域の歴史的地位としての王位は、イスタシア地域住民による自己決定によって解決されるべきである。住民の自由意志を差し置く形で、一方的に『歴史的存在』などと断定する形で解消を押し付ける住民投票は、『イスタシア住民の自由意思』の発露の場などとは程遠く、『イスタシアの将来に対して国際的な信頼と支持を広げる』ことなど到底出来ない。続く報道においては連邦の関係者からは『自治期間を通じて王制確立に向けた具体的な動きは無く、必要な政治制度は準備されていない』との追加の理由説明も行われていたが、そうであるならばなおさら王位問題の解決はイスタシア住民のみに委ねるべき事柄なのであって、初めから選択肢を解消の一択のみに絞ったことで住民投票の正当性が貶められたことは明らかである。
基本原則で謳われるところの『各民族の平等な権利保障』については、多民族国家としてのイスタシア地域における望ましい理念として評価できる。しかしながら最終的に投票対象となった各案を見るならば、無惨にも形骸化した原則だったと言わざるを得ない。投票対象となった案のうち、『自治共和国連邦』案、『神聖アイドル主権国』案、そして今回採択されたところの『無政府主義共同体案』案などは、『各民族の平等な権利保障』に関する明示的な規定が示されていない。一方で『住民投票管理委員会』がイスタシア君主制連合が初期に提出した案について『各民族の言語及び文化の尊重は明記されるべきである』などと言明していたことを踏まえると、この原則は当初より特定の案を恣意的に拒絶するためだけの項目であって、住民投票全体における原則としては想定されていなかったと考えられる。その最たる事例が『フリューゲル・ローマ帝国』案の受理である。同案では国家元首たる『執政官』の就任要件として『ラテン人』たることを求めている。民族の平等な権利はおろか、特定の文化集団以外を排除するこの規定は原則に明確に逆行するものである。選挙監視団がこのような案を『受理した判断を支持する』などとしたことは、基本原則の内容が選挙監視団の提言に基づくものでもあったことを考えれば、その活動を自ら否定したものと認識すべきであろう。
住民投票の結果を踏まえた現地紙『ミュンツェン・タイムズ』の報道では、『無政府主義者が各地の道路を埋め尽くし』、『投票所に辿り着けない住民が続出した』との、重大な指摘がなされている。この報道について選挙監視団は『投票は1197年3月から開始されていることから』、『選挙結果全体に対して影響を与えたとは判断していない』としているが、報道における『投票所に辿り着けない住民が続出した』との重大な指摘についての反証として極めて不十分であると考えられる。民主主義の発露の場である投票において、態度未定の住民や各候補の議論を見たい住民の存在により、その投票が投票期間の終盤、特に投票の最終日に集中することは、極めてありふれた常識的な現象である。したがって投票期間の長さを理由に選挙結果への影響を否定することは、民主主義における常識的事象を無視した短絡的な判断であると言え、選挙監視団の活動に極めて疑念を生じさせるものとなっている。報道に対する反証は投票率のみであるのだが、『住民投票管理委員会』も選挙監視団の報告も投票率については一切言及していない。すなわち、現地報道を否定しうるだけの十分な根拠が、現時点では全く存在していないのである。
ある国では『投票結果を理由に投票の正統性を否定するのは民主主義の否定』との発言があったという。しかしこの住民投票について言えば、そもそもの実施形態からして不透明であり、そして現地での重大な報道についても十分な反証が全くないのである。そのような背景を鑑みず投票の結果のみを無条件に受け入れるということは、それこそが民主主義に対する冒涜、反民主主義的な思考、権威主義そのものであると私は考える。
ここまでの通り今回のイスタシア地域における住民投票については、その正当性について極めて疑念が残り、そして選挙監視団の活動についても極めて疑義が残るものだったと評価せざるを得ない。だが住民投票の建付け、そして推移がその正当性を自ら貶めたような粗末なものであったとしても、最終的には自治政府協定内の『継承政府は住民投票に基づき独立国として創設される』との項目は、どのような立場であっても否定し得ないような形で実現したのである。これこそが、今回の投票が有意義であったと評価できる唯一にして最大の理由である。真なる公正な機会が許されるその時をただ願い続ける苦しみに比べれば、自己決定権のために一時的な不公正を受け入れることの痛みなど、考慮にも値しないことは明らかだからだ。
コモンウェルスとしては、独立以前よりイスタシア地域との定期貿易関係を有していた関係国としての立場を踏まえ、イスタシア自由契約共同体の独立を心より祝福し、両国の関係を引き続き確認するとともに、関係がフリューゲルの平和・繁栄に貢献することを期待するものである。」
イスタシア自由契約共同体を巡っては、住民投票の結果を受けてイスタシア君主制連合関係者や高福祉支持のリベラル派の域外脱出が報じられている。コモンウェルス国内ではイスタシア地域内に居住するハルクステン人(現地呼称ハルクスタニア人)の生活を憂慮する声も聞かれ、西部の一部のオプチナでは「亡命イスタシア人に対する保護」を求む決議を採択する動きも出ている。
大統領府は国内へのイスタシア人の移住について、「イスタシア地域からセニオリス地域への移住、反対にセニオリス地域からイスタシア地域への移住事例については、イスタシア自由契約共同体の成立以前より一定数が存在してきた。政府としてイスタシア地域における一部国民の国外脱出の報については認識するものであるが、自由契約共同体の成立後のイスタシア地域からの移住者について、難民として特段の保護を要すると認定された事例は現時点で確認していない」としている。
識者はイスタシア地域の現状について、「旧イスタシア自治政府が有した中央政府機能の『地域代表者集会』への移譲を巡り、『地域代表者集会』それ自体の規定の不足や共同体社会の根本的な土壌不足が、”一切の社会保障の廃止”のような急進的宣言がなされるほどの深刻な事態を招いている」と分析する。地域情勢の国際社会への影響については「イスタシア地域経済の大きな部分を占める燃料・食料輸出に影響を及ぼす事態となれば、輸出相手国にとり深刻な経済危機へと直結しうる」と指摘する一方、「取引相手国はKPO圏に限られ、世界全体への影響よりも特定国への打撃という一面が強いだろう」と分析している。
ITP加速派の消息筋は「セニオリス発の食料貿易は特定国が大きな割合を占めている。イスタシア地域における混乱を経て食料のサプライチェーンが偏ることが仮にあれば、食糧不足に対する人道的な配慮の観点から、貿易の転換を模索することは当然にあり得る」とコメントした。
【国際】加国外交委員会、瓦舌協定巡り会見 緊迫した交渉明らかに
<北方セニオリス新聞>
カルセドニー社会主義共和国のネーナ・アメシスト外交委員長並びにメイヤ・ツリーアゲート外交委員会経済局長は1198年9月、神聖ガトーヴィチ帝国とタンファ王国間の声明を端を発した一連の交渉や声明について記者会見を行った。
会見では1194年10月のガトーヴィチによるタンファに対する声明以来、両国間の交渉についてレゴリス帝国にSLCN加盟国を加えた5カ国の関与について詳細が公開された。会見では神聖ガトーヴィチ帝国側が一時「タンファ王国がベロガトーヴィチ地域の独立主権国家であると認めるのは早計である」などとタンファ王国の主権そのものの否定を示唆するなど、緊迫した交渉の模様が明らかにされた。
メイヤ経済局長は最終的に両国が1197年に国交正常化協定に妥結したことについて「両国の交渉努力と英断に対して敬意を表したい」と高く評価。ネーナ外交委員長も記者からの問いに答える形で「ガトーは自ら国家主権の尊重という原則を取り戻し、穏当な内容で妥結した」と指摘した。
一方で1197年の国交正常化協定の内容においては、当初タンファの主権を否定するほどの認識を示していたガトーヴィチ側が要求した内容についても部分的に反映された。強硬な姿勢で要求を迫ったガトーヴィチの要求を部分的とはいえ反映されたことは、脅迫外交に一定の成果を与えたとも捉えられるのだろうか。本紙記者の問いに対しネーナ外交委員長は「ガトーはタンファが主権国家であることを承認しましたし、おっしゃるような”脅迫的な外交”によってガトーが何かを追加的に達成したとは私としては考えておりません」と言明。ガトーヴィチ側が穏当な外交姿勢に戻った点を繰り返し指摘した。
識者は会見について「一触即発とも見られたガトーヴィチ・タンファ間の関係における5カ国の関与を開示することで、事態の収束を強調する狙いがある」と分析。交渉経緯については「非対称な認識から始まった交渉を、双方の主権が尊重される平和的解決に導くロールモデルになった」と高く評価する。一方別の識者は一連の交渉について、最終的に戦争が回避されたことは「ガトーヴィチの態度が一変した経緯こそに理由がある」と冷ややかに見つめる。交渉において「ガトーヴィチの態度は、レゴリス帝国とSLCN加盟国による声明を経てもなおしばらくは強気であった」だったと指摘し、「5カ国の結集それ自体は、ネーナ外交委員長が述べたような『ガトー側の態度の変化をもたらす』効果は実際にはなかった」と分析。記者会見については「5カ国間の連携を誇示する以上のものではない」と評価した。
セニオリス連邦大統領府は一連の記者会見について「タンファ王国の主権はいかなる勢力によっても脅かされるものではなく、国交回復協定による主権承認は当然のことだ」とした上で、「両国間の問題の平和的解決に向けた関係各国の尽力に敬意を表する」とコメントした。
その他
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