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帝国発展党、スラヴ主義の放棄と正教主義の採用を宣言

【政治】帝国発展党、スラヴ主義の放棄と正教主義の採用を宣言

(ポリーナ6年-871年-2月、イタク通信電)帝国発展党は2月1日の党機関紙にてФ. Б. エンペン総帥の談話を掲載し、スラヴ主義の放棄と正教主義の採用を宣言した。談話は以下の通り。

帝国発展党は、436年の結党以来、「陛下なくしてガトーヴィチなし」の崇高な理念の下、ガトーヴィチの発展を実現すべく、ある時は責任ある政権与党として、またある時は物言う野党として、党勢を保ってきた。特に、タチアナ34年(629年)12月に就任したファグネルスキー第26代為政院総理大臣兼帝国発展党総帥は、帝国発展党に「大スラーヴ主義」という新しい思想をもたらした。ファグネルスキー氏は著書「我が責任」の中で、「フリューゲルのスラーヴ民族が団結し、他民族と立場を異にすべきである。組織性に優れ他民族の指導的地位にあるヴェールヌイ人はともかく、ラテン民族に支配されているヴォルネスク人は、高度な自治や独立をもってこれを解放することが我々の責任である。」と述べた。帝国発展党は、対ベルサリエーレ戦争の遂行、鎖国法・国体純化法の施行、スラヴ連合の設立を経て、プロスキ22年(722年)、ヴォルネスク解放戦争に勝利し、ヴォルネスク人の解放を達成した。爾来、帝国発展党において、大スラーヴ主義、その後のスラヴ主義は、党の政治的外交的成功の要因とみなされ、事実上の党是となった。

そう確かに、スラヴ主義は7、8世紀の帝国発展党の政治的外交的成功を支える崇高なイデオロギーであった。しかし、義理戦争(813年戦争)に敗北し、ディースブルク体制下で半世紀に亘り辛酸を嘗めたガトーヴィチが、真に国際社会における地位を回復する段にあって、スラヴ主義はどのような影響を与えているだろうか。蓋し、民族という思考を有しないカルセドニーとの不和、明らかに非スラヴ的なレゴリスによる蔑視、反スラヴ主義急先鋒のロムレーによる外交攻勢、その他諸外国の漠然とした嫌悪感である。最早、ガトーヴィチにスラヴ主義は必要ない。帝国発展党は、2世紀以上に亘りかざしてきたスラヴ主義の看板を下ろし、党の原点に回帰する。すなわち、帝国発展党は、「陛下なくしてガトーヴィチなし」の理念の下、君帝家と帝国民の繁栄に心血を注ぎ、君帝陛下の平和を願う御心が、ガトーヴィチ中、ひいてはフリューゲル中に行き渡るように努めるのである。

そして、来たる10世紀に向けて、帝国発展党は「正教主義」を党是に据える。ガトーヴィチ正教は、時のキスラロート君帝がタチアナ2年(596年)に「正教改宗の勅語」を渙発して以来、ガトーヴィチ宗に代わる新たな宗教として、ガトーヴィチに広く浸透した。ガトーヴィチ正教は、イヴァングラート総主教庁を有するがゆえにガトーヴィチの名を冠しているに過ぎない。正教主義は、民族主義と異なり、すべてのフリューゲル市民に開かれている。ガトーヴィチは、君帝家とガトーヴィチ正教会の協働により、君帝陛下の平和を願う御心が行き渡るのと同じように、正教の精神をも伝播させるべきである。帝国発展党は、「君帝無くしてガトーヴィチなし」の理念を堅持し、スラヴ主義を放棄して正教主義を採用し、以ってガトーヴィチを発展へと導くことを宣言する。

1 Фебраля, Полина 6
Ф. Б. Энпэн

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