2014/04/01 9:17:27
天安8年(522年)11月16日、石動亡命政府の神凪宮皇帝陛下が食道ガンにより崩御なされた。石動亡命政府は太宗39年(483年)12月、北幹(香麗民主連邦)の工作員による原発テロで国土を放棄して以来、在幹石動人を中心に構成されており、オセアニカ・アースガルド戦争では「石動義勇軍」を組織して旧大幹帝国軍と共に戦った。
在幹石動人社会には大きな悲しみが広がり、特に神凪宮陛下の妹君であらせられる伊勢宮皇后陛下は悲しみに堪えられないご様子であった。
幹国政府は3日間の服喪を決定し、22日に行われた大喪の礼には石動皇族・公家・武家の他、幹国皇室・両班・鄭会昌首相以下閣僚が出席し、在幹石動人以外に多くの幹国人が足を運び最後の別れを偲んだ。
また、幹国皇室は神凪宮陛下に「光宗」の廟号を送られた。
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【社会】忠臣高野直総統閣下殉死される
11月17日、石動亡命政府代表の高野直総統閣下が自宅で拳銃自殺されたことが分かった。神凪宮陛下へ殉死したものとみられる。
高野総統は石動第二帝国建国時の菜良島奪還戦争において天理教国軍を各地で殲滅した英雄で、総統就任後はEC(東方共同体)の中心として東方の平和に努め、中夏の暴虐に立ち向かい、龍鮮戦争では共に共産勢力と戦った。
幹国亡命後、故姜英哲首相(当時)の弟、姜命哲氏と結婚し高野翼(姜翼)という一人娘を儲けていた。
オセアニカ・アースガルド戦争では亡命政府を代表してアクアマリン王国以下侵略連合国に宣戦布告し在幹石動人を指揮する勇姿は幹国民にも勇気を与えた。
誠の忠臣、高野総統の葬儀は神凪宮陛下の大葬の翌日、23日に行われ、全国に設けられた献花台には花を手向ける行列は途絶えることがなかったという。
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【社会】第一皇女後明日香宮殿下、石動帝国第五代皇帝に即位
23日、第一皇女後明日香宮殿下(510年11月2日生)が石動帝国第五代皇帝に即位された。
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龍鮮日報 第四十九号 天安8年11月25日発行