1013年人民議会代議員選挙/連盟が過半数を維持
1013年1月に行われた人民議会代議員選挙は、内政における成果と非同盟・新興国連携(BCAT)・スラヴ三国融和を改めて打ち出したコズイレフ議長率いる文化自由連盟(以下連盟)と、強靭外交と称する既存友好国との安保・経済連携強化及び行政制度改革を掲げたヴェールヌイ労働党(以下労働党)ヴィウチェイスカヤ書記長新体制との激戦となった。
結果、連盟は101議席を獲得、辛くも単独過半数を維持したが、1008年比12席減という983年以来最大の下げ幅となった。
一方の労働党は、目指していた政権奪還には至らなかったものの97議席を確保、転落以来80台が続いていた席数の大幅回復を果たした。
なお第3党の民主農民党は前回変わらずの2議席に留まっており、別府危機前後からの連盟躍進にはじまる政治的二極化(労働党/連盟)に歯止めをかけることができていない。
選挙に先立つ1012年10月から両党の政策論争は激化、公示1ヶ月前の12月に行われた政党代表討論等を通じ、連盟・労働党の主要方針について明確化が進んだ。
この中でコズイレフ首相は、BCATを中心に据えた新興国、普国、スラヴ2ヶ国との幅広の関係強化について力説し、有望な開発投資先を多数抱える事による長期的な経済安定性と国益確保を挙げた。
これに対しヴィウチェイスカヤ書記長は、連盟が、純粋社会主義共和国の永続性を確保する視点に欠いていると指摘した上で、国際政治上の価値観の一致に基づく一体となったプレゼンス強化を希求することが、共和国の防衛と発展に必要だと主張した。加えて国際政治上の価値観の一致は100年程度で判断されるものではないとし、歴史の証明と教訓に倣うべきだとしたが、具体的国名には言及しなかった。
選挙結果は、人民大衆が、労働党が訴える共和国の国際政治上の立場(現実における東側か西側かといった類のもの)に一定の理解が集まったと見ることができる一方で、大幅な人事刷新も含め「政権奪還の決戦場」と意気込んでいた労働党にとって明確な「敗北」であることに変わりなく、ヴィウチェイスカヤ体制に大きな課題を突きつけることにもなった。
労働党の攻勢から政権を守ることに成功した連盟だが、先行き不透明な外交政策がウィークポイントとされていた事とは裏腹に、ヴェニスコンプレックス・政治不干渉原則プロトコルに関連した会合において、諸外国と比較してヘルトジブリール・ロシジュア連邦に配慮した※1従来寄りの姿勢を示しており、これが労働党の勢いを削ぐことに貢献したとの分析もある。また労働党が新たに掲げた※2行政制度改革に対する人民の反応は芳しいものではなく、連盟の進める規制緩和への取組とは、真逆の影響を危惧する側面もあったようだ。
※1:人民議会外交委員会における質疑では、こと対天政策において政府が労働党側の提起を取り入れる姿勢を示しており、大きな国際問題を前にして、政策ごとに積極協力する伝統的光景が回復していた。こうした光景は、対スラヴ国艦艇派遣による両党の決定的対立以降は久しく見られていなかった。
※2:労働党の行政制度改革案の本丸は、各省庁間の縦割り強化であった。現在は制度上、各省は横一列の関係となっている。改革案では国土省、労働福祉省を工商計画省傘下に、国防省を国家保衛省傘下にするもので、これによる各部門の統合運用を図り、意思決定及び反映を合理化するというものであった。しかし、現在においても最大の行政官庁である工商計画省を更に肥大化させることは、計画経済合理性優位に輪をかけて偏重することと同義であり、支持が伸びない要因となったことは想像に難くない。また軍を諜報機関の指揮下に事実上配置するということにしても、艦艇派遣を支持しなかった人民にとり、国防問題はセンシティブであることは明白で、警戒感につながった。逆に解釈するなら、そのような不支持要因をも包み隠さず主張するヴィウチェイスカヤ体制は、土壇場で動揺し一貫した姿勢を示せなかったザラフィアンツ政権の反省を踏まえているともいえるだろう。敗北の結果を見れば、それは男気がありすぎたということにもなろうが。
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ブルースター紙 発行:36626期1017年5月中旬