【政治】カルセドニー―普蘭國交正常化に立會
(1010年—エリザヴェータ25年―8月、イタク通信電)イリヤ・ペトローヴィチ・チイコーフスキイ外政大臣はカルセドニー社会主義共和国トケン・コーサイト大統領およびカラン・クリソプレーズ外交委員長ならびに普蘭合衆国リーヴァイ・ウェストン首相およびロバート・J・パールス外務大臣をユークリル県に招き、ホテル・ナーベレジュナヤ(岸辺)におけるカルセドニー―普蘭首脳外相級会合を設定、カルセドニー―普蘭間の国交正常化に立ち会った。
カルセドニー社会主義共和国―普蘭合衆国間の国交は、9世紀半ばのライン危機で断絶した。ライン危機当時のわが国政府は(当時はガトーヴィチ民主帝国)、普蘭合衆国の一連の行為を受けた共同声明に参加し、カルセドニー側に立った。その後、普蘭の鎖国と開国を経て、10世紀半ばの普蘭の返答と共同声明国の返答を以て、ライン危機の外交的対立は解決されたことが確認されたが、加普国交は断絶したままであった。
カルセドニーの加盟せるWTCOおよび普蘭の加盟せるBCATの、双方に加盟するわが国ノジーンスカヤ為政院は、加普関係の回復を願い、両国政府に国交正常化を提案。つつがなく、帝国南部の観光地ユークリル県における国交正常化共同宣言の発出に至った。
ノジーンスカヤ為政院総理大臣は定例会見において「カルセドニーと普蘭という大国同士の国交正常化は、両国の安寧、わが国の安寧、ひいてはフリューゲルの平和に資する重要な出来事であったと考えています。国交正常化の場を提供することは、わが国の使命でありましたし、国交正常化の実現は、カルセドニー政府と普蘭政府のご厚意に支えられてのことと思います。」と述べ、加普国交正常化の重要性と、帝国政府の果たした役割を強調した。
【国際】フリューゲル國際聯合第17囘通常會開會
(1011年—エリザヴェータ26年―5月、イタク通信電)フリューゲル国際連合第17回通常会は今年開会し、BCAT盟邦ラ・フローリド共和国が「移転可能性も含めた国連本部再検討」という議題を提出した。このことについて弊社の取材を受けた第3代フリューゲル国際連合神聖ガトーヴィチ帝国常駐代表大使ボンダレンコ氏はバーボンを煽りつつ「国連本部所在地については一家言あるけど、とりあえず、各国より忌憚なき意見が出そろうまで静観したいと思います。出そろうといいんだけど。」と応えた。
【政治】ガトーヴィチ—ヴェールヌイ外相會談開かる
(1006年—エリザヴェーダ21年―5月、イヴァングラート通信社電)イリヤ・ペトローヴィチ・チイコーフスキイ(Илья Петрович Чайковский)外政大臣とヴェールヌイ社会主義共和国エフライム ・シャバノフ(Ефрем Шабанов)外務大臣は20日、ヴェールヌイ首都サンサルバシオンは共和国宮殿において膝詰め会談を行い、その様子は異例にもヴェールヌイ公共放送において生中継された。会談では、
- ベロガトーヴィチの復興(別国による別舌協力条約の説明、帝国による瓦別舌による諮問委員会の設置の提案)
- 瓦国債の償還
- BCATの位置づけ
について、談判に近い協議が行われた。特に、ベロガトーヴィチの第二次滅亡時の帝国による編入の正当性と、帝国資本によるベロガトーヴィチの開発の評価については、双方の意見が食い違う場面が見られた。
為政院筋によると、会談後に「ベロガトーヴィチの復興の枠組みについて議論が進められた」そうであるが、その枠組みはどのようなものであるかは、依然として具現化されていない。
関連短報
【国際】別舌協力条約締結。独自のプレゼンス狙う?瓦国と「協議の用意ある(宮殿筋)」(1006年 4月付 ブルースター紙/ヴェールヌイ社会主義共和国)
【国際】アルフォンソ閣僚評議院長「ベロガトーヴィチの国際社会復帰を歓迎」(1007年 5月付 エル・カバーニャ紙/ラ・フローリド共和国)
【国際】舌復興「順調」政府は定期交易や国土造成のスピード感で成果をアピールした(1009年 5月付 ブルースター紙/ヴェールヌイ社会主義共和国)
短報一覧
【国際】「1010年タイムショック」による経済恐慌や燃料恐慌、各国で多発。(1010年 7月付 IG通信社/神聖ガトーヴィチ帝国)
【社会】ヴェニス公国バリェーリシク公爵殿下ご重体 ご快癒の祈祷荘厳に行はる(1010年 9月付 イタク通信/神聖ガトーヴィチ帝国)
【社会】陛下のはとこたる瓦公ブリヴァール殿下、ヴェニス公国バリェーリシク公爵殿下を御見舞(1011年 3月付 IG通信社/神聖ガトーヴィチ帝国)
この記事は3 апреля 2022 г.に書き上げたところ、ヴェニス騒擾に関して筆が乗らないまま2週間以上がたち、ままよ!と公開したものです。