2014/04/05 13:23:11
天安9年(523年)6月13日、盟友石動亡命政府の石動臣民突撃義勇軍は帝国防衛隊の支援の下、逆賊北条合藩連合の西大寺領新見市へ上陸を果たした。
この見事な上陸作戦を指揮された高野翼総司令の武勇と智謀を幹国民は最大限の賛辞を送るだろう。
臣民突撃義勇軍の編成にあたり、幹国政府は軍事顧問にある人物を推挙した。
龍鮮戦争において最前線で共匪軍を打ち破り、オセアニカ・アースガルド戦争で卓越した指導により強大な侵略連合軍を相手に互角以上の戦いをみせた救国の英雄、白善仁(ペク・ソンイン)元帝国軍統合参謀総長(73)である。
450年に在秋龍鮮人として生まれ、469年、当時の大東亜秋津皇国軍に入隊し多くの武功を重ねた。中夏民国の秋津内戦介入により大東亜秋津皇国が崩壊した後、龍鮮王国へ渡り、王国陸軍に入隊したが、未だ根強かった反秋主義により「半秋津人」と差別を受けたという。
しかし、477年に勃発した龍鮮戦争で歩兵第一師団長に抜擢された後の活躍は周知の通りである。
白閣下はオセアニカ・アースガルド戦争終結後は、軍人恩給を活用して戦災孤児の為の孤児院を設立するなどの福祉事業に従事されていたが石動事変(幹国政府呼称)勃発後、幹国政府から臣民突撃義勇軍顧問就任の要請を受けた。
白閣下は出征にあたって「東方の平和を守るために再び武器を取ることを決意した。これが最後の戦場となることを願う。」と述べた。
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龍鮮日報 第五十号 天安9年(523年)7月25日発行