2014/10/17 13:13:09
[url=http://tanstafl.sakura.ne.jp/uploads/isulugi_1413519071_8fb23beb7a91d0f742215b99d0ad6d58.jpg][img align=left]http://tanstafl.sakura.ne.jp/uploads/thumbs/isulugi_1413519071_8fb23beb7a91d0f742215b99d0ad6d58.jpg[/img][/url][url=http://tanstafl.sakura.ne.jp/uploads/isulugi_1413519045_e0023090_0371440.jpg][img align=left]http://tanstafl.sakura.ne.jp/uploads/thumbs/isulugi_1413519045_e0023090_0371440.jpg[/img][/url](写真左:義勇軍に参加した真言宗門徒。 右:義勇軍に加わった陸軍戦車兵ら)
556年1月23日、盤南寺比丘尼直麗(本名足利直。元管領)は、陸軍の一部兵力および真言宗門徒を糾合し、敷倉県で武装蜂起の挙に出た。
足利直元管領は、高野翼統合参謀総長との事実上の政争に敗れ、549年2月22日に盤南寺に於いて出家していたが、「この度の政府の無策による経済衰亡と、社会保障削減による臣民困窮に見かね、もはや北朝に義なしと断じ、陸軍と門徒らに同志を募り、此度の義挙に至った」としている。
直元管領のもとに集まった兵力は、陸軍将兵およそ4万、真言宗門徒およそ20万、他にも政府に不満を持つ平民らの合力も合わせると、その総数は少なくとも30万には登るという。
南朝側は今回の挙兵に対する驚きと感嘆の意を顕にし、「北朝逆臣が妹、これ英傑なり。蓋し正統皇軍の戦列に名を加え、その大義末代まで語り継ぐべきか」との声明を発表した。
事態を受け公方府は、ただちに陸軍第一・第三師団、中央即応部隊群、直参親衛軍などによる即時鎮圧を開始すると発表した。