バーでの会合を終えて数日後、ロサ・モレノは、フェルナンド・ロペスの紹介で通商院庁舎へ足を運んだ。古風な外観と、玄関から奥へ伸びる長い廊下を一歩進むごとに、かすかな緊張感が漂う。
受付を済ませたロサは案内係に従い、カルセドニー担当者のオフィスへ向かう。ドアを軽くノックすると、やや慌ただしい様子で現れたのがカタリーナ・ドミンゲスだった。

「初めまして、カタリーナ・ドミンゲスです。あなたがロサ・モレノ部長ね?」
快活な調子で自己紹介すると同時に、カタリーナの手はデスクの上に散乱するファイルをかき集めている。ロサはやや圧倒されながら挨拶を返す。
「はい、ヴィレンシア・アリメンティシオ社で国際第二渉外部を担当しております。お忙しいところすみません。お時間いただいてありがとうございます。」
カタリーナはファイルを脇に置くと、少しだけ表情を和らげた。
「わざわざ通商院を訪れるなんて、ヴィレンシア・アリメンティシオ社の部長様が一体何の用かしら?」
ロサは頷きながら、本題を切り出す。
「実は、外務院のアントニオから聞いた話がありまして…。カルセドニーの“ある友好国”が、大量の食料輸入を検討しているらしいんです。」
瞬間、カタリーナの動きが止まり、その顔つきが一変した。
「大量の食料輸入…。過剰輸入国のカルセドニーがさらに他国に食料をまわすなんて、普通なら考えにくい。でも、そういう裏事情があるなら話は別ね。」
彼女はあからさまに興味を示し、「すぐにでもクリソプレーズに行かなきゃ。心当たりがあるから、セッティングは任せてちょうだい」と勢いよく言い切る。
ロサはほっとした様子で笑みを浮かべた。
***
数日後、ロサとカタリーナはカルセドニー社会主義共和国の首都クリソプレーズへ飛んだ。広大な空港ターミナルを抜け、タクシーに乗り込むと、窓の外には高層ビルが立ち並び、どこまでも続く大通りが広がる。
まさに世界最大の商業マーケットを誇る社会主義国の経済都市という迫力だ。
「ヴィレンシアとは比べものにならないわね…」
ロサが呟くと、カタリーナも苦笑しつつ頷いた。
二人が到着したのは、街の中心部にそびえ立つカルセドニー外交委員会庁舎。受付を済ませ、厳重なセキュリティチェックを通過した後、エレベーターで上階へ向かう。
廊下の奥にある部屋に入ると、待っていたのは外交委員会の委員サラン・ユーファストーンという人物だった。
サランはやや硬質な雰囲気を漂わせていたが、カタリーナと顔を合わせると、久しぶりに会った旧友のように朗らかな笑顔を見せた。
「サラン、久しぶり。元気してた?」
「ええ。相変わらず忙しいけど、それも仕事ですし。ところで、あなたの隣の方は…?」
カタリーナはロサを促し、「フローリド共和国のヴィレンシア・アリメンティシオ社、国際第二渉外部を担当するロサ・モレノ部長よ」と紹介する。
ロサも丁寧に挨拶し、サランは官僚らしく洗練された口調で歓迎の意を示した。
「遠路はるばるクリソプレーズへようこそお越しいただきました。本日はどのような要件でいらっしゃいましたか?」
ロサは一瞬迷いつつも、単刀直入に切り出す。「外務院を通じて得た情報によれば、貴国の友好国が大量の食料輸入先を探しているとか。もし事実なら、ぜひ、わが社で力になれればと思いまして…」
その言葉を聞いた瞬間、サランの表情が変化する。穏やかな笑顔から、眼光が鋭さを帯びたものへ移り変わる。
「あなたたちは、運がいいですね。…少し場所を移動しましょう。」
サランに連れられ、別室へと向かう廊下を歩く最中、サランはちらりとカタリーナを見やり、
「ところで銀倉庫業の話はどうですか?うまくいってますか?」と声をかける。
カタリーナは微妙に顔を曇らせ、「うーん…、まだ最終交渉中なの。決まったら改めて報告するわ」と応じ、
話題をさり気なく切り上げるように歩調を速めた。
やがて到着したのは、会議室のような小さな部屋。
サランが扉を開けて中を覗くと、軍服姿の男性が3名、真剣な顔で座っていた。
サランが「どうぞ、こちらへ」と二人を促す。室内に足を踏み入れた瞬間、ロセはその場の空気が張りつめたように感じた。カタリーナの表情もどこか引き締まる。
3人の男性も、ロサたちが席に着くのを待ってから軽く会釈する。
サランは端的に切り出した。「ロサさんがおっしゃるとおり、実は食料の大口輸入を希望している国があります。ここにいらっしゃる方々の母国、リブル民主共和国です。」
その名を聞いた途端、ロサの胸に緊張が走る。リブル民主共和国といえば、ラ・フローリド共和国では“危険”や“攻撃的”と評判の高い軍事国家。彼女が反射的に瞳を見開くと、男性たちの視線がぶつかる。
「なぜリブルが食料を必要としているんですか…?」
ロサがサランへ問いかけると、サランは落ち着いた声で説明を始める。
「リブルは今、工業化を急速に進めており、国内の農業部門の優先度が下がっています。結果的に、食料を国外から調達する必要が出てきました。資源配分を工業に集中させることが目的です」
ロサはぐっと息を飲む。
相手は危険なイメージを持つ国だが、ビジネスとしては大きなチャンスかもしれない。
一方で、そんな国と本当に取引を進めていいのかという葛藤も拭えない。
隣でカタリーナも、静かにリブルの外交官たちを見やりながら、目の奥で何かを計算しているように見えた。
こうして、ロサたちは想像もしていなかった相手国と対峙することになったのだった。外務院や通商院、さらにはカルセドニーとの連携も必要になりそうな一大案件。しかし、ヴィレンシア・アリメンティシオ社の国際第二渉外部にとって、これはまさに絶好の“転機”となるかもしれない。
部屋の空気が張りつめたまま、次なる交渉の一端が、今まさに幕を上げようとしていた。