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軍部委員長、「内戦状態」を事実上明言

1247年12月12日付〈中央通信〉

青:クリソプレーズ政府、黄:国土緊急防衛運動、赤:サンディカリスト連合、緑:超越連盟、紫:東ジャスパー南部地区連絡協議会

 11日、オート・スティショバイト軍部委員長はクリソプレーズ市内の軍部委員会本部で会見を開き、「国土緊急防衛運動」及び諸島方面軍のうち現時点でカルセドニー本島に復帰していない部隊に関して「軍部委員会の明確な命令に背き、ガーネット諸島を武力によって占拠している」としてこれらの勢力を「社会主義共和国に対する反乱勢力」であると認定したことを発表した。オート軍部委員長はこの公表をもって共和国は「準戦時状態」に入ると説明し、現状カルセドニー国内が事実上の内戦状態にあるとの認識を表明した。一方で、オート軍部委員長は同時に「本来このような決定は社会主義評議会による決定をもって行われるべきであるが、社会主義評議会は一部の委員長が議事に参加しないことで意思決定機能が損なわれているために軍部委員長名義での発表という形を取った」とも説明しており、宣言が1135年憲法に基づく正式な手続きに基づくものではないことを認めた。また、記者団からの共和国議会に対して「準戦時状態」を正式に認定するよう求める手続きを行うかについての質問に対しても、「首都やウェスタンカルセドニーで活動している共和国議会議員がジャスパー市内の議事堂に安全に到着できない」という理由から否定的な見解を示した。
 4月1日の地盤沈下発生以来、以前から中央政府の統制が十分とは言えなかったガーネット州はその「独立性」を急速に強めており、「国土緊急防衛運動」に諸島方面軍の大部分が合流したことで中央政府の統治権が全く及ばない状況に陥っている。ガーネット州は1020年以降かつての「南の風」権威主義派閥を母体とする円環派と自由主義系勢力が支配権を争っていたが、ルーンレシア・イスタシア戦争以降のセニオリス連邦やヘルトジブリール社会主義共和国の滅亡によりSSPactの独立陣営としての地位が失われる過程で、同陣営、特にセニオリス連邦との貿易関係に経済基盤を依存していた円環派の勢力は著しく衰退しており、4月の地盤沈下が危ういバランスを完全に崩壊させた構図である。「国土緊急防衛運動」は反社会主義を掲げる反政府組織である自由民主統一戦線に、ガーネット州内のセビーリャ人勢力を代表するガーネット州セビーリャ人協会が協力して成立した組織であるとみられている。現状は救援活動並びに治安維持を主たる存在目的に掲げることで明確なイデオロギーを打ち出すことを避けているが、実態としては反社会主義・民族主義的勢力に支配されているとされ、「国際ラテン主義運動」を掲げる急進的なセビーリャ系の活動家も参加している。ガーネット州内に生活基盤のある諸島方面軍の兵卒や下士官が有事に際して本土の軍部委員会ではなくガーネット州内の勢力に離反する可能性は指摘されていたが、コストの高さから対応が先送りされ続けていたつけが表出した形だ。
 一方、クリストバライト特別市及びそれ以南のカルセドニー本島の南部一帯は現状サンディカリスト連合に協力姿勢を示している南方方面軍が治安維持に当たっており、南方方面軍も軍部委員会本部との距離を置き始めている。南方方面軍司令官シェルン・モスアゲート中将は記者団に対し繰り返し「社会主義評議会への忠誠」を強調しているが、「軍部委員会」の指示に従うか否かについては明言を避けており、機能不全に陥っている社会主義評議会を「唯一の上級指揮権者」であると主張することは事実上「誰の指揮権にも服さない」ことを主張しているとの指摘もなされている。また、アゲート市・サードオニクス市の両市は共同で「市域の自治権」を宣言し、他地域に基盤を置く軍部隊が市内を通行することを認めないことを公表した。1135年憲法は都市に自治権を認めておらず、この宣言は憲法上の根拠を全く欠くものであるが、両市のスポークスマンは「情勢を踏まえ、都市の安全性を守るために不可欠な措置」として宣言を正当化している。両市にはメイヤ・ツリーアゲート外交委員会経済局長をはじめとした超越連盟の主要人物が集まりつつあり、超越連盟がクリソプレーズの政府からの半独立を企図していると考えられている。オート軍部委員長の記者会見中で触れられている「西部で活動する議員がジャスパー市内の議事堂まで移動できない」ことについてはガーネット州や南部の勢力より両市の動きを踏まえたものとみられており、クリソプレーズの統治権が及ぶ領域は事実上ウェスタンカルセドニー州及び北部エライ州に限られていると評価されている。

ロムレー救援部隊、オビキュラーに本部設置

1247年4月11日付〈中央通信〉

 地盤沈下の被害が最も深刻な地域である東ジャスパー準州南部オビキュラーにロムレー湖畔共和国から派遣された救援部隊の本部が設置された。救援部隊本部は779年3月17日にロムレー国内のコーデクス主義団体からの寄進によって建立されたCDX像の所在する公園に隣接するビル内に設置され、行方不明者の捜索が続く地域住民の歓迎を持って迎えられた。ロムレー救援部隊は同地にツリーアゲート市の被災者を中心に臨時に発足する東ジャスパー南部地区連絡協議会と連携して地域の被災者の救援活動にあたると発表されている。カーン・ジャスパー中央処理委員長はクリソプレーズでの記者会見で派遣については在路カルセドニー大使と直接連携した上で依頼しているものと説明し、退任したアイシャ・ヘリオトロープ外交委員長の後任を決定できずに機能を停止している外交委員会上層部を飛ばした形で派遣を依頼したことを匂わせた。
 当該地域住民は救援部隊の派遣を基本的には歓迎する一方で、クリソプレーズの政府が直接救援に当たることを事実上諦めた形でロムレー救援部隊に依頼したことに対して複雑な態度を示している。住民の1人は本紙記者の取材に対して779年当時のロムレー人コーデクス主義者のコメントである「理性に導かれてCDXに近づかんと歩むその先には、全ての人々を等しく照らす科学の光が待ち受けている」を紹介し、「社会主義共和国は理性に導かれる国家を理想としていたが、社会主義共和国はその結果として国土を失い、我々は住処を失った。結局のところ我々を救うのは理性に基づいた社会主義者ではなくロムレーから来た湖畔主義者のようだ」などと述べ、(ロムレーの国号に対する明らかに誤った理解を示しながらも)ロムレー救援部隊の活動に期待を寄せた。別の住民は1203年に行われたカルセドニー革命500周年記念式典におけるトゥーサン・ジョス・ジェレミー・ペルスュイ外交局長による祝辞の記事を記者に示し、祝辞中の「革命が勃発する直前の旧共和国は、明らかに官僚的無気力、制度的硬直化の古弊という病理が進行」していたというくだりを指した上で「官僚的無気力、制度的硬直化の古弊という病理」は取り除かれなければならないと繰り返した。
 クリソプレーズから遠く、「国土緊急防衛運動」の活動範囲からも離れた東ジャスパー地域における救援活動はロムレーをはじめとする諸外国からの支援に頼らざるを得ない状況が続くとみられており、発災から10日という早い段階で到着したロムレー救援部隊に対する高い期待はクリソプレーズ政府のこの地域における能力不足に対する非難と表裏一体のようである。

(アーカイブ)カルセドニー革命500周年記念式典挙行さる

1203年7月1日付〈中央通信〉

 703年のカルセドニー革命において、革命軍がクリソプレーズ市を攻略して革命が完遂してから500周年となるこの日、クリソプレーズ市内でカルセドニー革命500周年記念式典が盛大に開催された。政治的指導者であるレンデ・アゲート連合初代大統領及び軍事的指導者であるラリネ・ブラッドストーン南方方面軍司令官の両者を称える歴史ムービーに始まり、カーン・ジャスパー中央処理委員長によるレンデ大統領の「勝利演説」を再現する演説、南方方面軍による軍事パレードなどに続き、諸外国の来賓の祝辞が紹介された。

ロムレー湖畔共和国 ナディーヌ・マチルド・イシャール中央議長閣下祝辞

歴史あるカルセドニー社会主義共和国の、建国と同等、もしかすると建国そのものよりも重大な歴史的転換点である702年から703年のカルセドニー革命という出来事を前に、畏敬の念を覚えます。
そして今日、革命の完遂から500年という時機にあって、カルセドニー人民の盟邦たるロムレー人民を代表してこうして語る場を与えられたことは誠に名誉あることであり、そのことの意義を考えざるを得ません。
さて、カルセドニーという地(パトリア)の成立を辿ると、616年のカルセドニー島入植地の成立に行き当たります。
近い時期でいうと、611年に成立した我々ロムレー湖畔共和国や、619年に成立したヘルトジブリール社会主義共和国などが現存する国家であり、この三ヶ国を「610年代組」と呼ぶこともできるでしょう。
この演説に先立って、カルセドニーにおけるフリューゲル史の教科書を紐解けば、おおよその歴史区分として、カルセドニーの入植から革命までの時期はリズセ時代、革命とそれに伴う鎖国政策の開始から開国に至る時代はスラヴ時代とされていました。
これは、現在の共和国における歴史認識ともそれほど異なるものではありません。
7世紀から8世紀にかけて、ファシズムや好戦的民族主義のような思想的誤謬が、多くの国にエスカレーション・ラダーを軽率にも登ることを強いたのは確かです。
これは、立ち位置は異なれど、ロムレー史やカルセドニー史にも、暗い影を落とし、好ましからざる記憶として残っています。
そして、カルセドニー革命は、カルセドニーにおけるリズセ時代の歴史的清算でもあり、スラヴ時代の誤謬を飛び越してプレ国連時代を先取りする先駆的試みでもありました。
内政的には、カルセドニー革命後のカルセドニーは、専門知的正当性と労働者的正統性の間で揺れ続けてきたように見えます。
カルセドニー革命のときの「カルセドニー連合」という国名も、この国制(憲法)も、現在では歴史上のものにすぎません。
しかし、カルセドニー革命によって作り出された国名と国制が歴史上のものとなったとしても、構造と理念は現在まで息づいています。
現在の社会主義評議会体制は、カルセドニー革命後の社会構造の一つの均衡解であり、委員会における専門知の一定の優越を認めつつ、労働者の主権を十全に保全した秩序です。
その点において、もはや第二のカルセドニー革命は不要であり、政治的変動の可能性は体制内改革の可塑性の中に織り込まれているということになります。
最後に、この場をお借りし、カルセドニーのこれまでの500年を祝福し、これからの500年にも幸あれかしと祈願します。
古いレゴリスの諺、「最後まで立っていた者が勝者」という言葉にしたがい、ロムレー、カルセドニー、それだけでなく、例えばレゴリスのような、カルセドニー革命の日、そして今日この日を共有するすべての国々について、すべてが勝利し続けることを冀って、カルセドニー革命というフリューゲル史上空前の出来事を前に、幸いなるかな、カルセドニー革命万歳、フリューゲル万々歳、との言葉で、この演説を終わります。

ロムレー湖畔共和国 トゥーサン・ジョス・ジェレミー・ペルスュイ外交局長閣下祝辞

ロムレー湖畔共和国の外交局長として、カルセドニー革命というきわめて歴史的な出来事の、記念すべき500周年の場で祝辞を述べる機会を与えられたこと、まことに光栄至極に存じます。
さて、人類史、とりわけフリューゲル史においては、多くの革命が記録されてきました。
しかし、カルセドニー革命は、フリューゲルでなされたすべての革命のなかで最も重要であり、地球史を含めた人類史においても最も重要な革命の一つです。
カルセドニー島共和国、いわゆる「旧共和国」は、ごく普通の、資本主義的共和国であり、その人民もまた、凡庸な地位に留まるものでした。
そして、革命が勃発する直前の旧共和国は、明らかに官僚的無気力、制度的硬直化の古弊という病理が進行していました。
そのようなときに起こったカルセドニー革命の成就は、労働者を奮い立たせ、自らの職能を最大限発揮せしめ、カルセドニー人民の潜在力を十全に発揮することを可能としました。
革命後の鎖国期間に深いレベルまで根付いたカルセドニー革命の精神は、開国後現在に至るまで、カルセドニーが世界で最も重要な国家の一つとなっている根本的な理由の最も大きなものです。
そして、路加関係は、我々がいわゆる烈天加協調を黒衣として支えるなかで深化され、1135年の我々のSLCN加盟によって完全な盟邦として確立されました。
今、君主主義者の謀略が、民族主義者の扇動が、たとえフリューゲルを揺るがすとしても、彼らに決して最終的な栄光を与えることないよう、今日この日からも、共に歩むことを改めて決意します。
共和国人民は、カルセドニー革命の理念がフリューゲルの万民に理解され、学ばれ、語られ続けることを望むものです。
カルセドニー人民万歳!
カルセドニー革命万々歳!
カルセドニー革命の精神よ永遠なれ!

ラ・フローリド共和国 パトリシア・カスティージョ大統領閣下祝辞

カルセドニー革命五百周年という記念すべき佳節を迎えられましたこと、ラ・フローリド共和国を代表して心よりお祝い申し上げます。

現在の体制が五世紀にわたり続き、国民の誇りと共に維持されてきたことは、まさに驚嘆すべき偉業であり、共和国として多くを学ぶべき模範であると深く敬意を表します。

また、貴国が中心となって設立された国際連合は、長年にわたり世界の平和と対話の枠組みを支え続けており、その国際的貢献にも改めて謝意を表します。

共和国は、カルセドニー社会主義共和国とのこれまでの友好関係を一層重んじ、今後とも互いに信頼と協力を深めてまいりたいと考えております。

敬意と祝意を込めて。

来賓一覧(順不同)

タンファ王国
王国統領 ミハイル・ミハイロヴィッチ・エゾフ閣下

ロムレー湖畔共和国
中央議会議長 ナディーヌ・マチルド・イシャール閣下
外交局長 トゥーサン・ジョス・ジェレミー・ペルスュイ閣下
駐加大使 ジョゼット・メラニー・アンリエット・ゴーチエ閣下
駐加次席大使兼国連大使 コロンブ・カミーユ・オスーフ閣下
安全保障局長 バベット・オドレイ・ノエミ・ヴォルチエ閣下
参謀総長・海軍大将 バルバラ・エヴリーヌ・ジョアンナ・シュヴラン閣下

ルーンレシア帝国
ルーンレシア帝国皇帝 レオナード・アレクシス陛下
ルーンレシア帝国皇后兼副帝 シェーラ・アレクシス陛下

リブル民主共和国
国軍最高司令官・国家大元帥 岸田武雄閣下

昭栄国
外交長官 登戸閣下

ラ・フローリド共和国
第二代大統領 パトリシア・カスティージョ閣下

神聖ガトーヴィチ帝国
為政院総理大臣 アンナ・ヴァシーリエヴナ・ヤナーミェヴァ閣下

レゲロ社会主義人民共和国
終身大統領 エルノーク閣下

ヴェールヌイ社会主義共和国
人民議会議長 ユーリ・シチェルバク閣下

カドレン共和国
大統領 バルフォア閣下

セニオリス連邦
外務次官 モイス・ノヴィスプリト閣下

トータエ社会主義人民共和国
外務大臣 ジョーセフ・カリヌニコフ閣下

ノイエクルス連邦
連邦議長 アデルミラ・コメジャス閣下

セリティヌム連邦
連邦執政官 オリフィア・クリュサノス閣下

ロシジュア帝聖平和ドミニウム
中務ソシアート代表 ヴェロニカ・エタニティーナ閣下

ルクスマグナ共和合衆皇国
皇 アダム・フォン・ミルズ陛下
外務大臣兼光国外交全権代理人 ベルガーナ・フラウンフェルト閣下
首相兼ルクスマグナ社会民主主義連合最高指導者 レンヤ・ミストフォールト閣下
ルクスマグナ共和党初代代表兼党相談役 ラルバ・アイゼンシュタイン閣下
ルクスマグナ共和党現代表 アレックス・ミリオン閣下
ルクスマグナ保守党代表 ジュリア・メリックス総督閣下
駐カルセドニー社会主義共和国 ルクスマグナ共和合衆皇国大使 ケイン・フォン・マクレーン大使閣下

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