2015/03/02 1:57:31
578年8月、石動第三帝国は大幹帝国尹阜善首相の提案を受け、ノイエクルス連邦との関係改善為の調停に承諾した。我が国からは佐々木道興外務卿がこれに参加した。
我国は一貫して
・94期(約二年間)に渡る貿易申請の「明らかな無視」
・鋼鉄取引の拒否
これら二点を強く非難し、ノイエクルスに自省を強く求めた。(これらの経緯の詳細は「国家主義と臣民」バックナンバーを参照[url=http://tanstafl.sakura.ne.jp/modules/popnupblog/index.php?postid=1927]Your text to link here…[/url])が、ノイエクルス側は依然として一欠片の謝意も見せぬ傲岸尊大な態度を取った。調停はすぐに失敗に終わり、佐々木外務卿は兼ねてからの計画通り「CAME・OTOの脱退」を申請したが、ノ連は「脱退という野蛮な前例を作りたくない」などという身勝手な理由でこれに反対。オセアニカ経済協定第八条・オセアニカ条約第九条は脱退に「全加盟国の賛成」が必要などという非常に拘束的な条件が記されていたため、この時点で正攻法では脱退が不可能となった。
佐々木外務卿は「ノイエクルスの態度はオセアニカ経済協定追加協定第一条に、また大幹帝国を除くOTO加盟国の南北動乱に対する対応がオセアニカ条約に反している」とし、「[b][color=EF2929]これら二つの条約はもはや死文化しているため、これを破棄する[/color][/b]」と通達した。
これにより我が石動第三帝国はCAMEなどという凋落の一途を辿る閉塞的機関から脱退し、障壁となっていた法外なCAMEレートから解放され、生存の道を勝ち取ることができたのである。