
安定勝利と変化の兆し――1243人民議会選
「農民」不在の二党時代
1243年3月に実施された人民議会選挙は、結果そのもの以上に、その過程が共和国政治の空気を大きく変えた選挙として記憶されることになりそうだ。
発端は、1218年に開かれた民主農民党の党大会にまで遡る。
同党はこの大会において解党を決議し、代表のオニーシム・リャボフは公式声明で「我々は歴史的使命を終えたと判断した」と述べた。
民主農民党は、現行憲法の施行、すなわち民主化の開始と同時に誕生した政党であり、初の民主選挙を前に結成された文化自由連盟と共に、二大民主政党として民主化の象徴と位置付けられていた。その母体は、建国黎明期の労働党指導体制下において、地方農村部を中心とする無学層の政治参加を目的として組織された衛星政党「社会農民党」であった。労働党に次ぐ長い歴史を有する政党であり、形式上は第三勢力の一角を占め続けてきた存在である。
しかし、農民党が共和国政治の主題を担ったことは一度もなかった。民主化以降、政治の実相は早い段階から労働党と文化自由連盟による二大政党制の様相を呈しており、そこにおいて労働党が優位を保ち続ける構図は、長らく固定化されていた。農民党はその狭間に位置しながらも、争点形成や世論喚起の中心となることはなく、存在感は次第に希薄化していった。
その静かな幕引きは、政治的波紋を呼ぶこともなく、解党時点で同党に残っていた議員2名はいずれも労働党へ合流したが、これに対する反発や議論はほとんど見られず、人民の受け止めも概して冷淡であった。
この解党によって、人民議会は名実ともに労働党と文化自由連盟の二党体制へと収斂した。次期選挙の主要争点もまた、SSpact復帰の是非を中心とする外交・安全保障問題に絞られ、文化自由連盟が労働党への批判を強めるという、従来型の構図が想定されていたのである。
この空気を一変させたのが、1240年6月の新党「進歩する共和国」の結党宣言である。
「進歩する共和国」の登場
進歩する共和国(Прагрэсуючая Рэспубліка)は、現行憲法下において実に650年ぶりに誕生した新党である。
結党大会はウミェールイ中核市において記者会見形式で行われ、発起人は約30名に及んだ。その顔ぶれは、各種人民企業で経営や計画策定に携わってきた元経営層、ならびに工商計画省を中心とする官僚OBが大半を占めており、従来の利害代表型政党とは明確に異なる性格を示していた。
初代代表に就任したのは、ブルースター紙の元政治部長、ヴィクトル・ラジンである。
ラジンは在職中、特定政党に与することなく制度運用や政策形成の実務を丹念に追う記者として知られ、官僚機構や人民企業の実務層から高い信頼を得ていた。1237年に同紙を退社した後は表立った政治活動を控えつつ、旧知の官僚や企業関係者との私的な対話を重ね、水面下で新党構想を練っていたとされる。
進歩の結党は、制度運用の現場に関わってきた人々が徐々に合流した結果として成立した点に特徴がある。

進歩の最大の特徴は、従来の経済政策そのものに正面から疑義を呈した点にあった。
同党は、完全自給経済から現在の商農国体制へと至る一連の経済政策と、それに連なる外交関係の構築を「歴史的妥協と暫定的対応の連続」と位置付け、これを前提とした微調整には限界があると主張した。そのうえで、共和国が有する経済調整能力と技術、制度運用の蓄積を総動員し、「本格的な経済大国路線へ舵を切るべきだ」と訴えたのである。この主張は、農業・燃料といった戦略物資の自給を維持しつつ、商品を輸入・消費する中小規模商農国として安定を重視してきた、現在の共和国の経済構成と真正面から対立するものであった。
選挙戦の主役交代
進歩の登場により、選挙戦の軸は急速に変化した。
安全保障を巡る労働党と文化自由連盟の応酬は後景に退き、両党が長年「暗黙の前提」として共有してきた経済構成そのものの可動性を問い直す「経済大国路線の是非」が争点として浮上した。
経済停滞感と国際情勢への不安が広がる中で、人民の関心は「誰と対立するか」から「どの道を選ぶのか」へと移行しつつあり、「経済大国」はそうした人民の興味を強く刺激する格好となった。
労働党も文自も、これを無視することは可能であったが、それは同時に、将来像を語れないことを自認するに等しい。この文脈において、進歩の提示した経済大国路線は、支持の多寡にかかわらず、中心的論点とならざるを得なかった。
選挙の結果、ヴェールヌイ労働党は112議席を獲得し、人民議会における過半数を維持、政権の継続を決めた。
文化自由連盟は80議席にとどまり、前回選挙から議席を減らしつつも、第二党の地位は保持した。
一方、進歩する共和国は8議席を獲得し、初めて人民議会への進出を果たした。議席数自体は一桁にとどまったものの、生産選挙区を中心に予想を上回る得票を記録し、存在感を示した。

議席数以上に注目すべきは、選挙戦の中心にあったのが進歩であったという点である。
第三勢力が選挙全体の論点を主導する現象は、共和国史上初めての出来事であった。
今回の選挙は、二党制そのものが崩れたわけではない。
しかし、二党だけが争点を定義する時代が終わった可能性を示した点で、画期的である。
進歩は議席数では第三勢力に過ぎない。
それでも、経済という根幹に関わる問いを突き付け、既存政党を応酬に引きずり出した。
これは単なる一時的現象ではなく、共和国における政治文化の変化を示唆している。
【社説】経済大国という誘惑と現実
変わらないことを選ばせる党としての労働党
進歩する共和国が掲げた「経済大国路線」は、魅力的な響きを持つ一方で、多くの現実的課題を孕んでいる。
仮に大商業国路線を選択すれば、輸入総量の飛躍的増大は避けられない。現在のような分散調達は困難となり、特定国、あるいは複数の主要国への大規模な依存が不可避となる。形式上の分散は可能でも、対外依存度が高まる事実は変わらない。
一方、工業国路線は世界需要と合致し、友好国への恩恵も大きい。しかし、それは全土的な再開発と環境負荷を伴い、戦略物資の自給放棄という重大な選択を迫るだろう。
経済大国とは、単なる規模拡大ではない。
それは国家が背負うリスクの総量を引き受ける覚悟を意味する。
進歩は、自らを「国家と人民、行政と経済界を横断的に結集する勢力」であると位置付けている。その自己認識が現実の力を伴うものであるか否かは、今後の人民議会における立法活動、予算審議、政策調整の現場において厳しく試されることになるだろう。
理念や構想が語られる段階は終わり、制度と数字、利害調整の積み重ねの中で、その実効性が問われる局面に入った。
一方で、この新たな争点の浮上によって、結果的に救われた側が存在することも指摘しておかねばならない。
労働党である。

本来、今回の人民議会選挙における最大の争点は、SSpact復帰に象徴される外交・安全保障路線であった。
この問題は人民の評価が大きく分かれる領域であり、文化自由連盟にとっては、自らの政権期の事実上の否定とも受け止められかねない、極めて政治的な論点であった。
文自は、労働党の「原点回帰」とも言うべき強硬な復帰路線を、議会政治や政策の連続性を軽視した暴挙として厳しく批判していた。この見方は文自内部にとどまらず、専門家層や、既存の国際枠組みを単純な陣営対立構造に当てはめることを良しとしない労働党内の穏健勢力の間にも、少なからず共有されていた。
事前の分析では、文自がこの点を足掛かりとして政権奪還を狙う余地すらあると見られていたほどだ。
労働党自身もまた、文自大勝という可能性を強く意識していたはずである。SSpact復帰という大きな決断を下した直後に政権を失い、再び外交・安全保障路線が動揺するような事態となれば、それは自らの政策判断の正当性、国際的信用を根底から損なう結果となりかねない。労働党にとって、単に「面目を失う」どころの問題ではない。
そのような状況下で現れた新党と、経済政策を中心とする新たな大争点の浮上は、まさに渡りに船であった。労働党は「進歩」に対し、距離を置くのではなく、あえて正面から向き合うという選択を取った。
争点が分散し、インパクトの強い主張が屹立した局面で、最終的に利益を得るのは、包括政党としての地力と、良くも悪くも「動かない安心感」を有する勢力である。少なくとも、この国の歴史の大半はそうであった。
進歩の登場は皮肉にも、労働党が持つ構造的な優位性を、あらためて浮き彫りにする結果となった。
進歩が投げかけた問いは重要だ。
だが、その答えは、冷静な計算と長期的視野の上にのみ成立する。
選挙は終わったが、議論はようやく始まったばかりである。
ブルースター紙 発行:44760期1243年4月下旬