
目次
国家概要
国名 | カルセドニー社会主義共和国 |
正式名称 | カルセドニー社会主義共和国(Socialist Republic of Chalcedony) |
首都 | クリソプレーズ市 |
最大都市 | クリストバライト市 |
最高指導者 | 社会主義評議会 |
政治体制 | 委員会社会主義体制 |
公用語 | カルセドニー英語 |
建国 | 616年11月初旬 |
現体制確立 | 1136年1月1日 |
国歌 | 祖国のために集えよ同志 |
通貨 | カルセドニー・ダラット |
主な産業 | 商業 |
概要
カルセドニー社会主義共和国(かるせどにーしゃかいしゅぎきょうわこく、Socialist Republic of Chalcedony)は、877年の憲法改正により、カルセドニー社会主義連邦共和国が国名を改めた社会主義共和制国家である。1135年の憲法改正によって成立した現在の憲法は1020年に発生した「政変」によって生じた状況を追認したものである。カルセドニー地域の国家としては、カルセドニー島入植地・カルセドニー島共和国・カルセドニー連合・カルセドニー社会主義連邦共和国を引き継いでいる。フリューゲル北半球中〜低緯度地帯に位置している。
更新情報
日時 | 更新情報 |
2019年8月3日 | 「カルセドニー社会主義連邦共和国」ページ作成 |
2019年8月20日 | 歴代選挙結果を追加 |
2019年11月8日 | 行政区画に関する情報を追加、共和国議会の862年改憲後の制度を加筆 |
現ページ作成 | |
2020年11月27日 | 専門委員会に関する情報を加筆 |
2024年4月28日 | 1135年改憲の内容を反映 |
2025年1月5日 | 1177年現在の政治勢力について大幅に加筆 |
2025年1月15日 | 海軍設定について加筆 |
国名
かつてのカルセドニー島入植地(Colony of Chalcedony Island)〜カルセドニー島共和国(Republic of Chalcedony Island)時代はカルセドニー島本土のみに殆どの国民が居住していたこともあり、国名はカルセドニー島を冠していた。700年代諸島のカルセドニー革命においては、ガーネット諸島の住民が革命側の一員として活動したこともあり、革命後のカルセドニー連合の正式名称はカルセドニー諸島サンディカリスム連合(United Syndicates of Chalcedony Islands)となり、旧共和国と連合のイデオロギー対立の一環としてこの名称が使用された。しかし、カルセドニー連合期にガーネット諸島へのセビーリャ系・ヴァノミス系住民の強制移住が進んだ結果、連合後期にはガーネット諸島はカルセドニー社会主義に対する批判勢力の温床となり、764年の憲法制定議会選挙の結果成立したカルセドニー社会主義連邦共和国(Socialist Federal Republic of Chalcedony)からはこの語(Island(s))が外された。旧共和国に対する評価の中立化が名目とされたが、ガーネット諸島住民がカルセドニー社会主義体制の主要な支持者ではなくなったこともこの変更の重要な要因であると言えよう。
また、カルセドニー革命は共産党と労働組合の協力により成し遂げられたため、連合はサンディカリスムを明確な国是として掲げており、国名にもサンディカリスムを冠していた。しかし、764年の憲法制定議会選挙の際に旧共産党・軍系の労働党共産派から労働組合系の労働党組合派が分離する形で連合党が成立したため、選挙後に成立した764年憲法においてはサンディカリスムを明確化することに労働党が反対し、結果として労連両党が共通の基盤とできる「社会主義」のみが国名に盛り込まれることとなった。877年改憲に際して連邦制が廃止されるに至ったが、国名の中の「社会主義」については変更の必要性が主張されず、結果として現在もこの「労連両党の妥協」としての社会主義は国名に残されている。この国名は1135年の改憲でも変更されなかった。
国旗



基調の青赤
カルセドニー旗の基調となっている青赤の2色はカルセドニー民族(パーム民族)を象徴しており、旧世界の「旧連邦」から用いられ続けているが、その本来の意味については明確ではない。旧連邦時代の報道記事によれば、青は自由を、赤は平等と社会主義を表しているとされる。しかし、カルセドニー島共和国時代にはその意味合いは薄れており、旧共和国旗が社会主義を示していると考えられることはほとんどなかった。671年から675年に暗殺されるまで旧共和国唯一の左派政権を担ったレハシ・ウェストカーネリアン元大統領は選挙期間に旧共和国旗に含まれる赤を社会主義の象徴として訴え、結果彼自身の当選に結びついたが、この事実はカルセドニー国旗の赤の意味を決定したとは言えない。
しかし、カルセドニー革命に際してはレハシの主張は大々的にプロパガンダとして用いられ、カルセドニー連合の発足時には青はカルセドニーを取り巻く海を、赤は社会主義を表している と明確化された。また、この際に旧共和国が用いていた水色に近い青は取りやめられ、旧連邦と同一の色が用いられるようになったが、これは「旧共和国からの決別の意思表示」とされた。さらに、旧連邦・旧共和国ともに左右で区切っていた2色の区切りも、右上から左下にかけて斜めに区切るようになったが、これはサンディカリスムを示しているとされていた。
764年以降、カルセドニー社会主義連邦共和国が成立して以降もカルセドニー連合時代の旗は使用され続けてきた。青赤2色の意味合いについて「カルセドニー周囲の海と社会主義」であるという点については連合時代と解釈に変更はなかったが、「右上から左下への区切り」がサンディカリスムを示しているのか否かについて連邦共和国政府は明言を避けてきた。
星
カルセドニー国旗を象徴している2つの要素のうちもう一方は星である。旧連邦は「連邦政府を表す赤い大きな星」と「各共和国政府を表す4つの緑の星」を描いていたが、旧共和国は単一の黄色の星を国旗に採用しており、単一のパーム民族とカルセドニー島共和国という概念を強調していた。ただし、旧共和国が国旗の星の意味について頻繁に言及してきた事実はなく、結果的に「単にカルセドニー島を指す」として理解されることも多かった。結果、カルセドニー革命に際しては「ガーネット諸島の軽視」という(不正確な)認識に結びつき、革命後の連合旗には「カルセドニー島を表す大きな星」と「ガーネット諸島及びパイロープ島を表す6つの星による十字」が描かれている。なお、グロッシュラーライト北島が解体された結果、現在はガーネット諸島とパイロープ島は合わせて5つの島を有するのみであるが、これを考慮して国旗を改定する動きはない。また、星が黄色単色だった旧共和国旗とは異なり、黄色の縁取りのある赤い星が採用されているが、これは旧連邦の星が赤かったことを踏まえて、「社会主義を象徴」する赤と、「パーム民族を象徴する黄色」の両方を用いることとしたためである。
産業構造
自主管理組織
共和国の経済を構成する主体は自主管理組織である。自主管理組織は資本主義国家の企業に類似しているが、憲法において意思決定権が労働者にあることが義務付けられている。自主管理組織は基礎組織(職場)ー労働組織(事業部)ー連合組織(企業)という3段階の構造を成しており、各上位組織の意思決定は下部組織の構成員が互選により選出し派遣した代表委員による多数決により行われる。株式の販売など、「企業の意思決定権」を金銭により取引することは「市民の選挙権をカネで売買するようなもの」として強く否定されており、自主管理組織の意思決定権はすべての労働者が平等に与えられることが理想とされている(もちろん、各組織の構成人数の差により「一票の格差」のようなものが発生することは完全には阻止できないが)。
自主管理組織はすべていずれかの専門委員会に所属しており、連合組織代表委員から専門委員会の委員が選出されるため自主管理組織は政府機構である専門委員会に直結している。また、自主管理組織は共和国議会下院の選挙区を設定する際の区分けの基準となっており、他国において自治体が果たしているのと同等の役割を自主管理組織が果たしている面もある。
国家構造
政策スライダー(1135年更新)
民主的 | ーーーーーーーーー◆ | 独裁的 | 委員会と官僚機構は選挙と政治家に優越する |
政治的左派 | ◆ーーーーーーーーー | 政治的右派 | 社会主義の障害となるものは社会主義者であっても許されない |
開放社会 | ーーーーーーーーー◆ | 閉鎖社会 | 外の世界に求めるのはモノで、ヒトではない |
自由経済 | ーーーーーーーーー◆ | 計画経済 | 中央計画経済は安定の基盤である |
タカ派 | ーー◆ーーーーーーー | ハト派 | 平和の維持のためなら戦争すら辞さないのが我らの平和主義である |
介入主義 | ーーーーーーーー◆ー | 孤立主義 | 安定のための努力は惜しまないが、自ら揺らぎを招く必要はない |
社会主義評議会
1020年の政変後に共和国の政権を担い、1135年改憲で正式に憲法上の位置づけを得た機関。9つの委員会の委員長から構成され、全体として国家元首としての機能を担うとされる。個人の代表者を必要とする場合は社会主義評議会議長がその役割を持つが、「社会主義評議会議長がカルセドニーの国家元首である」という表現は正確ではなく、あくまで「全体として国家元首である社会主義評議会の中での代表者」であるという立ち位置である。社会主義評議会議長は1年ごとに持ち回りの形で9委員会の委員長が順番にその地位を担うが、当該委員長が社会主義評議会議長への就任を辞退するか、社会主義評議会が当該委員長が社会主義評議会議長の職務に堪えないと判断した場合は社会主義評議会が社会主義評議会議長代理を残りの委員長の中から選出する。1020年から1135年改憲までの間は、形式的に社会主義評議会議長の地位が輪番で与えられていたものの、中央処理・内務公安・軍部の3委員長以外の委員長は常にその地位を辞退し、3委員長が9年中1年間社会主義評議会議長を、2年間社会主義評議会議長代理を務めることが慣例化していた。
1160年の総選挙に伴う政治体制の変革に伴い、9つの委員長ポストは「社会主義評議会主流派」と呼ばれる正方派・台形派と、社会主義評議会非主流派が転じて超越連盟の一員となった円環派・角錐派、さらには社会主義評議会体制に包摂されることとなったサンディカリストに分断されるようになった。円環派・角錐派・サンディカリスト系委員長に社会主義評議会議長ポストが回ってきた際には、同派の委員長は社会主義評議会議長への就任を辞退することを拒否しており、1177年現在は概ね以下のような基準で社会主義評議会議長が選出されている。
- 中央処理・内務公安・軍部委員長に持ち回りが回る時期:当該委員長が社会主義評議会議長に就任
- 他6委員会のうち、正方派・台形派に属する委員長に持ち回りが回る時期:当該委員長は就任を辞退し、中央処理・内務公安・軍部委員長のいずれかが社会主義評議会の選出に基づき社会主義評議会議長代理に就任
- 他6委員会のうち、円環派・角錐派・サンディカリストに属する委員長に持ち回りが回る時期:当該委員長が社会主義評議会議長に就任
しかしながら、このような形で社会主義評議会議長(代理)の政治的立ち位置が頻繁に入れ替わる状況は議長(代理)というポスト自体の意義を低下させており、実質的には誰が議長(代理)を務めていたとしても、社会主義評議会は正方派・台形派の意思に基づいて運営される状況となっている。1160年以降においては議長(代理)を務めていたとしてもそれを名乗らず、委員長の地位のみを名乗るケースがほとんどであり、社会主義評議会議長はほとんど有名無実化していると言える。
委員長
9つの専門委員会(後述)の委員長は各委員会によって独自に選出され、各委員会が後任を選出するまでの間その地位を維持する。ただし、これは形式的な手続きであり、実際には中央処理委員長が委員長を指名しているとされる。877年憲法下では6年間の任期があったが、任期制は廃止された。
共和国議会
共和国議会は877年憲法下では10年と定められていた任期が廃止され、(自主管理連合組織から構成される)各選挙区自身に議員の任期を定めたり現職議員の地位を失わせたりすることの決定権が与えられている。一方で、1158年に解散総選挙決議が最初に採択されて以来、ほとんどの選挙区が共和国議会が「総選挙実施決議」を可決し、各選挙区に現職議員の任期を特定の時期で終了させることを決議した場合はそれに従って指定の時期に選挙を行うことを支持しており、結果的に「共和国議会が自主解散を過半数の賛成で可決した際に総選挙が行われる」という状況になっている。
共和国議会の定数は764年憲法以降、「地方選挙区」が導入されていた一時期を除き一貫して採用されている600をそのまま用いている。形式的には被選挙権は自主管理連合組織のすべての代表委員に与えられているが、社会主義評議会や委員会上層部がスクリーニングを行っており、委員会社会主義体制に対して敵対的であるとみなされる思想(経済的自由主義者、自由選挙主義者、司法権独立論者など)を有しているとみなされた人物が立候補を認められることはほとんどないものとされてきた。しかしながら、1160年次総選挙の際に、「総選挙の形式で大量の選挙区の議員を一斉に選出する」場合は社会主義評議会側のスクリーニングが間に合わないことが表面化しており、それ以降反評議会勢力は総選挙によって議席数の拡大を目論み、評議会側は同時に改選される議席数を減らすことで委員会社会主義に敵対的な候補の排除を目指す、という構図が固定している。1160年以前は社会主義評議会体制を支持しない「非評議会派」の議員は議会全体の10%~20%に過ぎなかったが、1160年以降は議会の3分の1~半数弱を非評議会派と社会主義評議会内の少数派を糾合した超越連盟が確保している。
なお、大統領選出という最大の役割が失われた上院は1135年憲法では廃止された。



政治勢力

現在の共和国政界は、社会主義評議会主流派・超越連盟・サンディカリスト連合の3大勢力に概ね分断されているが、それぞれの内部においても複数の派閥が鼎立している。
社会主義評議会主流派
1020年政変によって社会主義評議会体制を成立させ、1158年政変後も社会主義評議会体制を支持している、国内の最左派・最保守派。1020年政変以前の人民党・革新党などの委員会社会主義勢力を後継しており、1177年時点の共和国の権力を概ね握っているが、1158年政変以降は「絶対的」とは言えない立場にある。
正方派:1020年政変直後は「877年憲法を維持したまま社会主義評議会体制の構築を進める」ことを主張していた派閥であるが、台形派・円環派の主導による1135年憲法の成立後は本来の主張の拠り所を失っており、現時点では「理知的な社会主義による国家統治」を訴える保守派としての立ち位置を確立している。内部には純粋な「学術的知識の発展」を重視する学術派(いわゆる #スクリプト解析し隊)と、「学術的知識に基づく制度や経済の発展」を求める実用派が両立している。両派の間に著しい対立は存在しないが、外交方針としては前者は親ロムレー、後者は親タンファ・親リブルを重視しているという点で異なる。
台形派:1020年政変直後は「中央処理・内務公安・軍部の3委員会に特権的な地位を与える改憲」を主張していた派閥であるが、円環派と協力して1135年憲法を成立させた際に憲法に直接特権を書き込むことを諦め、実際の運用において3委員会に有利な状態を得た。正方派同様の社会主義評議会体制内の保守派であるが、外交方針としてはセリティヌムとの関係を重視している。同国とルクスマグナの間の強硬な対立関係を反映して、正方派よりはるかにタカ派的な外交姿勢を有するに至っており、近年はほとんど「アンチミルズ」に近い妄執的な立場に転じつつある。1020年政変直後は親ヘルトジブリール的な勢力も内包しており、円環派と協力して親SSPact的な政権を目指していた時期もあったのであるが、ヘルトジブリールが国際社会の表舞台からほとんど姿を消してしまった関係上、この勢力は最近はほとんど表には出てこない。
超越連盟
1158年に社会主義評議会に対して「解散総選挙決議」を突き付けた後、エント・アベンチュリン生産搬送配給委員長の掲げた中道主義・平等主義・地域主義の「三大原則」を原則とした超越綱領を支持した複数の政治勢力によって構成された(実質的な)政党。ただし、社会主義評議会内の非主流派(≒委員会社会主義者)から自由主義者までかなり多様な勢力のごった煮であり、内部の統一はなかなか図られていない様子である。
円環派:南の風の権威主義派閥を前身とする。南の風の中でも権力志向の強いこの勢力が委員会社会主義に「身売り」して成立した派閥であり、1020年政変以降はすべての委員会に平等な地位を与えることを訴えていた。結果的に1135年改憲で形式的な平等を明確化することに成功しており、各委員会の独立性が強化されたことが社会主義評議会体制からの離反と超越連盟の成立を後押しした。エント・アベンチュリン生産搬送配給委員長の率いる表裏一体派を中心とした超越連盟内の最大勢力であるが、エント生産搬送配給委員長が事実上超越連盟の指導的地位から失脚したために連盟に対する影響力は低下傾向にある。外交的には親セニオリス・親ロシジュアを掲げており、したがって親SSPact的である。両国に対する友好姿勢は大きな矛盾を生じさせてはこなかったが、セニオリスにおいて急進的超越が力を持つようになるにつれて親ロシジュア系の「平和主義」路線と相容れないタカ派的な超越主義の影響力が大きくなっている。
角錐派:かつての連合党内の一部勢力で、委員会社会主義に取り込まれることを選んだ勢力を前身としている。1020年政変以降は「大統領制の復活」を主要な題目として掲げていたが、1135年憲法が大統領制を正式に廃止し、超越連盟が「平等主義」を掲げることで大統領制の復活に反対する立場を明確にしたことによって完全にアイデンティティを失ってしまった。社会主義評議会主流派に弓を引いてしまった以上超越連盟の外に居場所はなく、渋々超越連盟内の少数勢力に甘んじているというのが現状である。連合党の歴史的な親ガトーヴィチ外交路線を引き継いでいるものの、同盟関係の再編などもあって現在は連合党のような「WTCO同胞としての親ガトーヴィチ」というよりは、「主としてBCATとの友好関係を掲げ、その一部としての親ガトーヴィチ」を意識する立場に転じている。一方で、角錐派の未来に見切りをつけ始めた一部の若手に五胞派と呼ばれる分派を結成する動きがある。同派は大統領制の復活を放棄するとともに「五大陣営の下でのフリューゲル」という外交路線を示しており、親KPO的であるとみなされている。
議会民主派:1020年政変によって地下活動に追いやられた民主前進党の後身の片割れで、自主管理組織代表委員に限らず、すべての市民が直接共和国議会議員候補に投票できる「完全普通選挙」の実現を掲げている。当然ながら反社会主義的勢力として認定されているが、1158年の政変以降は社会主義評議会側の弾圧が行き届かなくなり、結果的に今では大手を振って活動している状態である。ティーナ・ユーファストーン共和国議会議員に率いられており、同氏が超越連盟の事実上のトップに立ったことを受けて超越連盟内の指導的勢力となった。超越連盟に所属する共和国議会議員の半数程度が議会民主派に属していると見られている。
司法民主派:民主前進党の後身の片割れで、中央処理委員会を解体し、司法権を独立した裁判所に移管することを要求している。議会民主派に比べて思想的に過激であるとみなされており、現時点でも社会主義評議会から強力に抑圧されている派閥である。反体制派内部でも急進派として見られており、議会を通じた民主化ではなく、テロリズムや内乱による社会主義評議会の実力による打倒を目指しているとされていることから、共和国議会内での勢力はほとんどない。
自由主義者:南の風の自由主義派を前身とする。文字通り社会主義体制を打倒し、共和国を自由経済国家に生まれ変わらせようとする立場である。社会主義評議会に毛嫌いされていることは言うまでもなく、超越連盟の内部でも社会主義評議会を出身とする円環派・角錐派との関係はよろしくない。特に、南の風の権威主義派閥を前身とする円環派とはガーネット州内の利権を争う立場でもある関係上関係は最悪であり、よく同じ党派の中にいるなという状態である。ガーネット州内で発行されている〈Advance! Victory Is Within Us!〉紙は自由主義者によって運営されており、1161年以降は社会主義評議会の統制を回避しながら国際版の発行を開始している。なお、自由主義者のかなりの割合がガーネット州内のセビーリャ系住民であり、自由主義と同時にセビーリャ民族主義にかぶれた傾向も近年は見出されている。
サンディカリスト連合
サンディカリストは社会主義の一派でありながら委員会社会主義に基づく経済統制に批判的な立場であったため1020年政変以降非合法化され、反体制派の一派に追いやられていた。1158年の総選挙要求決議には賛成したが、エント生産搬送配給委員長が掲げた「三大原則」が社会主義を排除していたことに反発して1162年の超越連盟の発足に加わらず、独自の党派を立ち上げて社会主義評議会と超越連盟の間に挟まる第三勢力となった。その後、社会主義評議会主流派の協力を得て反社会主義勢力としての認定を取り下げられ、委員会に委員長を送り込むことが許される立場に舞い戻った。一方で、セニオリス連邦でサンディカリスム・自主管理社会主義に非常に近い経済政策を掲げる「制度的超越党(ITP)」が伸長していることもあり、自らを超越主義として位置づけるべきか否かについて悩んでいる状況である。
非超越派:旧来からのサンディカリスムの主流派であり、セニオリスITPが加速主義的な立場をとっていることに関連して「カルセドニーのサンディカリスムは保守主義である」という認識を有している勢力である。超越連盟に対しては「反社会主義的」という認識から警戒しているが、社会主義評議会主流派との対抗上必要に応じて活用すべきという現実論もある。
超越派:セニオリスITPと自らの経済政策における類似性を重視し、国際的な超越主義的潮流の高まりもあって自らを超越的であると位置づけるようになったサンディカリスト内の一派。超越連盟については、「三大原則」が円環派の権力確保のために恣意的に作られた「偽物の超越」であるという立場をとっており、非超越派よりはるかに超越連盟を敵視している。近年モリオン市軍需品製造工場から多額の献金を受けていることが注目されている。
1135年改憲以前の国家構造
以下では、1135年の改憲以前の社会主義連邦共和国の国家構造(主に、877年憲法下のもの)について述べている。古い情報なので注意すること。
大統領
任期・権限
共和国の国家元首は862年改憲後に再度設けられた大統領であり、その任期は6年である。ただし、大統領に初めて当選した人物は2期目を無投票で再選できることが定められており、この点では事実上任期は12年であるとも言える。ただし、大統領の任期は3期18年を上限としており、既に3期に渡り大統領の地位を務めている人物は4期目に出馬することができず引退しなければならない。
大統領はカルセドニーの行政府の長として、また、すべての委員会の上位に位置する存在として、共和国の全ての人民の代表者であるとされる。各委員会の委員長が欠けた際に、その後任を任命する権限を有しているなど、行政権についてはきわめて大きな権限を持つ。一方で、議会の解散権は有しないなど立法府とは明確に分離されている。
大統領選挙
大統領は、国民の直接選挙により選出される。現大統領の任期終了年に選挙が行われることとなっており、862年憲法下のような選挙人制度も用いられない完全な直接選挙となる。6月に行われる一般投票において全体の過半数の得票を1候補が獲得したならば、その候補が直ちに次期大統領として当選する。一方、全体の過半数の得票を獲得できた候補がいないならば、上位2人の候補による上院投票が12月に共和国議会上院議員の投票により行われることになる。連邦共和国862年憲法のもと当選した旧労働党のレテン・ウェストカーネリアンの任期が(自動再選による2期目を含めて)888年末まで継続、現憲法下初めての大統領選挙は888年6月に一般投票、同年12月に上院投票が実施された(レテンが再選)。
共和国議会
任務・権限
共和国議会は共和国の立法府であり、人口比例による選挙制度を採用する下院と、9つの委員会全てに5議席が定数で与えられる上院の二院制を有する。両院の権限には相違があり、予算や法案については下院に優越権がある一方で、条約の批准や大統領の選出については上院に強い権限が与えられている。条約の批准は上下両院の同意が必要であり、上院が否決したとしても下院が再可決することができる一般法案とは扱いが異なっている。また、大統領選挙で過半数の票を得た候補が存在しない場合の決選投票は「立法府と行政府の分離を確かなものとするため」上院の専権事項とされており、下院は大統領の選出に関与することができない。
選挙
下院の定数は600、任期は連邦共和国時代より短縮され10年であり、選挙制度は連邦共和国議会の委員会選挙区を引き継いでいる。すなわち、1選挙区ごとの人口が可能な限り一定になるように、複数の自主管理連合組織を選挙区単位とする小選挙区制により選出される。自主管理連合組織の代表委員から議員を選出するという性質上、市民が選挙において直接候補に投票する形式は取られておらず、労働者が選出した自主管理基礎組織代表委員が選出した自主管理労働組織代表委員が選出した自主管理連合組織代表委員が下院議員を選出するという間接選挙の手続きを取る。選挙区の単位が自主管理組織であるということから、(職場である)自主管理組織に所属する権利は共和国市民の人権の重要な一部であり、「失業」という状態は「無戸籍」と同程度には国家の責任として解消されるべき事柄であるとされる。
上院の定数は45であり、任期は6年で、各委員会の局長クラスの上級職者が各委員長により選任される。また、憲法で明示されているわけではないが、上院は党派性を有することが戒められており、上院議員に対する党議拘束については行うべきではないとされる。各委員会ごとに5名のみ選出されることになる上院議員へは高い敬意が払われるべきであると考えられており、党議を決定する立場である各党首脳部に対して独立性が高いこともこの傾向に拍車をかけている。上院議員は委員長を頂点とするカルセドニー委員会制度の中枢を占めており、立法府的な性格が(下院の優越により)小さい一方で行政府的な性格が大きい。
歴代選挙結果(下院)


歴代選任議員(上院)


※上院議員については各議員について「最も立場の近い政党」を示しているにすぎないことについては注意。
歴代選挙結果(連邦共和国時代)













●労働党 ●連合党 ●進歩党 ●共和党
専門委員会
共和国の専門委員会は、共和国の行政機関であるのみならず、その産業全体を包括する巨大な官僚機構である。初等教育を終えた市民は、その時点で所属する専門委員会を決定し、その専門委員会のもとで高等教育や職業訓練を受けることになる。専門委員会を移籍することは禁止されていないが、委員会の専門性が極めて高いことから障壁は高く、市民の大多数が生涯にわたって1つの専門委員会に所属する。
専門委員会の委員長は大統領により任命され、任期は6年である(大統領の任期と同時に改選される)。ただし、委員長の候補は現職者と各上院議員に限られており、各委員会が現職者の再任を支持している限りは大統領といえども解任することはできない。したがって、しばしば大統領とスタンスの異なる人物が長期にわたって委員長の席を占めることになる。
中央処理委員会(Comission on Central Processing)
年次 | 委員長 | 所属 |
895~900 | ルハン・ヘリオトロープ | 人民党 |
901~906 | カケナ・クリソプレーズ | 人民党 |
907~912 | カケナ・クリソプレーズ | 人民党 |
913~918 | イルト・デマントイド | 人民党 |
919~924 | イルト・デマントイド | 人民党 |
925~930 | ケシス・サードオニクス | 人民党 |
司法(裁判)、人材管理、記録及び財政に関する諸業務を行っており、非常に権限が強大な委員会。カルセドニーでは司法の役割が小さく、特に政界の動きに対して口を出すことはほとんどないため対外的には影が薄いが、カルセドニー市民にとっては権威の象徴である。
中央処理委員会は「三大城塞」の中核として連邦共和国成立後一貫して労働党<孤立主義派>の、改憲に伴う労働分裂後は人民党の支配下にある。現憲法への改憲を成し遂げたレテン・ウェストカーネリアン大統領も中央処理委員会の出身であり、イルト・デマントイド社会主義共和国第4代大統領も中央処理委員長から大統領に選出された。
内務公安委員会(Comission on Internal Security)
年次 | 委員長 | 所属 |
895~900 | ケンヤ・シトリン | 人民党 |
901~906 | セレハ・シトリン | 人民党 |
907~912 | セレハ・シトリン | 人民党 |
913~918 | セレハ・シトリン | 人民党 |
919~924 | テレア・アメシスト | 連合党 |
925~930 | ライア・ヘリオトロープ | 人民党 |
警察・検察機能を兼ねる、共和国内部の治安維持を任務とする委員会。中央処理委員会には及ばないものの権威は高い。
「三大城塞」の一角であり、かつては労働党<孤立主義派>、現在は人民党の影響下に置かれている。919年にシジト・カーネリアン大統領が連合党系のテレア・アメシスト上院議員を委員長に指名した際には委員会内の反発が大きく、同委員会の上院議員3名の後任を委員長に就任したテレアは後任を指名できず下院が人民党系3人を指名することになった。
軍部委員会(Comission on Armed Force)
年次 | 委員長 | 所属 |
895~900 | リネル・デマントイド | 人民党 |
901~906 | リネル・デマントイド | 人民党 |
907~912 | クァラト・カーネリアン | 革新党 |
913~918 | クァラト・カーネリアン | 革新党 |
919~924 | ランク・スティショバイト | 無派閥 |
925~930 | クルト・ムトロライト | 人民党 |
国防に係る軍隊を統率する委員会。いわゆる「軍人」がここに所属する。排外主義的な傾向が特に強い委員会で、対外派兵に対しては消極的な態度を取りがちである。ちなみに、ミルズ地域平和維持部隊は委員会内の政争に敗れた委員が「島流し」の形で赴任することが多い。
「三大城塞」の一角であるが、近年は人民党の影響力が落ちている。革新党系の委員が力をつけてきており、907年にはテンク・モスアゲート大統領が革新党系クァラト・カーネリアン上院議員を委員長に指名、シジト・カーネリアン大統領の第1期にも留任して12年間委員長を務めている。
動力委員会(Comission on Power)
年次 | 委員長 | 所属 |
895~900 | テュルト・コーサイト | 連合党 |
901~906 | エルナンド・ロサス・ペルニーア | 無派閥 |
907~912 | エルナンド・ロサス・ペルニーア | 無派閥 |
913~918 | エルナンド・ロサス・ペルニーア | 無派閥 |
919~924 | エルナンド・ロサス・ペルニーア | 無派閥 |
925~930 | チリネ・アメシスト | 無派閥 |
鉱山管理が主要業務となる委員会であるが、エライ海での海底油田採掘も動力委員会が担っている重要業務である。
連邦共和国初期~2大政党期は労連両党が支持を取り合っている構図であったが、キウィク・ムトロライト動力委員長の登場後は連合党支持に固まり、現在では特に連合党右派や南の風の影響力が強い委員会である。901年には委員長と上院議員4人が一斉に引退、セビーリャ系で南の風ともコネクションがあるエルナンド・ロサス・ペルニーア上院議員が若くして委員長に任じられ、4期24年にわたって委員会を切り盛りしている。
生産搬送配給委員会(Comission on Production, Logistics and Commissary)
年次 | 委員長 | 所属 |
895~900 | トミク・クリソプレーズ | 連合党 |
901~906 | ヤロク・ヘリオトロープ | 革新党 |
907~912 | ケレス・モリオン | 革新党 |
913~918 | ケレス・モリオン | 革新党 |
919~924 | キンナ・ツァボライト | 革新党 |
925~930 | ヤーシ・トリディマイト | 革新党 |
住環境委員会(Comission on Housing Preservation and Development)
年次 | 委員長 | 所属 |
895~900 | レトネ・ブラッドストーン | 人民党 |
901~906 | レトネ・ブラッドストーン | 人民党 |
907~912 | ハルシ・サードオニクス | 人民党 |
913~918 | カシア・アメトリン | 革新党 |
919~924 | カシア・アメトリン | 革新党 |
925~930 | カシア・アメトリン | 革新党 |
研究設計委員会(Comission on Research and Design)
年次 | 委員長 | 所属 |
895~900 | コーア・トリディマイト | 人民党 |
901~906 | コーア・トリディマイト | 人民党 |
907~912 | コーア・トリディマイト | 人民党 |
913~918 | トレン・ブラッドストーン | 連合党 |
919~924 | トレン・ブラッドストーン | 連合党 |
925~930 | トレン・ブラッドストーン | 連合党 |
技術委員会(Comission on Technical Services)
年次 | 委員長 | 所属 |
895~900 | クケン・アメトリン | 連合党 |
901~906 | シジト・カーネリアン | 革新党 |
907~912 | シジト・カーネリアン | 革新党 |
913~918 | ドーア・クリストバライト | 連合党 |
919~924 | ドーア・クリストバライト | 連合党 |
925~930 | ヒンド・サードオニクス | 革新党 |
外交委員会(Comission on Diplomacy)
年次 | 委員長 | 所属 |
895~900 | シンナ・アメシスト | 連合党 |
901~906 | シンナ・アメシスト | 連合党 |
907~912 | タイク・コーサイト | 連合党 |
913~918 | タイク・コーサイト | 連合党 |
919~924 | タイク・コーサイト | 連合党 |
925~930 | タイク・コーサイト | 連合党 |
年表
太字はカルセドニー政治史上の歴史分類。
分類だけ決まっているのであるが、カルセドニー史は第四政党制の途中までしか書かれていない(積みタスク……)。
年月 | 出来事 |
616年6月初旬 | カルセドニー島入植地成立。 |
621年5月中旬 | カルセドニー島共和国成立(第一政党制)。 |
670年11月中旬 | レハシ・ウェストカーネリアン、大統領に当選。 |
675年2月中旬 | レハシ大統領暗殺される。 |
686年9月下旬 | 国際交易協力機構発足。 |
702年9月初旬 | カルセドニー連合成立(第二政党制)。 |
703年7月1日 | カルセドニー島共和国崩壊、カルセドニー革命終了。鎖国へ。 |
764年6月初旬 | カルセドニー社会主義連邦共和国成立、鎖国体制終了(第三政党制)。 |
803年9月中旬 | カルセドニー社会主義連邦共和国憲法改正。社会主義二大政党制成立、大統領制廃止(第四政党制)。 |
862年12月下旬 | カルセドニー社会主義連邦共和国憲法改正。大統領制復活。 |
877年12月下旬 | カルセドニー社会主義連邦共和国憲法改正。カルセドニー社会主義共和国成立(第五政党制)。 |
960年12月下旬 | 大統領・共和国議会ダブル選挙において連合党が大勝(第六政党制)。 |
1020年12月13日 | エルネ・モスアゲート大統領が拘束され、社会主義評議会体制へ移行(第七政党制)。 |
1130年10月19日 | 共和国議会、社会主義評議会体制を恒久化する改憲を発議。 |
1135年8月9日 | カルセドニー社会主義共和国憲法改正。大統領制廃止、共和国議会議員・専門委員会委員長の任期制廃止。 |
1160年12月26日 | 共和国議会総選挙において社会主義評議会非主流派・非評議会派躍進(第八政党制)。 |
より詳細なカルセドニーの歴史はカルセドニー史を参照のこと。
歴代の国家元首
肩書 | 氏名 | 政党 | 任期 |
入植地 | ーーー | ーーー | ーーー |
暫定総督 | リヨル・カーネリアン | 国民党 | 616年11月〜620年9月 |
暫定総督代行 | ハギワ・サードオニクス | (軍事政権) | 620年9月〜621年5月 |
旧共和国 | ーーー | ーーー | ーーー |
大統領 | リヨン・ジャスパー | 国民党 | 621年5月〜630年 |
初代大統領 | 631年〜640年(1) | ||
641年〜650年(2) | |||
第2代大統領 | リヨネ・アメシスト | 民政党・社会民主党 | 651年〜660年(1) |
661年〜670年(2) | |||
第3代大統領 | レハシ・ウェストカーネリアン | 社会民主党 | 671年〜675年 |
第4代大統領 | リヨネ・アメシスト | 挙国一致政権 | 675年〜680年 |
国民党・民政党 | 681年〜690年(3) | ||
691年〜700年(4) | |||
701年〜703年(5) | |||
連合 | ーーー | ーーー | ーーー |
臨時大統領 | レンデ・アゲート | 労働党共産派 | 703年〜705年 |
初代大統領 | 706年〜710年(1) | ||
711年〜715年(2) | |||
716年〜720年(3) | |||
第2代大統領 | レペイ・ヘリオトロープ | 労働党共産派 | 721年〜725年(1) |
726年〜730年(2) | |||
731年〜734年(3) | |||
(無大統領期) | (大統領存在せず) | ーーー | 734年〜737年 |
第3代大統領 | テシク・スティショバイト | 労働党組合派 | 738〜740年(1) |
741年〜745年(2) | |||
746年〜750年(3) | |||
第4代大統領 | トリク・ユーファストーン | 労働党組合派 | 751年〜755年(1) |
756年〜760年(2) | |||
761年〜764年(3) | |||
連邦共和国 | (764年憲法) | ーーー | ーーー |
初代大統領 | レクハ・アメトリン | 労働党 | 764年〜775年(1) |
776年〜785年(2) | |||
第2代大統領 | ペレネ・モスアゲート | 連合党 | 786年〜795年(1) |
796年〜803年(2) | |||
(大統領制廃止) | (803年憲法) | ーーー | 803年〜864年 |
(862年憲法) | ーーー | ーーー | |
第3代大統領 | キウィク・ムトロライト | 連合党 | 865年〜870年(1) |
871年〜876年(2) | |||
第4代大統領 | レテン・ウェストカーネリアン | 労働党 | 877年~878年(1) |
共和国 | (877年憲法) | ーーー | ーーー |
第4代大統領 | レテン・ウェストカーネリアン | 人民党 | 878年~882年(1) |
人民党・連合党 | 883年~888年(2) | ||
人民党・連合党 | 889年~894年(3) | ||
第5代大統領 | テンク・モスアゲート | 連合党・人民党 | 895年~900年(1) |
(不明瞭) | 901年~906年(2) | ||
(不明瞭) | 907年~912年(3) | ||
第6代大統領 | シジト・カーネリアン | 革新党 | 913年~918年(1) |
919年~924年(2) | |||
第7代大統領 | イルト・デマントイド | 人民党 | 925年~930年(1) |
931年~936年(2) | |||
第8代大統領 | クルト・ムトロライト | 革新党 | 937年~942年(1) |
943年~948年(2) | |||
第9代大統領 | ケンラ・アゲート | 人民党 | 949年~954年(1) |
955年~960年(2) | |||
第10代大統領 | トーネ・ユーファストーン | 連合党 | 961年~966年(1) |
967年~972年(2) | |||
973年~978年(3) | |||
第11代大統領 | テハネ・ヘリオトロープ | 連合党 | 979年~984年(1) |
985年~990年(2) | |||
第12代大統領 | ロシェニ・ツァボライト | 革新党 | 991年~996年(1) |
997年~1002年(2) | |||
第13代大統領 | トケン・コーサイト | 連合党・民主前進党 | 1003年~1008年(1) |
1009年~1014年(2) | |||
第14代大統領 | エルネ・モスアゲート | 連合党・民主前進党 | 1015年~1020年(1) |
(無大統領期) | (1020年政変) | 1021年~1135年 | |
(大統領制廃止) | (1135年憲法) | 1135年~ |
政治及び軍関係者
政治首脳陣及び閣僚
職名 | 氏名 | 英名 |
大統領 | レテン・ウェストカーネリアン | Rheten WestCarnelian |
中央処理委員長 | イェント・ユーファストーン | |
内務公安委員長 | ケレナ・コーサイト | |
軍部委員長 | ラリシ・アゲート | |
動力委員長 | テュルト・コーサイト | |
生産搬送配給委員長 | セルア・コーサイト | |
住環境委員長 | テンク・モスアゲート | |
研究設計委員長 | コーア・トリディマイト | |
技術委員長 | クケン・アメトリン | |
外交委員長 | トレア・カーネリアン |
政党
本項目は1020年の政変以前の内容である。
※PL注:この項目に含まれている「政策スライダー」はあくまでPLレベルのものであり、RP的な正当性を保証しない。「カルセドニーの民主ー独裁スライダーの値が9だからカルセドニーは独裁国家だ!」などとRP上で言われても対応できないことにはご理解いただきたい。また、このスライダーの値はあくまで相対値であり、「民主ー独裁スライダー10が世界のあらゆる国家より独裁的であることを示している」などと誤認識することは避けられたい。カルセドニーはあくまで民主主義国家であり、スライダーはその定義の範囲内での政策の差異を示しているに過ぎない。
※党内派閥の末尾の「(主)」は当該派閥が本記事更新現在当該政党の主流派であることを意味する。カルセドニー国内の政治情勢の変動によっては主流派が変化する可能性がある。
人民党(People’s Party)
民主独裁9、左派右派1、開放閉鎖10、自由計画10、タカハト7、介入孤立10
委員会社会主義を掲げる。現行憲法の制定に関わった政治勢力であるとともに最大の擁護者である。可能な限り完全な閉鎖社会の実現をその党是としており、共和国の経済体制の要求上必要な貿易こそ容認するが、それ以外の諸外国との経済的結びつきには一貫して不寛容である。また、計画経済の実現のためエリート官僚の権限を強化すべきという立場で、民間(厳密には「自主管理組織レベル」)の裁量権拡大には反対する。
外交政策についてはFUN主義を掲げるが、革新党のそれとは異なり「安全保障理事会を通じた加烈天三大国協調がフリューゲルの安定と共和国の独立に資する」という立場であり、総会は「安保理に席を得られない中小国のためのガス抜きの場であり、共和国が積極的にコミットする必要性はない」としている。
保守派(主)
委員会社会主義・閉鎖計画経済・ハト派孤立主義
877年改憲から1世紀、803年改憲からは2世紀近く続いている共和国の委員会社会主義体制を単に支持する保守的な派閥。国内世論が右傾化・民主化に動いていることに危機感こそ持っているが、委員会社会主義それ自体に対する信頼感が強いことの裏返しとして改革の必要性を感じてもいない。
左派
委員会社会主義・閉鎖計画経済・タカ派孤立主義
政界情勢の変化に漫然としている保守派に反発し、委員会社会主義を回復するためのより改革的(あるいは反動的)な手法を採用すべきであると考える派閥。委員会社会主義を「民主主義」を名乗る右翼から防衛しなければならないと考えており、そのためには手段を選ぶべきではないとする。
外交政策においてもかなり急進的で、右派独裁政権と化したガトーヴィチはもはや仮想敵国として扱うべきであると考えており、またFUN総会は安保理中心主義から廃止すべきであるとの立場をとる。
革新党(Party of Progress)
民主独裁8、左派右派2、開放閉鎖8、自由計画7、タカーハト4、介入ー孤立2
委員会社会主義を掲げるが、サンディカリストや社会民主主義者の一部の支持も取り込んでおり、社会主義の範囲であれば比較的柔軟な態度を取る。諸外国との経済交流の必要性については懐疑的であるが、自己目的化した計画経済のために民間経済に過剰な介入を求めるほどではない。
外交政策は強固なFUN主義であり、安全保障理事会と総会の双方を重要視する。近年は加烈天三大国協調と同盟国優先論の間にあっては中間的な立場であり、ケースバイケースの対応をしている。
委員会社会主義派
委員会社会主義・閉鎖計画経済・ハト派介入主義
人民党とのイデオロギー的なつながりを重視し、委員会社会主義をより強固に掲げる派閥。外交面においても加烈天協調を相対的に支持しており、連合党の同盟国優先外交を「国際社会の不安定化を招く」として嫌う。
国際主義派(主)
任意の社会主義・閉鎖計画経済・タカ派介入主義
人民党とのイデオロギー的類似性よりも外交政策面での対立性を重視する派閥。人民党との協力より外交政策面で類似する連合党の国連重視派との連携を優先する。連合党の同盟国優先外交自体はFUN主義と矛盾する場面もあるが、そうでない場面ではある程度理解を示す。
民主前進党(Party of Progressive Democracy)
民主独裁3、左派右派3、開放閉鎖4、自由計画6、タカハト5、介入孤立2
旧共和国・カルセドニー連合時代の社会民主党から進歩党を経て労働党に合流、877年改憲後の労働党の解散を受けて新たに成立した社会民主主義政党で、共和国の社会主義体制が「民主的な基盤に基づいていない」として批判する立場である。共和国は民主主義国家であるというのが一般的な理解である間は「過激派」扱いでまともに支持を得られなかったが、近年は支持を伸ばしつつある。経済政策は社会民主主義の立場から自由化は進めつつも行きすぎは批判する。
外交政策については革新党に近いが、民主主義を党是としているため反民主主義的な独裁体制には反発することがある。したがって反瓦政党である。
社会主義派(主)
社会民主主義・中間経済・タカ派介入主義
急進的な民主化が結果的に社会主義の「長所」である高福祉や労働者の高い地位に悪影響を与える可能性についても認識し、漸進的なアプローチをとるべきとする派閥。サンディカリストや自由主義者の一部とは連携するが、右派独裁については嫌悪しているため「右派独裁の誕生を許す可能性よりは現在の社会主義を支持する」という立場である。
民主主義派
社会民主主義・中間経済・タカ派介入主義
社民派とは逆に、現体制からの脱却を優先すべきであるとする派閥。共和国の一刻も早い民主化を訴えており、そのために自由主義者との全面的な連携を支持する。自由主義者の中で比較的権威主義的な右派勢力とも結びつくためサンディカリストには支持が広がっていない。
連合党(Party for Unions)
民主独裁7、左派右派3、開放閉鎖5、自由計画8、タカハト7、介入孤立6
労働組合を支持基盤とするサンディカリスト政党であったが、党勢が低迷していた間に党綱領からイデオロギー色を削除したため現在は「無色」の政党となっている。委員会社会主義者こそほとんど在籍していないものの、それ以外のあらゆる政治勢力が党内に混在しており党内は非常に混沌としている。「委員会社会主義体制の永続化を支持しない」という点では一致しているものの、委員会から権限を自主管理組織に移転すべきとするサンディカリストから完全な民主化・自由化を求める自由主義者まで存在するため改憲に向けた統一見解は未だに打ち出せていない。
外交政策はかつては社会主義国との関係協調を訴えていたが、SSPactとWTCOが別個の陣営として振舞う中で「国際社会主義路線」は放棄して同盟国中心外交を掲げるようになった。FUNに対する立場は「自国や同盟国の地位向上のため活用する」とする見解がほぼ広がっており、かつてのような懐疑主義はあまり見られない。また、連合党内では派閥と外交政策に対する態度がリンクしておらず、国連重視派と同盟国重視派それぞれが各派閥に混在した状態である。
サンディカリスト(主)
サンディカリスム・計画経済
党是から排除したとはいえ、サンディカリストは連合党内では変わらず最大派閥である。しかしながら、サンディカリストは長年有力な指導者に恵まれず結果的に他の少数派閥に従属した状態が続いてきた。サンディカリストは現行憲法に対する批判がそこまで強くないため、選挙の雰囲気次第では人民党や革新党に投票することもある日和見勢力からの集票が必要であることも派閥の不安定化を招いている。
自由主義派
自由主義・開放自由経済
社会主義憲法の廃止を求める自由主義派閥。民主主義の実現を建前としては掲げているが、社会主義体制の終焉を優先しており、権威主義的な体制への敵対心は比較的薄い。
右派
中道右派・開放経済
「右派」と名乗ってこそいるが、各種社会主義のどれにも明確な支持を示さない一方で共和国の「民主化」に対しても懐疑的な層全体を包含する派閥。社会主義者でも民主主義者でもないという点で「中道」と呼ばれるが、実態としては「非イデオロギー的権威主義」に近い。イデオロギーに対しては明確な態度を示さないが、現行の社会経済体制を継続すべきとは考える立場である。
国連重視派
ハト派・中間派
“比較的”FUNを重視する派閥。加烈天協調の場としてFUNを捉える人民党とも、国際協調のためのフォーラムとして捉える革新党とも違い「自国や同盟国の国益確保のためのフィールド」としてFUNを認識している。
同盟国重視派(主)
WTCOやSLCNの枠組み内での外交を最優先し、域外国との関係には(域外国を両組織に招請する以外では)あまり興味を持たない派閥。社会の自由化を進めた結果民間レベル(繰り返すが、正確には「自主管理組織レベル」)でのでの交流が活発化するという副産物はあるが、外交政策としては同盟国の発展・同盟の地位向上を目指している。
南の風(Southern Wind)
民主独裁7、左派右派7、開放閉鎖7、自由計画5、タカハト5、介入孤立4
ガーネット州の自主管理組織を横断する組織である「南の風」が母体となって結成した政党。連合党が社会主義を綱領から外す前は唯一社会主義を支持しない国政政党であった。委員会の異なる自主管理組織同士の横のつながりは長年規制されており本土での支持拡大は期待できなかったが、連合党政権がこの規制を撤廃してからは本土への進出を始めている。アイサ系・セビーリャ系・ヴァノミス系少数民族の民族政党としての側面もある。
南の風は外交政策を明示的に示すことはほとんどないため、この点についてははっきりしない。ただ、フリューゲル中央銀行総裁に党権威主義派系の人物が任命されたことがあるなど、「経済外交」については積極的に支持する立場をとったこともある。
権威主義派(主)
国家社会主義・閉鎖計画経済
統制派と呼ばれたこともある。南の風の中で閉鎖社会・計画経済を比較的支持する派閥。純粋なイデオロギー面以外では社会主義者とほとんど政策的に差がないともいわれており、連合党右派などの「中道系」勢力とはかなり良好な関係にある(南の風権威主義派と委員会社会主義の双方の中間的な立場をとっている、というのが「中道」の由来でもある)。
国家社会主義者を名乗っているが、これは「社会主義」を名乗ることで国内での評判悪化を防ぐという目的が強い。ファシズムは国内では嫌われているため「ファシズム」を名乗ることはない。
自由主義派
自由主義・開放自由経済
南の風の中で開放社会・自由経済を支持する派閥。連合党の自由主義派とは近い立場にあるが、共和国の「民主化」を訴えるような勢力ではない。
地理
地勢・気候
カルセドニー国土は地理的名称としては「カルセドニー諸島」と呼ばれる。カルセドニー諸島は最大島であるカルセドニー島と、南西部のガーネット諸島、南東部のパイロープ島から構成される。国土は全体としてフリューゲル北半球の低緯度〜中緯度地帯に位置しており、北部から中部にかけては温帯気候、南部は熱帯に属する。カルセドニー島は大地系としては古期造山帯〜安定陸塊に属し、大規模な山岳地帯は存在しない。パイロープ島も地形としてはカルセドニー島と同等であり、比較的低平な地形が続く。一方、ガーネット諸島は新期造山帯に属する火山列島であり(旧共和国時代の資料では人工島と書かれているが、これは黒歴史であり触れてはならない)、諸島の大半は山岳地形のため居住可能な平野面積はかなり狭い。
カルセドニー島
カルセドニー島の最高峰はアゲート山脈最西端のクリソプレーズ山(1762m)であり、アゲート山脈は東方に向かうほど次第に低くなっていく。アゲート山脈は東方に向かうほど次第に低くなっていき、アゲート州ジャスパー市付近で山脈はほぼ消滅するが、このアゲート山脈を境に、カルセドニー島の国土は南北に二分される。
アゲート山脈の北側には広大な北カルセドニー平原が広がり、西部から内陸にかけては温暖湿潤気候、北岸には西岸海洋性気候に属する。カルセドニー北岸沖には寒流が流れており、北岸の気候が比較的冷涼なのは単純な緯度の問題に加えこの寒流の働きが大きい。
アゲート山脈の南側には高温多湿な亜熱帯〜熱帯地域が広がる。カルセドニー島入植地時代にはこの地域への入植はその気候のため困難を極め、現在でも北側と比べると人口はやや少ない。最南端のエラキス州は熱帯モンスーン気候に属しているとされ、年中かなりの高温を維持する。
アゲート山脈の東側、東ジャスパー準州には共和国最大の河川であるジャスパー川が流れており、その流域には広大な照葉樹林が広がっているが、自然保護のため開発が制限されており人口は希薄である。カルセドニー東岸には暖流が流れており、この地帯や南東部の降水はこの暖流によるものが大きい。
ガーネット諸島
ガーネット諸島は先述した通り新期造山帯に属する火山列島であり、クリソプレーズ市南方のアルマンディン島、共和国の南西端である諸島最大島のスペサルタイト島、諸島北端に位置しかつてグロッシュラーライト北島があった海域に面するグロッシュラーライト島、エラキス州に近いウバロバイト島の4島により構成されている。
ガーネット諸島は南西から夏季に吹く季節風の影響できわめて多雨であるが、外洋に面した3島に比べてアルマンディン島は比較的降水量が少ない。冬季は年により季節風の風向が異なり、スペサルタイト島南部などでは年中きわめて高温多雨になることもある。このため、一般的には熱帯モンスーン気候に分類されるガーネット諸島であるが、熱帯雨林気候に分類する説もある。
行政区画

連邦共和国時代は名目上連邦の構成区画であった州を現制度のもとでも地方区分として引き継いでいるが、現憲法は地域主義に対する明確な否定を掲げており、州を単位として与えられる政治的権利は上院に対する各州1名の議席割り当てを除くと皆無に等しい。州はもはや「地域区分」としての便宜上の役割しか有しておらず、「州政府」に相当する機関は廃止された。現憲法下で地方自治はほぼ全く存在せず、市民の基礎的な所属コミュニティは連邦共和国時代に比べて一層自主管理基礎組織に一元化されている。したがって、行政区画としての州はもはや存在しないと言ってよいが、歴史的な経緯や便宜的な理由から州について触れられることになる。
ウェスタンカルセドニー州
5市からなる。南東に隣接するクリソプレーズ特別市を含むこの地域は、カルセドニー島入植の起点となった地域であり、歴史地区があちこちに広がる伝統ある地域であるとともに、共和国最大の港湾を有する経済の中心地である。エライ州への商品供給など共和国北部の物流はほぼこの地域を起点としている。かつてはグロッシュラーライト北島をその領域に含んでいたが、島が海没処分されたため面積は小さくなった。
経済中心地というその性質上、社会主義思想の浸透は遅く、カルセドニー革命に際しては最後まで旧共和国大統領府を支持した。764年の開国後も進歩党・共和党の支持基盤であったが、803年改憲以降両党が国政における勢力を失うと次第に労働党<国際主義派>が支持を集めるようになり、現在も<国際主義派>を引き継ぐ革新党の支持基盤となっている。
エライ州
西から順にムトロライト、アメシスト、アメトリン、シトリンの4市からなる。国内で最も気候が冷涼であり、それを利用した短期滞在の観光地化が進んでいる。北側のエライ海に面しているが、州内に港湾が存在しないことから物流はもっぱらウェスタンカルセドニー州からの輸入に頼っており、国外との交流も不活発である。
カルセドニー革命に際しては、革命の起点であったブラッドストーン市から遠く離れていたこともあり、最後まで旧共和国大統領府の支配下に置かれていた地域であるが、連合支持派と旧共和国支持派が小競り合いを繰り返していたとされ、ウェスタンカルセドニー州よりは左派の勢力が革命当初から大きかった。近年は労働党<孤立主義派>の支持基盤としてほとんど固まっており、現在も人民党を支持する市民が多数派である。
アゲート州
北から順にアゲート、ジャスパー、モスアゲートの3市からなる。南東部のわずかな部分を除きほぼ海に面していない地域であり、共和国内では対外交流が最も少ない。エライ州では「国外に関心がない」住民が多いのに対し、アゲート州はむしろ「排外的」であると言っていい立場をとる住民が多く、留学生などの例外的なカルセドニー国内に長期滞在する外国人もアゲート州に足を踏み入れることは滅多にない。
伝統的に左派の支持基盤であり、カルセドニー島入植地時代にアゲート反乱が発生したことでも知られる。764年の開国以降も労働党が強い支持基盤としており、旧共和国時代は社会民主党の支持基盤であったことから、後継政党の進歩党も勢力を有していたが、進歩党自体の党勢が低迷したため労働党<孤立主義派>がほぼ完全に州内の支持を獲得するに至った。現在も人民党を支持する市民が多数派である。
エラキス州
西からブラッドストーン、トリディマイト、ヘリオトロープ、ユーファストーンの4市からなる。
ガーネット州
アルマンディン島のモリオン市、スペサルタイト島の(もっとも本土寄りのツァボライト市から時計回りに)ツァボライト、カロベニス、デマントイド、コロンハルスの4市、グロッシュラーライト島のルシエンテス市、ウバロバイト島のへファイストス市の計7市からなる。
クリソプレーズ市
クリストバライト市
東ジャスパー準州
文化
教育
全ての国民は出生から14歳までの間“少市民”と呼ばれ、この年齢までが初等教育にあてられる。初等教育は全員基本的に同様のもので、住環境委員会が担当しているが、中等教育からは全ての国民がいずれかの専門委員会に割り当てられ、20歳前後までその専門委員会のもとで中等・高等教育を受ける。教育課程の終了後はその専門委員会に属する自主管理連合組織に就職することになる。
このようなカルセドニー国内の教育の特性から、カルセドニー国内の大学はいわゆる「文部科学省」のような組織に属するわけではなく、各専門委員会に直属する形となっている。
食事
連合時代は食料をほぼ聖樹生産に頼っており、今でも特定国からの輸入に大きく依存しているため、国内で供給される食料は全域でほぼ似通っている。“フードバット(食料樽)”と呼ばれる食料槽に入れられた食料を生産搬送配給委員会が配給しており、これが市民の最低限の食事として提供されている。これ以外の食料はすべて嗜好品扱いされており、市場で取引されている。BBBと呼ばれる清涼飲料が有名であり、その爽やかな味わいは連合内で非常に高い人気を有している。
近年は中夏・セビーリャから食料を輸入していることもあり、国内で最も人気のある食事は中夏料理であり、セビーリャ系の料理がそれに続いている。中夏人民共和国の滅亡後は中夏料理の食材が手に入りづらくなったが、国内での人気は根強いことからセビーリャから輸入した食材を中夏風に料理するケースも多い。
1177年加筆:現在の食料輸入国はセニオリス・セビーリャ・セリティヌムのいわゆる「3セ」及びラ・フローリドである。中夏の滅亡後の食料輸入国はほとんどが欧系のため、食生活の欧風化が進んでいるとされる。熱狂的な中夏料理ファンはウェイパーが手に入るかどうかをいつも気にしている。なお、「フードバット」の市民の最低限の配給食としての支給は法制度上は現在も維持されているが、実際には国内が連合時代と比べてはるかに豊かになったために、ほとんどの市民が外国産の「真っ当な」食事にアクセスできている。フードバットについては都市伝説の範囲内の存在となっており、食料輸入国からの心証を考慮して「マズメシ伝説」について否定的な態度を取るものも多い。
娯楽
国民の娯楽はすべて住環境委員会がこれを提供している。連合時代の労働党の方針により、全ての家庭にテレスクリーン(一般的には“テレビ”と呼ばれるものとほぼ同様)が無償配布され、愉快なビデオショーが提供されている。テレスクリーンはビデオショーの提供のほかにメールやテレビ電話などの通信機能も備えており、その都合上カメラが付属している。
宗教
連合時代の労働党の方針で、宗教的な要素は町からは排除されている。自宅内で宗教的な活動を個人的に行うことは禁止されていないが、特定の宗教者が大規模な集会をすることは内務公安委員会の興味を引くことになる。開国後もセビーリャ系十字教徒は危険分子として当局に監視されていることが多かったが、ガーネット州に対して中央政府の統制が行き届かなくなったため同地に限ってはかなり大っぴらに宗教団体が活動している。
国内で最大の宗教勢力はいわゆる「氏族信仰」が連合時代の地下活動で変容したことで成立したルナ教であり、人口の40%弱が信仰しているとされる。また、それとほぼ同程度の数の「無宗教者」(たいてい熱烈な社会主義者である)が存在しており、この両者が2大勢力をなしている。
少数派の宗教としてはかつてはゾロアスター教徒が多かったが、エーラーン教皇国の滅亡後その信者数は減少の一途をたどっており、鎖国期には十字教徒の方が数が多くなり、さらに近年成立した量子コンピューターCDXとそれを端緒とする理性を崇拝するとされる「CDX教」が国内で勢力を拡大しており、既にゾロアスター教を上回り、十字教に匹敵する数の信徒を獲得している。エーラーン教皇国が一時的に復活した時期にはゾロアスター教の復権が見られたが、エーラーン自体同様そのブームは一瞬で過ぎ去った。
構成民族
国民の大半は旧連邦出身者の子孫であるパーム系民族で占められている。旧連合時代にカルセドニー島内の民族純化政策が行われ、セビーリャ系・ヴァノミス系を中心とした旧共和国時代に難民として流入したフリューゲル他地域からの移民はほとんどがガーネット諸島に強制移住された。連邦共和国時代も本土の閉鎖政策は維持されており、留学生や専門職従事者などのごくわずかな例外を除いてカルセドニー島内に移民は受け入れておらず、この状況はほとんど変わっていない。
ガーネット諸島は上記の強制移住の結果セビーリャ系・ヴァノミス系が人口の大半を占めるに至っており、ここに旧世界、旧連邦時代末期の属領であったエーリック島系の民族であるトウガ系/アイサ語系民族が連合時代後期に流入し(エーリック系住民が5大氏族最後の生き残りであるロニアに率いられて“ルヴァース”と称される別の惑星を経由してフリューゲルに到達したという伝説が残っている)、カルセドニー島とは著しく異なった多様な民族構成を成している。
1177年加筆:ガーネット諸島内は少数派のアイサ系が多数派のセビーリャ系・ヴァノミス系を支配するという構図が「南の風」の成立以降長く続いていたが、南の風の解体以降次第にセビーリャ系の抑えが効かなくなっており、民族主義的な勢力が州内で力を増しつつある。
軍事
カルセドニー軍は歴史的に陸空軍偏重の装備体系を採用していることで知られる。
陸軍
空軍
海軍
海賊船対策や油田爆発事故に際しての消火活動などを任務とした小艦艇を大量に配備している。エライ海岸に面した北方の第1艦隊、ガーネット諸島の警備を主任務とした第2艦隊、パイロープ島海軍基地を根拠地とする第3艦隊及び、首都防衛を任務とした小規模な第4艦隊を有しているという点は旧共和国時代から変化していない。しかしながら、第2艦隊はガーネット州住民との結びつきが極めて強くなった結果中央から敬遠されており、最新装備から1段階型落ちとなる装備しか与えられないことも多くなっている。主力装備は旧連邦時代に設計されたパラス級コルベット及びエウロパ級フリゲートの両種であり、両艦艇ともマイナーアップデートを繰り返しながら500年以上に渡って建造され続けている。1160年代に新たにミサイル防衛を任務とした大型艦艇であるCLM-001級沿岸ミサイル巡洋艦が第1・第3艦隊に配備された。
パラス級コルベット

排水量 | 700トン |
全長 | 62.3m |
全幅 | 9.3m |
速力 | 37ノット |
兵装 | 76mm速射砲×1、40mm機銃×2、6連装ミサイル発射筒×1 |
艦載機 | なし |
エウロパ級フリゲート

排水量 | 2500トン |
全長 | 113m |
全幅 | 13.1m |
速力 | 29ノット |
兵装 | 76mm速射砲×1、40mm機銃×2、8連装ミサイル発射筒×1 |
艦載機 | ヘリコプター×1機 |
CLM-101級沿岸ミサイル巡洋艦

排水量 | 11,000トン |
全長 | 180 m |
全幅 | 19m |
速力 | 32ノット |
兵装 | 130mm速射砲×1、30mm機銃×1、対艦ミサイル発射筒×2、対空ミサイル発射筒×1 |
艦載機 | ヘリコプター×2機 |
国際情勢の緊迫化によってミサイル防衛能力向上の必要性が唱えられるようになったことを受けて、1163年に3隻が建造されたミサイル巡洋艦。革命以後初めての海軍艦艇の新設計となったため、様々な実験的要素が詰め込まれている。また、本艦級は外洋での運用を想定していないことから、「沿岸ミサイル巡洋艦(Littoral Missile Cruiser: CLM)」という艦種が新たに創設された。
カルセドニー海軍史上最大級の艦艇であることから、艦名の命名基準について激しい議論が行われた。レンデ・アゲートをはじめとする社会主義英雄の名前を付けるべきであるというアイデアは「将来的に外洋海軍を創設する際に取っておくべき」という理由で退けられ、軍人の名前を付ける案は「陸軍軍人の名前を付けることは望ましくなく、海軍軍人だけでは著名な軍人の数が足りない」という理由で、海軍関係で功績があった政治家の名前は「これまで徹底的に軽視されてきた海軍に対して功績のあったと言える政治家の不在」により、地名を付けることは「地域主義を刺激する」との理由から、抽象的な形容詞の採用は「適切な形容詞の選定が困難」との判断から、それぞれ見送られた。結果的に、建造計画中において採用されていた艦番号がそのまま正式名称として採用される結果となっている。
1番艦である《CLM-101》は1170年1月下旬に座礁により喪失したが、代艦の建造めどは立っていない。
艦名 | 所属 | 就役 | 現状 |
CLM-101 | 第3艦隊 | 1163年2月初旬 | オビキュラー海軍基地に配備、1170年1月下旬、座礁により喪失 |
CLM-102 | 第1艦隊 | 1163年2月中旬 | アクアオーラ海軍基地に配備 |
CLM-103 | 第3艦隊 | 1163年2月下旬 | パイロープ島海軍基地に配備 |
諸国との関係
877年現在
FUNを中心に、SLCNとWTCOの2軸外交を掲げている。SLCNによりストリーダ王国、フェネグリーク帝国、ローレル共和国、カタルシア王国と軍事同盟関係にあり、WTCOによりガトーヴィチ民主帝国、ギルガルド社会主義共和国、ローレル共和国と経済協力関係にある。SLCN、WTCO双方に加盟しているローレル共和国を最友好国と位置付けており、FUN中心主義からSLCNやWTCOの重要性を低く見る政党もこの点については異論がない。
FUNを重視する党派はいわゆる「三大国」として、FUNの同盟理事国であるレゴリス帝国、ヘルトジブリール社会主義共和国の両国との関係を重視しており、SLCN及びWTCOを重視する党派は両組織の加盟国の中で国連へのコミットメントが大きいガトーヴィチ民主帝国との関係を比較的重視する。ただ、選挙ごとに「サイコロを振るように」政権党が変わるガトーヴィチとの本格的な関係強化は、特に国内世論の同国極右政党帝国発展党への警戒感からなかなか進んでいないのが現状であり、「同盟重視」の各党も事実上「ガトーヴィチよりヘルトジブリールとの関係の方が重要性が高い」という立場を取らざるを得ない。こうした状況や、SSPactとWTCOに存在する協力関係からSSPactとの関係性は重視しており、特にヘルトジブリール・ギルガルド両国とは経済協定を結んでいる。
その他の中小国との関係はさほど強くないが、貴重な石材輸出国であることを背景としてライン共和国との経済関係は比較的強く、普蘭ライン危機の際にはカルセドニーが普蘭との関係を悪化させる主因となった。カルセドニー島共和国時代は途上国へ積極的に大規模支援を行っていたが、現在はそのような方針は国内で支持されておらず、支援はほとんど行われていないが、結果として途上国との経済関係構築に失敗しているとの指摘もある。
普蘭ライン危機以降鎖国体制にある普蘭合衆国への警戒意識は国内に根強く、SLCNも事実上普蘭ライン危機によって明らかになった普蘭合衆国とストリーダ王国の間の対立を背景にしたものであると言える。ただ、普蘭合衆国はレゴリス・ロムレー両国との同盟関係にあり同国との全面的な対立は世界大戦を招きかねないとの指摘から、烈路両国との関係維持・向上を含めた陣営横断外交によりそのような事態を回避すべきとの姿勢が国内では広く支持されている。
971年現在
FUNを中心に、SLCN・WTCOをそれぞれ安全保障・経済の柱とする方針は877年時点から不変であるが、ストリーダ・フェネグリーク・カタルシア・ローレルといった877年当時のSLCN加盟国はすべて滅亡し、代わって復活した御岳大社領御岳山諸島、新興のリブル民主主義人民共和国、数百年ぶりにフリューゲルの表舞台に復帰した大石動帝国の3ヶ国を加えている。WTCOはSLCN加盟国に加え右派体制に変革した神聖ガトーヴィチ帝国や石動とのつながりで加盟した秋津国天照院幕府の計6ヶ国が加盟しており、これらの国々との関係を最重要視している。スチャワ条約によって片務的な防衛義務を負う代わりに燃料の安価な提供を受けている民族自治軍管区ハルィチナーとの関係向上も期待されている。
FUN絶対主義的な視点は連合党の復権によって失われつつあるが、連合党内でも「FUNなしでやっていける」と考える勢力はもはやほぼおらず、「共和国や同盟国の安全保障や国際社会における地位向上のためにはFUNを活用すべき」という状態に落ち着いている。石動の安保理一般理事国入りなどは「連合党のFUN外交」の1つであると言えよう。
ヘルトジブリールとの貿易額縮小や人民党の勢力衰退とともに、同盟国との関係以上に烈天との関係を重視することはもはやないが、両国との関係性がフリューゲルの平和と安定に不可欠であるとの立場は崩していない。ガトーヴィチとの関係強化は棚上げにされ続けたまま同国が「神聖化」してしまい、それ以降は国内世論が右派独裁的な同国現体制に対して反発を強めているために実現が困難な状態である。
1177年現在
FUNを中心としているが、現在はWTCOはかなり軽視されるようになった。実質的にリブルにロムレー・セビーリャを加えたSLCNと、「SLCN=レゴリス覚書」によって事実上の同盟国となったレゴリス帝国を同盟国として認知し、これらの国との関係を第一、SSPactやBCATといった「友好的他陣営」との関係を第二としている。新興同盟であるKPOを「友好的他陣営」に含めるべきという声もないわけではないが、現時点では扱いはSSPactやBCATに比べると一段低いと言える。BCATについては、設立当初は反FUN的な姿勢を見せていたこともあってある程度警戒姿勢を有していたが、普蘭合衆国の滅亡以降は対立リスクについてはあまり重要視されなくなっている。
長年外交委員長ポストを親セリティヌム的・反ルクスマグナ的な台形派が押さえていることもあり、ルクスマグナに対する警戒感がやや過剰傾向にある。同国がイレギュラーを打ち上げたこともこの傾向に拍車をかけており、近年の外交委員会は強迫的な「ルクスマグナ軍事的脅威論」が蔓延っている。一方で、同国に本質的には他害的な傾向がないと判断して共存路線を取るべきであると考える政治勢力も存在しているが、外交委員会内で主導的な地位を得るには至っていない。
1177年時点の各国に対する寸評(RP上に反映されるものではありません)
国名 | 国交 | 寸評 |
トータエ社会主義人民共和国 | 〇 | フリューゲルの未来。上位国からの圧力に負けずに活躍してほしい。 |
レゴリス帝国 | 〇 | 長年仮想的扱いしてきたが、今や同盟国である。時代は変わるものだ。 |
神聖ガトーヴィチ帝国 | 〇 | 実は、どの辺が「神聖」なのかあまりよく分かっていない。 |
ルーンレシア帝国 | 〇 | 皇帝陛下に対する敬意はフリューゲルのあらゆる君主国の中でも一二を争う。 |
新州府共和国 | 〇 | あまり表舞台に出てこなくなってしまったが、銀10で安定しているのはすごい。 |
セリティヌム連邦 | 〇 | ローマ帝国になる日をガーネット州のセビーリャ人は首を長くして待っている。 |
ヴェールヌイ社会主義共和国 | 〇 | カルセドニー人が「畏怖」している国家を挙げろと言われたら別府が挙がる。 |
ロシジュア帝聖平和ドミニウム | 〇 | ロシジュアンピクチャー、あらゆるイラストの中で一番好き。もっと描いて。 |
レゲロ社会主義人民共和国 | 〇 | フリューゲルに何かを起こしてくれることを期待したい国の1つ。 |
クラカス聖王冠領 | 記録紛失 | 復帰……してくれないのかな……。 |
昭栄国 | 〇 | 表には出てこないが、フリューゲルの食料安全保障の屋台骨の1本。 |
セビーリャ責任国 | 〇 | リズセに引き裂かれて数百年、ついに同盟国になった。 |
ヘルトジブリール社会主義共和国 | 〇 | Twitter上でもSlack上でもほとんど見かけない。お元気ですか。 |
ラ・フローリド共和国 | 〇 | 一人飯を煽られたことはカルセドニー人の恨みノートに刻まれたのであった。 |
ロムレー湖畔共和国 | 〇 | 正直、もう一回外交の表舞台に出てきてほしいと思っているが言えない。 |
民族自治軍管区ハルィチナー | 〇 | とんでもない経験値のため込み方をしたミサイル基地が並び立っている。 |
リブル民主共和国 | 〇 | いつの間にか持つ撃つ勝つの精神はSLCNの基本方針に採用されたらしい。 |
ホクリクホーム | × | トータエの植民地。会話したことがないのであまり何も書けない。 |
カドレン共和国 | 〇 | 燃料と木材をフリューゲルに大量に供給してくれる国、実は非常にありがたい。 |
ハチミツ国 | 〇 | 名前はハチミツだが工業国。ちゃんと特化していてありがたい。 |
セニオリス連邦 | 〇 | 超越が加速し過ぎている気配がする。ちょっと心配。 |
ルクスマグナ共和合衆皇国 | 〇 | 軍事的脅威、半分はネタなので安心してほしい。もう半分はどうなのかって? |
ノエシタ社会主義共和国連邦 | 〇 | あまり表に出てこないのもったいない気がする。スラヴ主義とか掲げてみよう。 |
イスタシア自治領 | 〇 | 復活したの実はけっこう感動していたりする。独立したら国連入ろうね。 |
タンファ王国 | 〇 | タンファがどこまで強国化するのか、楽しみにしています。 |
ノイエクルス自由国 | 〇 | 偉大なる管理人にしてぼーはこ民の太陽。SlackのDMに返事してください。 |
ピシア共和国 | 記録紛失 | 近年かなり内政が不安定な様子で不安である。貴重な鋼鉄生産国なので期待。 |
南瓜共和国 | ノ連経由 | どうか、鉱産資源を、フリューゲルに、放出して、ください……。 |
御岳山諸島 | ー | かつての最重要同盟国。これからがどうなるのかはルーレット次第っぽい。 |