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アリス・ニコレット・オルガ・セヴィニェ新議長就任 ほか

【国際】秋天別処分決議、総会通過 アンリエット議長「歓迎する」

 第32号決議(対セニオリス禁輸)への違反をめぐり議論が進められていた秋津・ヴェールヌイ・ヘルトジブリール三国に対して議論されていた「処分」が980年3月、総会第2回特別会期において採択された。
 この「処分」については、安保理による「処分」勧告の審議過程に対しヴェールヌイ代表が反発するなどのことから総会では激しい論争を喚起するなどしていたが、最終的には総会においては多数の国が賛成している。
 これを受け、アンリエット議長は「国際秩序のために必要な処分であり、歓迎する」としている。

【政治】アリス・ニコレット・オルガ・セヴィニェ新議長就任

 秋天別処分決議の通過を見届けて980年7月に退任したアンリエット前議長の後任には、自由思想派のベテラン議員であるフレデリック・クリストフ・シリー氏、重農=環境派で元大気海洋局局長のアリス・ニコレット・オルガ・セヴィニェ女史、「ルッコラ主義」を自称するカルヴァン主義共和派の支持を受ける軍事史学者のレア・エメリーヌ・エルヴィユ女史の三人が候補となっていた。当初は内政においては現下の自由主義的制度の維持、外交においてはおおむね同盟国など既存の友好関係を重視を掲げるなど「無難」なシリー氏が有力視されていたものの、演説などで幅広い見識を示したセヴィニェ女史が自由思想派の議員まで取り込むほどの支持を集め、中央議会における指名投票において過半数の票を獲得し選出された。
 この結果が示しているのは、ある意味ではアンリエットの勝利であり、別の意味ではアンリエットの敗北である。高度に専門的な科学的知見を有する人材が議長であることが望ましい、という点に関しては、ここ百数十年のロムレー人の共通理解であり、アンリエットはその極北であると言えるが、この点に関しては異論がなかったといえる。一方で、セヴィニェ女史が演説において全面に押し出した環境保護に力点を置く政策のなかにおいて、外交の存在感はほとんどなく、演説においても質問がなければ外交政策に自ら触れることはほとんどなかった。この二点からは、アンリエットが自らの中心的な使命であるとした外交へのコミットメントは、結局のところロムレー人の理解を得られなかったことを意味する。
 アンリエット外交は最後まで外交局に影響力を持ちつづけた。しかし、通商局と安全保障局は懐疑の目を向けていたし、何より外交局と通商局にはもはや力がなかった。古き局(訳注:教育局と大気海洋局のこと。教育局は海外留学事業に備えてロムレーで最初に設置された部局で、その後の局制の雛型となった。大気海洋局は教育局にやや遅れて設置され、技官支配の局のモデルとなった)二局の強い支持を受けたセヴィニェ女史は官僚の中にも強い支持層を形成することに成功した。
 セヴィニェ女史は就任演説において、「美しいスイス・シャレー様式の隣家が鉄骨造に建て替えられる、このようなことをこのまま放っておくのはいかがなものでしょうか」などとし、大規模開発に対する環境基準の厳格化と中小規模の事業においても環境に配慮した選択にインセンティブを与える措置を実施することを表明した。その他、様々な国内政策について方針を示した一方で、演説のなかでは外交は環境政策に言及するなかでの「国際協調」として軽く触れられるにとどまり、外交政策に力点を置いていないことがうかがわれる。

【一問一答】セヴィニェ新議長の外交方針とは

 国際版では外交に関心の高い読者も多いと思われるため、就任後の記者会見における質疑応答のなかから「セヴィニェ外交」の方針をみる手がかりとなる質疑を抜粋してお伝えする。
―大まかな外交方針はどのようなものか。
 「端的に言いますと、Il faut cultiver notre jardin(私たちのなすべきは、私たちの畑を耕すことである)、これに尽きるでしょうね」
―「別府危機」(訳注:別国による安保理審議への異議申立とそれに続く議論はアンリエットの引退などロムレー政界に大きな影響を及ぼしたことから、かつてのセニオリス併合危機になぞらえてこう呼ばれている)以来、国連は論争の渦中にあるが、これをどのように評価するのか。
 「ウラニウム弾頭は空中ではなくサイロに収まったままであるのがお似合いのもの。その点で国連の平和維持機関としての役割は評価しています。しかし、些末な威信をめぐって陣営間で紙と空気の弾丸を撃ち合う習慣には付き合いきれませんし、ロムレーに必要なのはそのようなもので得られる威信ではないでしょう」
―議長指名選挙で候補であったエルヴィユ女史は「アサンブレテ離脱論」で注目を集めていたが、セヴィニェ女史のアサンブレテへの態度は。
 「離脱通知を出すのは紙の無駄、首脳が飛行機で集まるのも燃料の浪費。8世紀のように休眠させておけばよい、そのように考えています。積極的な役割を期待してはいないし、されても困る、といったところですね」
―陣営間対立が盛んになっていく中で、どうかじ取りしていくのか。
 「同盟国とは単に軍事的に協力しているだけに過ぎないのですし、他陣営の国とも陣営が違うからという理由で何も合意できないということはないでしょう。環境保護のような重要な政策のため必要ならば既存の枠組みを乗り越えることに躊躇するつもりはありません。外交はあくまで議長の役割の一つにすぎませんが、伝統やイデオロギーに拘泥せずプラグマティックな姿勢で対応することになります」

【政治】大規模開発に係る環境アセスメント法改正

 セヴィニェ新議長は就任してすぐ、元来の持論であった環境アセスメント法の改正に取り掛かり、981年3月に中央議会で可決された。
 環境アセス法は基本的には大規模開発に関わるものであり、事前に環境への影響に関する評価を政府に提出し認可を受けることを制度化したものであるが、981年改正では義務化される開発の範囲が大きく拡大し、地形を大きく改変するようなものなどに限る従前のものに加え、一定規模を超える建設・土木工事に関しては全てアセスメントを行うこととしている。また、開発計画にあたっては関連領域の博士号保持者・学識者・特定の有資格者などの専門家のコミットメントを必要とし、開発計画やアセスメントの内容は公開のうえで周辺住民の同意をとることを求めている。
 新制度における取り扱いは実際上はすでに多くのコミューヌで法制化されており、国内大手開発業者の慣行となっているため、実際の影響は必ずしも大きくないものとは思われるが、新興の開発業者や外国企業の事業についてはある程度の抑制をもたらすことが見込まれる。

【オピニオン】自由思想派の終わり?共和国の主人とはだれか思い出せ

 セニオリス併合危機によってカルヴァン主義共和派が退潮して以来、ロムレー政界の中心となってきたのは自由思想派であった。彼らは、古く、宗教的なロムレーの要素を払拭し、リベラルなロムレーを実現するべく活動してきた彼らのもとに、共和国は世俗的で自由なものへと変化してきた。
 今回、自由思想派の議長候補であったフレデリック・クリストフ・シリー議員は、当初は最有力とされたが、次第に埋没していき、最終的には最下位に沈んだ。最大党派のベテラン議員がこの結果という点で、これは多くの自由思想派議員に衝撃を与えることとなった。
 セヴィニェ新議長の支持層は重農=環境派とされる。しかし、重農=環境派それ自体は小さな党派であり、単独で多数派を獲得する能力はない。にもかかわらずセヴィニェ女史が議長に就任することになったのは、地方出身の議員の多くが雪崩を打って彼女を支持したためであるとされる。なぜそのようなことが起こったのだろうか。
 アンリエット政権末期の世論調査の結果を見ても、都市部では外交に関する不支持がみられるものの、地方部では外交問題を政策上の論点とする声がほとんどみられず、むしろ国際的にはあまり報じられることのない僻地医療政策などが支持を集めていた。
 ここで、理解しておかなければならないのはロムレー人とはレゴリス人のように背広を着て車の行き交う大都会を歩く人々でもなければ、ましてや作業着を着て煙たなびく工場群を行く人々では断じてないということである。セヴィニェ女史はこれを理解しており、環境保護政策を通じての都市から地方への再配分などを論じ、特に周辺離島などで住民を通して議員に働きかけさせた。
 7世紀半ば以降、ずっと「重農=環境派」は存在しつづけてきた。この党派は、伝統的なロムレー人の牧歌的社会に対する愛着を、国外からの環境保護思想によって定式化したもので、その支持者は地方部の中小農と都市のインテリにまたがりながら存在してきた。彼らは確かに小さな党派であったが、ジャンベール以降の歴史の継承者を名乗るに足る人々であった。
 長らく続いてきたカルヴァン主義共和派と自由思想派による二大党派の時代が幕を下ろしつつある。重農=環境派の宿敵であったコーデクス主義はセビーリャにおける混乱によって政治勢力としては終焉を迎えている。孤立主義的な層とラディカリストは緩やかに連携を結んだが、そもそもロムレー人はアンリエット外交に反発しているのではなく無関心なだけである。
 今回のセヴィニェ新議長の就任と、それをもたらした「別府危機」は、かつての併合危機が9世紀ロムレーの政治情勢を決定づけたように、11世紀ロムレーの大まかな方向性を示唆するものとなるだろう。

【社説】「大いなる退却」 国民の支持は幅広いが…

 セヴィニェ女史は確かに卓抜たるロムレー人である、これは間違いない。専門は大気化学であるが、政策決定者として必要な知識は全般にわたって備えており、アンリエット時代のように官僚と対等に議論して合理的な政策決定を進められることは確かである。定量的な評価の難しい外交の領域において考えるとしても、大胆な決断力を備えていることも、そのためなら周囲を動かす力量があることも、かつてガトーヴィチBT実験問題において消極的だった外交局だけでなく諸外国まで動かした実績からは明らかである。
 では何も問題ないのか。それははっきりしない。一般理事国としての地位を990年代には失うことがほぼ確実と思われる。1000年代に復帰するかも不透明である。自国の一般理事国としての地位を放棄し自国の国益のみを考えればよい立場になること、これは国連代表部の一部職員にとっては宿願だったとすらされているが、陣営間対立が先鋭化する現下の状況ではその最前線で戦うことを避けることにもつながるかもしれない。
 もしかすれば彼女はロムレーを陣営戦の対立の泥沼に落ちることなく平穏を維持することへ導けるかもしれない。だが、前線から引き下がるためのやむを得ない犠牲として彼女が放棄しているものは、あるいは必要であったかもしれないのだ。それが国内にとってか、国際社会にとってかは分からないが。

【セビーリャ】ロムレー教会評議会、セビーリャにおける神学の教育研究への支援を本格化

 自由思想派によるリベラルな国際秩序の試みが挫折する一方、カルヴァン派やカトリックが宗教的な勢力の巻き返しを図ろうという運動が活発化しつつある。その一つがロムレーにおける超教派の組織であるロムレー教会評議会によるセビーリャでの活動の本格化である。
 セビーリャにおいては共同統治時代の初期に十字教会が禁止されたが、自治宣言以降はロムレー憲法が準用されることとなっており、個人レベルでの信教の自由は保障されているため、あくまで超教派的な活動としてセビーリャ人と共に神学を研究する場を設けることは制度的には違法とはされていない。セビーリャ社会が権限移譲以降再び活発化の兆しを見せるなかで、教会評議会もセビーリャ人の潜在的な需要に応えるべく本腰を入れ始めていると思われる。
 なお、このような運動は未だ一定の地位を持つコーデクス主義者からは世俗的で合理的なセビーリャの秩序を破壊する試みであると激しい反発を招いているほか、自由思想派議員からは潜在的な汎ラテン主義的傾向に対し懸念を示す声もみられている。

【世論調査】

  • 天国「処分」による991-1000年における一般理事国離脱について、「残念でもないし当然」37%、「残念だが当然」23%、「わからない」19%、「残念でもないし当然でもない」14%、「当然ではなく残念」7%、1001年以降安保理に「復帰する必要はない」37%、「わからない」35%、「復帰を目指すべき」28%。

(その他ヘッドライン)

  • 【学術】セリティヌムから留学生訪路 ロムレー大学の法学部・言語文化学部やアンゼロット記念大学の社会科学系学科へ
  • 【国際】別国、国連事務局にFUN脱退を通告、一方で通告文では初めて第32号決議違反に謝罪 アンリエット前議長に近かった議員からは「遅すぎた謝罪」との声。
  • 【軍事】ロムレー第二艦隊を中心としたロムレー軍普蘭派遣部隊がレゴリス側の同意のもと980年内に全て撤兵。派遣部隊ロムレー軍トップのダングルベール海軍中将「レゴリス帝国政府が反乱軍鎮圧に向けた意思表示を示しておらず、当面は大規模な作戦行動が予想されないため」。セヴィニェ議長の「外征は燃料の浪費」との見解が背景か。
  • 【政治】新外交局局長エヴァリスト・ミシェル・ドゥラノワ氏「ロムレーは主要国ではなく、そして陣営対立の駒でもない。身の丈に見合った外交を進める」
  • 【セビーリャ】ポスト・コーデクス主義を考える 「普通の議会政治」の価値とは
  • 【学術】フリューゲルにおけるラテン語の世界 今なお残るその影響力(4)
  • 【国際】烈角、理事国推薦から推薦代行国にロムレーの扱いを変更 レゴリス陣営の安保理における存在感維持を目指す動きか
  • 【インタヴュー】アンリエット前議長と語る10世紀外交の総決算 「いかなる国も、いかなる者も、作為であれ不作為であれ、自らの行いが招いた結果に向き合わなければならない」「(安保理での処分手続執行手順の審議に関する議題採択への)棄権は別国との接触などによって得られた情報に基づく私の判断」

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