2015/07/07 0:28:26
600年(紀元189年)5月12日、真備宮太上皇帝陛下は、室満京仙洞御所にて崩御なされた。心臓麻痺によるご崩御であらせられた。
南北動乱の最中、皇統と国体の護持にその御玉体を酷使あそばされた上皇陛下のご崩御に、帝国臣民4800万は悉く悲哀の涙を流した。
上皇陛下御大喪の礼は600年7月30日に執り行われ、四カ国から代表が出席された。以下は参列者である。
我国
後真備宮皇帝陛下
足利顕子征夷大将軍殿下
ほか皇族方々、公方府閣僚級職員、四軍高官。
ベルサリエーレ王国
レーナ・アレッシア女王陛下
ガトーヴィチ帝国
リュボーフ皇太子殿下
スコッチランド共産主義者同盟
ハーター・ラーク首相閣下御夫妻
ストリーダ王国
フェリックス王太子殿下
成蘭連邦王国
黒石治教国王陛下
伊村勝雄首相閣下
御大喪の礼に於いて、皇帝陛下は次のような御誄を披露された。
「後真備宮慎みて
皇考の神霊に白す
皇位に座しては乃ち禁裏より民草を慈しみ、皇位譲ららば乃ち仙洞より社稷の在実を憂い、或いは和漢古格を手解かるる大恩、或いは共に南島に於いて逆賊の辱めを共にせらる辛苦、御霊柩を見送る今ぞ回顧さるるは哀れなり。縦い人皇の定めとは言えども、嘆かぬ民草無し、哭かぬ百官無し。嗚呼悲しい哉」
大喪の礼は無事終わり、上皇陛下のご遺体は帝都近郊の御陵に埋葬された。