メニュー 閉じる

石動和寧日報 【特集】龍鮮と華夏の歴史について

2013/02/10 11:17:00

華夏人難民の問題が取り上げられる昨今、改めて我が国と華夏の歴史関係について紐解いてみようと思う。今回は京城大学歴史学部の文相憲(ムン・サンホン)教授を招いて特集記事を掲載した。
記者「本日はよろしくお願い致します。」
文教授「はい、こちらこそお願いします。」
記者「我が龍鮮王国と華夏の歴史関係についてご教授お願いします。」
文教授「まず、龍鮮の始まりはフリューゲル元年10月3日の丹君王即位です。」
記者「創天節(建国記念日)ですね。」
文教授「その後、丹君王死後その三人の部下『李賢』が『香句麗』を、『呉福明』が『南幹』を、『尹哲』が『和寧』をそれぞれ建国し、龍鮮は三国に分かれます。」
記者「三国時代の始まりですね。」
文教授「その通り。三国の力関係は、香句麗>南幹>和寧という状態でした。」
記者「一番弱体な和寧がどうして龍鮮を統一できたのですか?」
文教授「そこで華夏との関わりが生じる訳です。当時の華夏大陸は南夏王国が治めていました。」
記者「(‘‥)が治めていた国ですね。」
文教授「和寧国2代国王・尹白波は南夏国王に朝貢し臣下の礼をとりました。そして、軍事援助を要請しました。」
記者「和寧は外国の力を借りて龍鮮を統一したということですか?」
文教授「そうです。南夏軍の援護により和寧は45年に龍鮮を統一しました。しかし、援助を受けた代わりに和寧は南夏の属国になってしまいました。」
記者「毎年巨額の貢物を贈っていたとか。」
文教授「さらに、和寧は南夏の命令で73年戦争(ノイエクルス自由国とシュトゥルム公国・南夏王国間の戦争)に軍を派遣しなければなりませんでした。」
記者「73年戦争で南夏王国は滅亡しましたよね。」
文教授「南夏の後ろ盾を無くし、貢物と戦争で疲弊した和寧王朝は145年に崔建に取って代わられます。」
記者「香麗王朝ですね。」
文教授「華夏大陸では南夏王国崩壊後、檬古族や萬洲族など北方民族の侵入で混乱があったこともあり、香麗は華夏族へ配慮を考えずに独自の外交を展開できました。しかし、華夏族は再び強大化すると香麗に朝貢を求めてきました。4代国王・元宗はこれを拒否し、攻め寄せてきた華夏軍を緑鴨江で撃退します。」
記者「鄭明燁将軍の活躍した戦いでしたね。」
文教授「そうです。しかし、華夏と香麗の国力の差は大きく、5代国王・功宗は華夏に臣下の礼をとり、朝貢しこの関係は、280年に秋津皇国に併合されるまで続きます。」
記者「秋津皇国統治時代の我が国はどのような状況でしたか?」
文教授「秋津政府による投資でインフラ・産業が整備され龍鮮は発展しました。」
記者「秋津皇国滅亡後はどうなりまでぃたか?」
文教授「華夏族の中夏民国に直接支配されました。」
記者「華夏人の統治はどのようなものでしたか?」
文教授「秋津人と違い、華夏人は龍鮮から一方的に搾取するばかりでした。そして、387年の中夏民国滅亡後、龍鮮は軍閥が割拠し乱世になりました。」
記者「そして、乱世の龍鮮を統一したのが太祖国王(朴成秀先王)ですね。」
文教授「そうです。今までの内容をまとめますと、歴史的に龍鮮は華夏の属国であったことは紛れもない事実です。しかし、今や我が国は華夏人を助ける立場まで発展しました。龍鮮はこれからも大きく発展することでしょう。」
記者「ええ、龍鮮王国万歳!国王陛下万歳!」

文教授&記者 愛国歌を斉唱する。
—————————————————————————
龍鮮日報 第五号 455年(今上王11年)5月15日発行

関連投稿