【政治】第42囘選擧 左派優勢變らず
(904年12月-イェゴール20年-12月、イタク通信電)第42回帝国議院議員選挙は5日に投票が行われ、即日開票された。結果は上図の通り。
社会民主党・立憲進歩党・労働党・正教保守党というデモクラチーチェスカヤ連立政権を20年に亘り維持したカリクリャータルスカヤ首相の手腕が高く評価され、社会民主党が15議席増の49議席を獲得した。ガトーヴィチ共産党は16議席減の50議席となったが、第一党を辛うじて維持し、左派の優勢は変わらなかった。
選挙結果を受けて、デモクラチーチェスカヤ連立を構成する四党——社会民主党カリクリャータルスカヤ主席、立憲進歩党ムイシュキナ総裁、労働党アレクサンドロヴァ代表、正教保守党オセチェンコ司宰——による党首会談が行われた。この会談により、正教保守党が連立与党を離脱する事が決定され、以て社会民主党(左派)・立憲進歩党(中道右派)・労働党(中道左派)による社立労中道自由主義連立政権が誕生した。
【政治】第44代首相にカリクリャータルスカヤ氏
(904年-イェゴール20年-12月、イタク通信電)第891回帝国議会(臨時会)は20日、社会民主党のフンクツィヤ・ラガリフモーヴナ・カリクリャータルスカヤ主席を首班指名し、氏は25日、インターリ君帝陛下により第44代為政院総理大臣に任命された。連続での就任は、ヴォルネスク解放戦争を指導し、五月革命により失脚したイユーリン首相(在任722〜774)以来171年振り。
カリクリャータルスカヤ首相はイヴァングラート帝国大学卒。社会自由主義を標榜し、主な主張は、人権の尊重、自由貿易、国際的連帯、君帝権限の縮小など。ハト派・介入主義。
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Slack投票で使用した背景
【まえがき】
来る904年-イェゴール20年-12月、任期満了に伴う第42回帝国議院議員選挙が実施される。
884年-ポリーナ19年社会民主党(社会民主派)、正教保守党、立憲進歩党、労働党のデモクラチーチェスカヤ(民主)連立からなるカリクリャータルスカヤ為政院が誕生した。ここで、カリクリャータルスカヤ政権下での主な出来事を振り返ろう。主な出来事
・887年-イェゴール3年- 国際スポーツ大会イヴァングラート大会
・891年-同7年- FUN総会におけるガトーヴィチ・トルキー論争
・895年-同11年- 北海連邦にて選挙
・896年-同12年- フーリエフ最高執行官の就任
・902年-同18年- ベロガトーヴィチ大公国と同君連合化カリクリャータルスカヤ為政院総理大臣は、人権の尊重、自由貿易、国際的連帯、君帝権限の縮小を自身の政治的信条としていたが、四党連立政権を維持するために、時として自身の信条に沿わぬ政治を行わなければならなかった。
国際スポーツ大会の開催やフーリエフ最高執行官の活躍、国力ランキング5位浮上により、ガトーヴィチの国際的地位は揺るぎないものとなったことに会心の笑みを浮かべた一方で、インビーリェヴァ為政院(867-884)で北海連邦を巡り悪化した瓦・ヘルトジブリール関係が未だ修復されず、そのうえFUN総会でSSPactの同盟理事国の地位に関する憲章改正を巡りトルキー政府との関係が悪化したことに自責の念を覚えており、FUN憲章に係る懸念からベロガトーヴィチとの連邦形成を断念し、正教保守党と立憲進歩党の突き上げに折れてベロガトーヴィチとの同君連合を進めたことには、不甲斐なさを痛感したという。ガトーヴィチ民主帝国の明日は、あなたの清き一票(と乱数)にかかっている。政党一覧:
立憲進歩党(中道右派、自由経済派、紫色)
労働党(中道左派、社会民主派、緑色)
帝国発展党(極右、ファシズム、青色)
ガトーヴィチ共産党(極左、スターリン主義、赤色)
社会民主党(左派、社会自由派、灰色)
正教保守党(右派、社会保守派、橙色) (編集済み) 2 個のファイル