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その時、管理者達は

リント第九区域、地下四階。

コンクリートと鋼鉄に閉ざされた情報局中央管制室は、夜の深さと無関係に静かだった。ここに“昼夜”は存在しない。存在するのは、情報と作戦計画だけ。

「第六集団から報告。S-4−15――追跡対象が再び交信を試みました。今度は、アウスタ近郊の公立大学のサーバーを経由しています」
「確認済み。記録媒体の受け渡しを準備している模様。第三者が動いている可能性も」

暗号化された通信ログには、断片的ながら“選挙干渉”に言及する単語があった。
公的には存在しない作戦コード「深層整地」が含まれている。
これは、選挙前に一部野党系候補に対して匿名で資金提供を行い、分裂を誘導する裏工作の名だ。

その動きが表に出れば、「民主主義」を装った“安定”の構造そのものが揺らぐ。

「副長、対応を?」
「警察に先手を打たれる前に、こちらで封じる。行動に出た警官は?」

「統制課のグリム。36歳。元陸軍第32特殊連隊長。二年前に表の公安部から内部監査部門へ異動。捜査適性は高く、情報局との直接的接触歴はなし」

「捜査官の周囲は?」

「過去に交際していた人物が2名。うち1名は現在、社民党系NGOに勤務。そこにS-4−15との接点がある可能性があります」

第三集団副長は一瞬、目を細めただけで結論を出した。

「個人的動機による逸脱に分類して動け。彼は正義感から独断専行したと公式記録に残せ。実行は第八集団に任せる。自白誘導は第三課が行う」

部下はすぐに応じる。


【某所警察署 地下拘留室】
午後10時42分。

統制課の捜査官グリムは、机の前に座らされていた。
向かいには、情報局の監察官を名乗る男。階級も所属も伏せたまま、ただ静かに問い続けていた。

「なぜ、お前はそのファイルを持ち出した?」

「国のためだ。これは国家犯罪だ。選挙は操作されていた。あれは民主主義じゃない、帝国の恥ではないか」

「君の仕事は真実を明らかにすることではない。秩序を守ることだ」

「これが秩序か?」

男は無表情のまま言った。

「秩序とは、“国民が信じるべき形”を維持することだろう?信じたい者には、信じられる体制が必要だ。君のように、見えてはならないものを見ようとする人間は、例外だがね」

拘留室の記録装置は、30分前から“故障中”となっていた。
その後、グリムが署内で軽度の錯乱状態に陥り、自主的に職務放棄届を提出。即日、停職処分。
翌週、彼の家族は国外移住を申請。何の妨害もなく認可された。

【リント第九区域 地下四階】
作戦完了報告が静かに読み上げられた。

「S-4−15は国外逃亡中。情報提供者の身元は分断。重要ファイルは回収。信頼されるメディアに“偽造文書”としての先行報道を流しました。世論は懐疑的になっており………」

「よし。次に備えろ。これはまだ始まりに過ぎない」

第三集団副長は、手元の報告ファイルを閉じ、ひとつの言葉を口にした。

「帝国の盾とは、かくあるべし」


選挙は終わった。
報道は保守党の勝利を淡々と伝えた。国民は次第に日常へ戻っていった。

だが、政治の裏で動いていた者たちは、今日も名を持たないまま、秩序を保っていた。
必要なのは正義ではない。壊れていないと思わせる日常なのだから。

【ある日のリント第九区域 地下四階】

選挙工作の報告はすでに終わり、室内は端末の発光だけが静かに踊っていた。

「S-4−15、確認不能。国外への経路は三つ、全て偽名。正確な追跡は困難です」
「だが、発信記録は残った」
「ええ……ただ、問題があります」

暗号班の若手が端末のログを指差した。そこには、見慣れぬタグが含まれていた。

「何だこれは?」
「解析中です。どうやら……我々の記録より“わずかに先を知っている”ような信号です」
「未来予測か?」
「それにしては雑です。AIが書いたようなしかし人間が選択したような……。だが、誰の選択かは……判別不能です」

副長は一瞬黙り込み、眼鏡の奥でそのログを見つめた。

「……記録には残すな。削除もしない。箱に入れて、鍵をかけておけ」
「保管ラベルは?」
「“錯誤性介入”――でいい。誰も意味は訊いてこないだろう」

その夜、情報局の一部で小さな噂が流れた。
「すべてが予定通りだったはずなのに、選挙結果の一部が妙に“整っていた”」
「世論工作も効きすぎた。まるで“誰か”の筋書きに合わせたかのように」
「まるで――我々の意志の上に、もう一層、透明な手があるようだった」

【帝都某所:古書店の壁に残された落書き(早朝に消去)】

“運命とは、選ばれたという感覚の中に、選ばせた者の影を感じることだ。”

そして、日常は続く。
警察の調査は沈黙し、報道は安定を語り、政権は正当なものとして受け入れられた。

しかし、誰もが心の奥で、言葉にならぬ“齟齬”を感じていた。
ほんのわずかに――自分の現実が“何か”に沿って動かされたのではないかと。

だが、その“何か”の名を知る者はいない。

いや、そもそも存在していたかどうかさえ――誰も、確かめようとはしなかった。

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