【政治】第46囘選擧 右派政權再誕
(975年ニーカ34年11月、イタク通信電)任期満了に伴う第46回帝国議院議員選挙の開票結果は次の通り。
正教保守党(保守)が失った議席は、おおむね帝国発展党(右翼)の議席となり、帝国発展党が第一党に返り咲いた。ここにおいて、20年ぶりに発正連立が成立した。
以下、選挙前報道
正進連立・ポポーヴァ政権の20年間を振り返ろう。
- 955年 任期中の全国債償還の公約
- 960年 BTミサイル発射実験
- 961年 アルカゴーリ国連事務総長誕生
- 963年 ガトネフチのヴェニス株の放出
- 965年 断りなき銀大量輸送のテロ行為として認定
- 965年 イキスギウス8世記念像のアスタリノイ県に建立。ネオ下北沢産銀を使用
- 965年 アフトルーチキン外相の烈普天路大使の呼び出し・混乱
- 967年 セニオリス人の亡命受入表明
- 970年 セヴェロモルスクにおけるサンジラ出現
- 970年 石動将軍継嗣足利高子殿下ご留学
- 970年 ブラクノート皇太子殿下の学術論文御アクセプト。ヴォルネスク公位研究
- 971年 安保理一般理事国入り
- 971年 ルクスマグナ共和合衆皇国の独立の祝電
- 971年 アスタリノイ県への巨大隕石落下、政府の衛星管理責任問題
- 972年 300兆Va相当超の定期輸出発覚、商工貿易相辞職
- 973年 セニオリス正教社会主義研究会のセヴェロモルスクへの亡命
- 973年 新コンスタンティノーポリ・イヴァングラート及び全地総主教アナナース猊下セニオリス入り(~975年)
- 975年 総主教猊下のセニオリス総主教・大司教との三者会談
正教保守党は、総主教猊下のセニオリス入りの実現や、他国正教会との関係構築など、正教の振興に成功した。エキュメニズムについては、任期終盤にセニオリス・カトリックとの友好が成ったが、ロムレーのキリスト教徒との関係の進展はあまり見られなかった。
経済・社会面では、975年迄の全国債償還を掲げてヴェニス株を放出したが、債務から債権とFunを引いても依然数百兆Va残っていた。また、外政相・軍部相・商工貿易相の失点が見られた。このため、正教保守党の議席減は避けられなかった。
外交面では、セニオリス・スラヴ国の誕生以降激動するセニオリス情勢において、安保理を通した国際協調を重視しつつも、セニオリス・スラヴ国に配慮を示す独自路線(悪く言えば、どっちつかず路線)を歩んでいる。ポポーヴァ政権は、次の20年こそ国債の全償還を達成し、フリューゲル中のキリスト教徒、ならびに信仰を通した平和を望む各国との友好親善を達成すると公約した。また、セニオリス・スラヴ国のもとでの情勢安定化の可能性を引き続き模索するものとみられる。
Q. 1 ポポーヴァ政権の20年間をどのように評価するか。→評価する8、評価しない12
- Q. 2 ガトーヴィチ共産党所属議員42名が帝居マリヤ宮への乱入を煽動して国体転覆をはかった容疑で全員失職した日から40年。→1. 共産党の選挙活動には何の支障もなかった7、共産党の選挙活動中のちょっとしたハプニングはつきものだ8
【政治】第49代首相にズダチョーフ總帥
(975年ニーカ34年12月、イタク通信電) 第1040回帝国議会(臨時会)は1日、帝国発展党のキリル・コジェヴィチ・ズダチョーフ(Кирилл Кожевич Зудачёв) 総帥を首班指名し、氏は5日、アパラート君帝陛下により第49代為政院総理大臣に任命された。ズダチョーフ首相の経歴と主張は後日掲載する。
Кожевич кожа 肌
Зудачёв зуд かゆみ
【国際】SSPact對瀨開戰
(975年ニーカ34年12月、イヴァングラート通信社電)SSPact加盟国たるヘルトジブリールとヴェールヌイは975年、セニオリス・スラヴ国に対して宣戦布告した。天別両国は、フリューゲル国際連合安全保障理事会第34号決議を宣戦布告の根拠としたが、帝国政府は同決議がもたらす事態への懸念が払拭されないとして安保理初の反対票を投じ、ロシジュア代表は絶対的に平和を希求するとして棄権票を投じている
戦況は、ヘルトジブリール軍の衛星レーザーを受け、セニオリス・スラヴ国の偽装ミサイル基地がすべて焼失した。ヴェールヌイは、未だ砲撃を加えず、「スヴェトラーナ」を帰港させている。