963年6月13日付
【政治】第4回議会中間選挙実施 議会の左傾化止まらず
<イグナイト・タイムズ>
959年11月にバーバラ・オリーン大統領が署名した大統領令第99号『第4回議会の中間選挙の実施』に基づく、第4回議会選挙が961年5月に行われた。
大統領は言葉数少なに解散に踏み切った。署名後の記者会見においても、その理由を「これまでの6年間について、民主主義的手法によって評価をいただきたい」などとして政局への言及を避けた。しかし社会主義に傾倒する社会民主党左派との不和は第4回選挙が実施された当初より指摘されるものであり、「予想通り」とは政界関係者が口々に語る言であった。
選挙を迎えるにあたって、社会民主党左派は共産党との間で互いに選挙協力を行うことで一致した。両党候補者は調整を行った上で選挙連合「人民戦線(Narodni front / NF)」を掲げ出馬し、第3回選挙時点では揶揄に過ぎなかった名称が公式に用いられることとなった。これに対し同党右派は猛反発し、進歩自由党と共に「進歩主義連盟(Progresistička federacija / PF)」を掲げて対抗した。第4回選挙に続いて社会民主党は分裂選挙に臨む格好となり、予備選挙のような旧来の党機能が崩壊しつつあることを示した。
オリーン大統領は自身の無所属という特色を維持するためか、今回も議会の選挙戦に直接関与することはなかった。進歩主義連盟は大統領支持を訴えていたが、大統領不在の中での支持呼びかけに迫力を欠いた。一方人民戦線は「社会主義体制の実現は人民の意思」と公然と主張し、社会主義理念の正当化を図った。中道派への浸透も意識してかオリーン大統領への批判こそ抑えられていたが、大統領代行による憲法改正草案への署名を違憲とした憲法裁判所の判断を「人民の意思を封じ込めんとするおぞましい判決」と強く非難し、第5回選挙での政権奪還をも掲げていた。
大統領のこの選挙戦の方針は、選挙戦中の進歩主義連盟の幹部が懸念したとおりに、大きく裏目に出ることになった。選挙結果全体としては社会民主党が26議席増の133議席を獲得し、その他の政党が軒並み議席を減らす社会民主党の一人勝ちとも見て取れる。しかしその内実は、人民戦線に属するセニオリス共産党が4議席減の23議席と社会民主党左派が20議席増の86議席で合計109議席となり、人民戦線の勝利と言うべきものである。進歩主義連盟は、進歩自由党が7議席減の10議席と社会民主党右派が6議席増の47議席で合計59議席と微減の結果に終わり、単独での3分の1の確保すら果たせなかった。
社会主義者が過半を占める「社会主義議会」の完成という左傾化の極限の如き政情を受け、政界には数々の憶測が飛び交った。それらはもっぱら今回の選挙で勝利した人民戦線の行動に関するもので、「大統領代行指名が行われる」、「大統領を説き崩しての改憲を狙う」、「憲法上の規定を無視した改憲に押し進む」などだった。
しかし結果的には、これらの噂に比べれば”穏当”な道が選ばれることとなった。選挙結果を受けたオリーン大統領は「共和国の現憲政が完璧ではないと考える人々の熱意を強く感じた」と話し、「『社会権の明記』など共和国の原理原則を崩さない限りでの改憲を目指す」と提案した。これにセニオリス共産党、社会民主党及び進歩自由党の3党が合意し、社会民主党左派は「市場原理主義を批判する大統領の意思を尊重する」として、今後6年間においてオリーン大統領と協調することを表明した。これに同派のある幹部は「代行指名による革命が封じられている以上、協調が最適解になる」と解説し、オリーン大統領が人気をまっとうするだろうとの見方を示した。大統領は、「部分的改憲」を打ち出すことによって、不信任の可能性を回避したのである。
「社会主義議会」の状況に対しては、進歩主義連盟が単独での3分の1の確保に失敗していることから、議会主導で社会主義的施策が通される懸念が残置していた。ここで議会第三党の自由民主党幹部は進歩主義連盟について「『社会権の明記』などの諸方針には同意できない」としながらも、「社会主義法を防ぐという意思は共有できるだろう」と語り、社会主義法に対する大統領の拒否権には反対しないとの見方を示した。保守党、青き八重歯も同様の見解を示し、”議会の暴走”の事態は防がれることとなった。
今回の選挙において大統領支持を明確に訴えた進歩主義連盟は敗北したが、その後の政界の動きは必ずしも大統領敗北とは言えぬものとなった。「試合に負けたが、勝負は勝った」とはある政権幹部の振り返りであり、打ち出された部分的改憲の方針に加え、予定されているという大統領補佐団の改造人事に注目が集まっている。
【政治】左派の存在感拡大 オリーン第2政権を読み解く
<新セニオリス通信>
961年5月の第4回議会中間選挙の結果はまさしく「大統領の敗北」であった。しかしその後の政界の複雑な力学の作用によって、バーバラ・オリーン大統領は続投を取り付けることに成功した。大統領は選挙結果を受けて今後の6年間の施策について「現憲法の欠陥の修復に当たる」と掲げ、また大統領補佐団の改造人事にも当たることを表明した。「社会主義議会」との対峙を迫られた大統領にとって、社会主義者に対し一定の譲歩を行う苦渋の決断だったと言える。
改造人事を前に、社会民主党の両派の幹部は会合を開き、オリーン第2政権人事において協力することで合意した。人民戦線と進歩主義連盟に引き裂かれた両派の間の「一時休戦」であることは会合に参加した幹部でさえも語ることだったが、党機能が機能した久しぶりの瞬間だった。しかし左派の存在感が選挙前以上に増していることは明白であり、政権内部における左派の拡大ぶりが注目されていた。最終的に承認された大統領補佐団の顔ぶれは以下である。
役職 | 名前 | 所属 | |
---|---|---|---|
副大統領 | アンドレイ・ラチャン | 社会民主党(左派) | 留任 |
外務長官 | アナ・クラリツ | 社会民主党(左派) | 留任 |
防衛長官 | ミレンコ・ヴライサヴリェヴィッチ | 無所属 | 留任 |
法務長官 | アンテ・マテシャ | 無所属 | 留任 |
財務長官 | トミスラヴ・ヴチュコヴィッチ | 社会民主党(左派) | 留任 |
内務長官 | エレオノール・ゴトヴァツ | 社会民主党(右派) | |
国土開発長官 | ドゥブラフカ・シュカレ | 社会民主党(左派) | |
教育科学長官 | ゴラン・ラニロヴィッチ | 社会民主党(右派) | 留任 |
経済産業長官 | アンドリア・ヴライサヴリェヴィッチ | 社会民主党(左派) | 留任 |
資源・エネルギー長官 | ペトラ・ウーシッチ | 社会民主党(左派) | 留任 |
運輸衛生長官 | スティエパン・ラニロヴィッチ | 社会民主党(右派) | |
農務環境長官 | ミラ・イェリッチ | 社会民主党(左派) | 留任 |
労働長官 | ミルコ・ヴライサヴリェヴィッチ | 社会民主党(左派) | 留任 |
厚生長官 | アロイジエ・グラバル | 社会民主党(左派) | |
行政改革長官 | ドゥブラフカ・マタチッチ | 無所属 | 留任 |
人事は社会民主党の単独によって承認された。第一次政権において2名指名されていた進歩自由党所属長官の任命は回避され、大方の予想通り左派の存在感はより増すこととなった。3名が留任した無所属の長官を除くと全てが社会民主党から任命されており、特に同党左派からの任命は副大統領を含まず8名にも達した。選挙時における「人民戦線」及び「進歩主義連盟」のどちらでもない第三の選択肢「社会民主党単独政権」とも見ることが出来るが、党内両派の人数比が社会主義の影響力を物語っている。
進歩自由党のある議員は新政権を「急進的左派政権」と評している。同様の呼称は943年5月~955年5月のバルバリッチ政権においてもなされたが、当時の社会主義勢力が議会での過半確保にセニオリス自由党(現・進歩自由党)の協力を要したのに対し、現在では必要としないことが対照的と言えよう。
大統領自身は人事について「屈託のない意見交換が出来た」と語るが、大統領をよく知る関係者は「たった一人で社会主義者と対峙するのは辛いことだろう」と慮った。政情を見れば、セニオリス共産党は「社会主義体制の実現を公約しない限り支持しない」と955年に続き不支持とし、進歩自由党は「共和国を脅かす社会主義者に適切に対処すべく距離を取る」と新政権の不支持を表明した。これにより大統領の協力政党は左派の影響が増す社会民主党のみとなり、無所属の立場より中道派から左派までを席巻したその影響力は見る影もない。
無所属が旗印であった大統領は、2度に渡る議会選挙の不調によってその存在感を「社会主義革命への不承認」に残すのみとなった。社会主義者の影響著しい中、大統領は改憲案に最後の望みを託さんとしている。オリーン政権が後世で”和解の始まり”と評価されるかは、967年の選挙に懸かっている。
【政治】『社会権の明記』などの憲法改正が国民投票通過 改憲実現へ
<北方セニオリス新聞>
バーバラ・オリーン大統領が大統領令第100号『963年憲法改正草案の発議』として署名し、セニオリス共産党、社会民主党、進歩自由党の3党の賛成によって議会を通過していた憲法草案は963年4月に国民投票に掛けられ、過半の支持を得たため成立した。草案は従来の自由主義的憲法に社会的観点を与える改革として注目され、史上初の共和国憲法の改憲が実現することとなった。
改正憲法において、憲法学者らは大きな変更点として3点を指摘している。
第一は前文であり、従来の記述では、地域住民の諸権利の保護のための諸法典が915年7月に原型となったこと及び権利の保護を命題とする旨のみが簡素に記されていた。改正後ではここに「自由社会に根ざした民主的かつ社会的な共和国」などとして共和国の価値観を記し、目指す国家像が前文に落とし込まれた。
第二は選挙直後の大統領が強調したとおりの社会権の明記である。世論の注目を最も集めた条文は生存権に関するもので、「全ての国民は、自由による活動により受けた迫害から庇護を受ける権利を持つ」、「あらゆる自由による活動は、市民の自立した健康な生活を迫害することはできない」と記した。またその他にも、憲法上は『公衆の健康』のために導かれるとされ、これまでバルバリッチ前大統領の大統領令第47号『労働組合の権利擁護』や各種関連法が主導する形となっていた団結権や団体交渉権などの労働組合関連の権利、さらに義務教育無償化や国家の教育環境整備義務などを記した教育を受ける権利、医療や介護などの福祉支援を受ける権利についても記された。
第三は、この改憲草案において最も賛否が分かれるところとなった国有企業に関するものである。ここでは「すべての財産や企業は、その独占的や公的性格により、その濫用が市民の諸権利を著しく害しうる限りにおいては、公共の所有に属さなければならない」と記され、社会主義が掲げるところの生産手段の国有化が目的とされるのではないかと議論の的となった。これまで経済的自由権が形作り、『公衆の健康』のみがその調整を担っていた共和国経済は、改憲により新たな形を見せていくこととなった。
国民投票での過半獲得の報を受けた大統領は「915年憲法が掲げた自由はここにようやく完成を見た」と宣言し、「新たな価値観が不変の命題として共和国に根付くよう、第一人者として国政を導く」と今後の展望を示した。
その他
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