1150年9月、ラ・フローリド共和国の首都ヴィレンシア。
ゴシック様式の建造物が立ち並ぶ街並みの間を、中高層のビル群が集まる一角がある。
伝統と革新が同時に息づくこの都市は、国内外のビジネスが交差する大動脈のようでもあった。

そんな街の中心部に「ヴィレンシア・アリメンティシオ社」の本社ビルがある。
大手食料商社である同社は、国内の大型共同農場や運営公社から穀物、オリーブ、ブドウなどの食料品を集め、
海外へ輸出する仲介業務を担っている。
ビルのエントランスホールでは、絶えず社員や取引先が行き交い、受付デスクはいつも忙しそうにしている。
本社9階は国際渉外部が入るフロアである。
その一角のオフィスで、ロサ・モレノが慌ただしく電話を切ったところだった。
彼女は同社の国際第二渉外部部長。担当するのは、BCAT諸国を除く社会主義国との食料輸出業務だ。
すると、隣のフロアから突然の大歓声が響き渡った。
「また第一渉外部が何か大きな契約を取ったのかしら…」
ロサは苦々しい表情を浮かべ、近くの同僚に視線を送った。同僚が情報を仕入れてきた。
「ガトーヴィチへの輸出が、なんと20億トン増だそうです!」
「20億トンも?」ロサは思わず目を見開く。会社としては1億トンの増加でも十分すぎるほど喜ばしいが、20倍ともなれば驚異的な数字だ。
第一渉外部は、ヴェールヌイ社会主義共和国や神聖ガトーヴィチ帝国といったBCAT諸国を担当する部署だ。
両国との間には経済協力の基盤が整っており、比較的スムーズに契約をまとめやすい。それでも、この桁外れな成果には社内も沸き立っていた。
「数字しか見ない会社だし、また評価が偏るわね…」
ロサは深いため息をつく。担当国の政治・経済事情が複雑な第二渉外部は、契約を獲得するまでに何倍もの困難とリスクを背負わざるを得ない。しかし、社内にとっては「どれだけ増やせたか」という結果だけが重要なのだ。
***
その日の夜、ロサは大学時代の友人で通商院所属のフェルナンド・ロペスと飲むため、ヴィレンシア市街地にある小さなバーを訪れた。
レトロな内装とジャズの生演奏が特徴の隠れ家で、昔からここで集まり、近況を語り合っていた。
「まったく、第一渉外部は運がいいわね。契約を取りやすい国が相手なんだから…」
ロサはグラスに口をつけながら、思わず愚痴をこぼす。フェルナンドはそんな彼女を宥めるように微笑んだ。
「ロサ、実は俺が聞いた話なんだが、ガトーヴィチ帝国が今焦ってるのは、ハルィチナーからの食料輸出が途絶えそうだかららしい。だから慌てて増やしたんだろうさ。別に第一渉外部がすごいってわけでもないよ。」
ロサは少し肩の力を抜き、ほっと息を吐いた。「そっか…ちょっとだけ気が楽になった。ありがとう。」
そこへもう一人、大学時代の友人が合流した。外務院に勤務するアントニオ・ルイスだ。彼はヴェールヌイ社会主義共和国の担当官僚で、いつも明るく社交的な性格をしている。
今日は特に上機嫌な様子で、理由は「レアル・ヴィレンシア」の成績が好調だかららしい。
「久しぶりだな、ロサ。元気ないじゃないか。ほら、フットボールみたいに攻めの姿勢でいけよ!」
アントニオは軽妙な冗談を交えながら、ロサを励ます。しかし、ロサが終始浮かない顔をしていることに気づき、グラスを置いて話を切り出した。
「ねえ、ロサ。実はちょっと面白い情報があるんだ。ヴェールヌイの当局者と話をしていたら、どうやら経済大国のカルセドニー社会主義共和国との交渉の中で、カルセドニーの友好国が食料輸入を希望してるって聞いたんだよ。」
「カルセドニーの友好国…?どこそれ?」
ロサは身を乗り出し、興味津々な様子を隠せない。
「今のところはっきりした情報じゃないんだ。だけど、その友好国がけっこう大規模な輸入を検討しているらしい。担当者も『本気で探してる』って言ってたよ。」
アントニオは声を潜めながら、そう語った。
「もしかしたら、うちが介入できるチャンスなのかも…」
ロサは自然と手元のグラスを握り締め、胸が高鳴るのを感じた。BCAT諸国との契約に押されがちな第二渉外部にとって、これは大きな転機になる可能性がある。
そう、彼女にはまだ名も明かされぬ「ある国」への道が開けるかもしれないのだ。
「ふふ、これは勝負に出るしかないわね。」
ロサは顔を上げ、フェルナンドとアントニオに向けて笑みを浮かべた。その瞳には、ほんの少し前までの焦燥ではなく、期待と決意が宿っていた。