2015/05/04 22:12:24
紹和6年(590年)、大和寧帝國は祖国統一から4年を迎えた。
統一前の旧北幹地域は崔氏政権による圧政によって人民は貧困に苦しんでいた。
[url=http://tanstafl.sakura.ne.jp/uploads/ryusen_1430740947_o0446031010501907586.jpg][img align=left]http://tanstafl.sakura.ne.jp/uploads/thumbs/ryusen_1430740947_o0446031010501907586.jpg[/img][/url](人民を虐げる旧北幹労働党)
しかし、至尊なる皇帝陛下の威光の下、同地は復興を遂げ、北和寧同胞は旧南幹国民同様の生活水準にまで達した。
[url=http://tanstafl.sakura.ne.jp/uploads/ryusen_1430741185_20110320164410_bodyfile.jpg][img align=left]http://tanstafl.sakura.ne.jp/uploads/thumbs/ryusen_1430741185_20110320164410_bodyfile.jpg[/img][/url](南幹と変わらぬ北幹の街並み)
[size=large]【政治】全土統一選挙実施[/size] 旧大幹帝国時代、584年の木槿会の維新以来、鄭俊雄首相率いる維新政府が南和寧地域を統治してきた。586年の統一宣言後は皇帝陛下の下、鄭俊雄首相が南和寧政府代表、尹明燁委員長が北和寧政府代表を務める一国二制度が続いていた。
しかし、北和寧地域の再建が進み、南北間の経済格差縮小を受けて南北政府・議会は統一に合意した。
また、香麗労働党は和寧労働党と改称し、木槿会は皇道政党・維新として政党化された。
590年2月27日に実施された選挙の投票率は85.7%と統一和寧国民の意識の高さが伺える。
[size=large]全土統一選挙結果[/size] [url=http://tanstafl.sakura.ne.jp/uploads/ryusen_1430743640_1.jpg][img align=left]http://tanstafl.sakura.ne.jp/uploads/thumbs/ryusen_1430743640_1.jpg[/img][/url](490年と表記されていますが、590年の誤りです。)
(南北統一に伴い、議席は500に拡大された)
皇道政党・維新、愛国派連合、和寧国家社会党の右派間で連立合意が成立し、29日、鄭俊雄代表が統一和寧首相に就任した。
[size=large]【文化】鄭俊雄首相、「壌平万博」開催計画を発表[/size] 3月3日、鄭俊雄首相は「第三回フリューゲル商工博覧会壌平大会」開催計画を明らかにした。万博構想自体は、「フリューゲル五輪」と並ぶ国民民主連合の丁純憲元首相が提唱した全フリューゲル的文化事業だったが、石動情勢悪化や社会党政権成立とその後の戦乱のために頓挫していた。
(実行に移せたのは「仁河スポーツ大会」のみ)
鄭首相は、「今回の博覧会を和寧復興と全フリューゲル平和の象徴と位置付けたい。」と語った。
また、かつてルーシェベルギアス公国(現成蘭連邦王国領)で二回開催された「フリューゲル商工博覧会」の伝統を受け継ぎ「第三回」と号した。
政府は国内外に広く協賛を呼び掛ける方針。
【国際】アルドラド帝国国土荒廃問題 皇帝陛下「彼の国の為政者は愚劣の極み。民が不憫でならぬ。」
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