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大昭通信社 【政治】騒乱発生から新内閣発足までの顛末

2013/08/17 19:42:00

485年2月に北部の主要都市金園郊外で発生した騒乱は政界に衝撃を与えた。

以前より社会保障の整備や貧困の解消、そして民主化を求めてきた諸団体に対して銘政権は一貫して国家保安法に基づく解散処分などの強硬手段を用いて対応してきた。しかし、その方策も最早通じないほどに大衆運動は拡大し、結果大規模な騒乱を防ぐことはできなかった。
この一報を聞いた銘首相は当初は続投の方針で、国家保安本部長官の交代と 社会保障整備における一定程度の譲歩で安定化を図ろうとするが、一部閣僚や参事会からは責任を追及する声があがったため、銘首相は皇帝陛下の再度の信任を得ることを画策し参内するも、陛下の事態に対する認識は非常に重く、首相は信任を得られず総辞職やむなしとなった。
後任には続投反対の急先鋒で、以前より民主化の必要性を訴え、独立派と言われてきた該前外交長官の名が挙がり、参事会の多数の支持も得たことから参内し、陛下から首相に任命された。該新内閣は強硬保守派とみられ前首相とも近い商務長官や国家保安本部長官らを交代させ、即日発足した。

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